本当に何もできないだろうか。パレスチナとガザ

最近、パレスチナとガザの人々について考えることが多くなった。
特にガザで尊厳を奪われている人々についてだ。

現代では戦争法が存在する。民間人への意図的な攻撃はタブーである。
しかし、戦争状態の国家においてその法は機能しない。
今まさにこの瞬間にもガザで命を踏みにじられている人がいる。

それに引き換え私はクッキーを食べて今日も屋根のある家で眠ることが出来る。明日も朝起きて仕事に向かうのだ。

私は、この美しい空の下で命が踏みにじられていることが信じられない。

何かしたい。
でも、何もできない。
私たちに出来ることは声を上げること。イスラエル軍や戦争行為そのものにヘイトを向けること。

或いは他国の戦争と自分たちの生活が実は地続きであることを、人々に知らしめること。

ジャーナリズム、アート、言論、それぞれの領域での活動が必須だ。

以前、大学の後輩とガザについて話した時「地獄は地獄にいる人にしか変えられない」とその後輩は言っていた。

そうだろうか。彼らを地獄にいると断定する行為そのものが、酷く特権的で
物凄くグロテスクな行為であるように私は思えてならない。

念のため、この後輩もこの記事を読みそうなので断っておく。君のことを否定するつもりはないんだ。ただ、私は自分たちと関係ない、とガザの人を遠ざけたくないんだ。

ガザの人を遠ざけることは、いつかやってくる脅威や災害で、自分たちの尊厳を脅かす存在を野放しにすることになる。そんなことと繋がっているような気がするのだ。

今私たちに出来る最大限のことは、ガザの人々を遠ざけない。
遠い国の出来事でも、知り続ける。叫び続ける。近寄っていく。
それが必要なのだと、そう感じた。

今泉京介です。小説、エッセイ、詩、色々と書きます。よしなに。