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おーすとらりあ旅行

 7月22日(日)から7月30日(月)まで,香港とオ-ストラリアを旅行した。

 今回の旅行のそもそもの目的は,日立造船退職を記念して,7月25日(水)から27日(金)までオーストラリアのキャベラで開かれた,オ-ストラリアGPS協会(The Australian Global Positioning Society)主催のSatNav 2001(Satellite Navigation 2001)に出席することであった。それ以外には,(株)テルヤの杉山社長の依頼により,Indoor GPSおよびPseudoliteの調査をすることであった。

 旅行の準備をすすめていた頃,会社とのトラブルがあったりして出発までの間は,いろいろと多忙な日々を過ごしていたが,なんとか出発にこぎつけた。

 2001.07.22(日),晴,18:20 キャセイ航空で関空を出発。

 日立造船退職のこと,新しい仕事のこと,家の中の整理のこと(会社から届く荷物を置く場所を確保するため)などが重なって,ここ数日はとても忙しく過ごしていた。

 極めつけは,会社が間違って振り込んだと称するボ-ナスを返せ,返さないの争いがエスカレ-トして,賃金の没収を行うとの報せが人事からあったことである。この報せは研究所の総務にもあった。要するに,研究所の職制を使って無理矢理いうことを聞かせようと言うことであろう。総務部長と要素研究センタ-長がやってきた。総務部長の話では,懲戒免職になるかも知れないということである。

 しかし,この程度のことで給料が没収になったり,懲戒免職にできるはずがない。給料の没収をしようとしたら,手順を踏んでやらないとできないはずである。それに,たとえ懲戒免職になっても痛くも痒くもない。仮に懲戒免職になったとしても時代が違うから,すでに再就職先が決まっている筆者にとっては,ほとんど意味がないであろう。

 そこで,「給料没収なりなんなり好きにしてください。そのかわり,民事訴訟で決着をつけましょう」と答えておいた。25日は給料日であるが,彼らの言うように給料没収ができるかどうか楽しみである。
慌しい中で関空を飛び立った。キャセイ・パシフィックに乗ったのは始めてであるが,エコノミ-・クラスは詰め込めるだけ詰め込んでいる感じで,座席の間隔が極めて小さい。その代わりに,各席にテレビ・モニタ-が付いているし,食事も悪くない。関空から離陸したとき,普通ならぐんぐん高度が上がるのに,この飛行機は十分に機首を上げている割には,高度が上がっていかない。パイロットの好みかも知れないが,多分重いのが原因だと思う。格安航空券も考え物だという気がして少し後悔したが,無事に香港空港に到着した。

 香港は初めての上に,着いたのは午後10時過ぎであったので幾分心細かった。入国手続きを済ませて両替に行ったところ,ダウンタウン行きの列車の券も売ってくれる。ここら辺が香港の抜け目のないところで,黙っていてもどんどん進めてくれる。往復は20$割引になるからそれを買えという。そこで,空港と九龍との往復券を買う。九龍駅ではK1というバスに乗ると,ホテルまで連れて行ってくれるという。

 ダウンタウン行きの列車は最新型で実に快適である。英語か中国語が分からなかったら大変だと思うが,多少分かったら大丈夫であろう。九龍駅で降りて,K1のシャトルバスに乗ってホテルに着き部屋にたどり着いたら,12時近くになっていた。Ms. Loからメッセ-ジが入っていたので,早速電話する。Ms. Loは誰かと思ったら,Mr. Maの奥さんであった。カナダのシンポジウムでMr. Maと一緒にいた女性だと思う。明日の午後7時にホテルのロビ-で待ち合わせて食事を一緒にすることにする。

7月23日(月) 晴れ

 今日は日中何もすることがないので,中国語で書かれた本を買いに出る。タクシ-の運転手に聞いても分からない。仕方がないので,香港の中心に連れて行ってくれと頼む。九龍半島から香港島に行くのに,海底トンネルを通って行く。ともかく,香港は人も車も滅茶苦茶多いので,トンネルの中でも車間距離をほとんど取らないで,ビュンビュンとばしている。

 タクシ-が停まった所に本屋があった。しかし,残念なことに置いてあるのは英語の本ばかりである。中国語の本の専門店はないかと聞くと,ホンコン・ブック・センタ-というのがあるから,そこへ行けという。

 人や車の多さと,2階建てのバスや市外電車に見とれてしばらくうろうろしていたが,西も東も分からないので取りあへずタクシ-に乗る。成算があるわけではないが,暑い中を歩いているよりもましである。しかし,ドライバ-はホンコン・ブック・センタ-なぞ知らない。知らないけれど,一旦乗ったら降ろしてはくれない。適当に判断して連れて行ってくれる。自信たっぷりに,目の前のショッピング・センタ-の中にあるという。タクシ-を降りて,ビルの中で聞いてみたところ,ここにはないから元にもどれという。そこで,別のタクシ-を捕まえて乗り込んだが,今度の運ちゃんは大変活発な人物で,自信たっぷりに教えてくれる。確かに大きな本屋があり中国語の本も置いてあるが,筆者が求めている科学技術書はない。乙武さんの「五体不満足」という本の中国語訳があったので買い込む。台湾で講演したのを記念して出版されたものらしい。

