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「モモちゃんとアカネちゃん」が斬新すぎて、童話にしておくのはもったいない。

以前にも書きましたが、先日から松谷みよ子さんの「ちいさいモモちゃん」シリーズを、5歳の娘と読み進めています。が、その内容が斬新で…。

きょう、シリーズ三作目の「モモちゃんとアカネちゃん」を読み終えたのですが、衝撃の内容でした。

三作品目では妹のアカネちゃんが生まれ、モモちゃんが小学生に上がる時期のことが書かれているのですが、2人の子育てと仕事に追われる「ママ」がどんどん疲弊し、体調も悪化して死神まで現れ、ついに「パパ」と離れて暮らすことを選択します。

そんな家族の姿が、子供(モモちゃん)からの目線で、しかし第三者によって語られているのです。モモちゃんシリーズが、こんなに深く、哲学的な童話だったなんて…みなさん、ご存じでしたか?

特に印象的だったのは、おわかれを決意する前に、ママが迷い込む森のシーン。ママは死神から逃げ出す道を聞くために、〝森のおばあさん〟を訪ねるのですが、おばあさんにこんなことを言います。

ママ「くたびれました。死神につれていかれてもいいと、ときどき思います」
おばあさん「わかっているよ、なぜくたびれたかも、わたしにはわかっている」

疲弊して、よろよろとおばあさんの家に向かうママ
(講談社・児童文学創作シリーズより)

なんて示唆に富んだ言葉でしょう。まだまだ続きます。

おばあさんは、暖炉の横においてある植木鉢をさします。植木鉢には、枯れかかった二本の木が植えてあります。

おばあさん「こっちの木がおまえさんで、こっちの木がおまえさんのご亭主さ」「どちらも枯れかかっている」「死神が来たせいで枯れかかっているのではないんだよ。枯れかかってきたから、死神がやってきたのさ」

そして、おばあさんが二本の木を引き抜いて森の土に植えると、ママの木はみるみる生きかえり、すくすくとのびはじめます。

ところがパパの木は、違うのです。枯れかかった葉っぱはしゃんとしますが、なんと歩き始めるのです。しかも、肩のあたりに金色にかがやくやどりぎをのせているのです。(愛人ってことですよね)

右の木が「パパ」でしょうか。この挿絵も斬新です
(講談社・児童文学創作シリーズより)

おばあさん「そして、おまえさんは育つ木なんだよ」「歩く木と育つ木が、ちいさな植木鉢の中で、根っこがからまりあって、どっちもかれそうになるところへきているんだよ」「おまえさんは、やどりぎにはなれない。だからしかたがないのさ」

おばあさんの話を聞き終えて、森をあとにするママは、こんな言葉をつぶやいています。

ママ「どちらも枯れる。それはいけないわ。だから、根分けしなくっちゃ。からまりあった根を分けて、息ができるようにしなくては…」

こうして、ママとパパは「おわかれ」を選択します。とても寂しいシーンですが、モモちゃんはカラリとしていて前向きです。母子三人で暮らすことになったママは、少しずつ元気を取り戻し、はつらつとしていきます。

内容は重いのですが、なぜか読んでいて元気が湧いてくる、明るくなる、そんな不思議なお話です。ちなみにうちの娘はほかのシリーズ同様に、ただただ面白そうでした。モモちゃんと同じ目線なのかもしれません。

これを童話にしておくのはもったいない。みなさんもお子さんに渡すだけではなく、一緒に読んでみてくださいね。




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