 この本屋でホンコン・ブック・センタ-のことを聞くと,すぐそばだといって地図まで書いてくれたが,結局見つけられなかった。今晩,Mr. Maに聞いて明日探すことにしよう。

 有名なスタ-フェリ-に乗って九龍島に渡る。降りた所にマクドナルドがあったので,コ-ヒ-を飲んで一息つく。マクドナルドを出た所に,ハ-バ-・プラザという大変大きなショッピング・モ-ルがあったので見物する。日本ではお目に掛かれないようなものが売られている。真空管式のオ-デオ・アンプとかパチンコの台が売られている。日本でも東京の秋葉原とか大阪の日本橋に行けば,真空管式のアンプを売っている店もあるかも知れないが,いわゆるショッピング・モ-ルでは売っていないと思う。パチンコの台にいたっては,一般の人が買う商品とはならないであろう。

 ホテルに早めに帰ってきたので,Mr. Maに対する質問事項をまとめておく。どういうものか会食の方に重点が行っているが,こちらの本当の目標は調査である。

 7時にロビ-で,Mr. Ma夫妻と会う。北京ダックはどうかというので,ぜひ連れて行って欲しいと言う。こちらでは普通のことかも知れないが,食べきれないほどの北京ダックが出てきた。3人でせっせと食べるが,結局半分残してしまった。Mr. MaとMs. Loは大学の同級生で専門も同じだとのことである。この前,カナダへ行ったのが新婚旅行だったと言う。

 Mr. Maは細め,Ms. Loは太めで,なかなか面白い組み合わせだと思う。質問事項も含めていろいろなことを話す。ホンコンは商業都市国家なので,物造りにはあまり投資されないらしくて,ポストや研究費が得られないのが悩みだとのことである。この夫婦の場合は,夫が民間で妻が官で,妻の働きで夫の研究費を取れる可能性があるらしい。

 食事の後ホテルに戻り,ロビ-でコ-ヒ-を飲みながら雑談する。日本では表面的には男がえばっているが,財布は妻が握っているので,結局は妻が支配していると話すと,Ms. Loがうらやましそうに聞いていたのが印象的であった。

7月24日(火) 晴れ一時スコ-ル

 昨夜Ms. Loに書店の位置を詳しく聞いたので,訪ねて行くことにする。分からない場合は,Ms. Loの携帯に電話を掛けることになっている。教えてもらった場所は,意外なことに,昨日の午後に見物していたスタ-フェリ-の九龍側船着場のすぐ隣というか,その一部の星光行である。

 訪ねて行くと,確かに4階に商務印書館という大きな本屋があって,中国語の本を置いている。科学技術書のコ-ナ-に行って,気象の本と電磁気学の本を買う。そのすぐ隣が軍事のコ-ナ-で,孫子の兵法が置いてあったので一冊買う。中国語の本の専門店は日本にもあるが,目が飛び出るほどの値段を取られる。香港で買うととても安い。多分,中国本国で買うのとほぼ同じ値段であろう。

 懸案が解決したので,マクドナルドでハンバ-ガ-を食べる。有難いことに,マクドナルドの店は世界中どこにでもある上に,品質も一定している。注文もとても簡単で,写真入りのサインボ-ドを見て,その番号を言えばよい。マクドナルドの宣伝どおり,日本で食べるのとまったく同じものが出てくる。

 することがないので,早めに空港に行く。午後7時20分に香港を発って午前6時15分にシドニ-着く予定であるから,時差2時間を引くと9時間のフライトで,今夜は機中泊である。キャセイ・パシフィック航空の狭い座席に押し込められて過ごす。体の大きなオ-ストラリア人にとっては,こんなに狭いと苦痛であろうが,アジア人にとってはなんとか我慢できる。

 睡眠薬代わりに缶ビ-ル一本とワイン一杯を飲む。お陰でよく眠れたらしい。朝食が出されると,すぐにシドニ-に到着する。意外に小規模な空港である。

7月25日(水) 曇り

 昨日までは真夏の香港であるが,今日からは真冬のオ-ストラリアである。とても寒いのではないかと思っていたが,それほど寒くない。半袖のアンダ-シャツ,長袖のYシャツ,毛糸のベストでも,ちょっと涼しいという程度である。

 オ-ストラリアで最初に感じた気持ちは怒りである。シドニ-に着いたのは6時10分頃であった。キャンベラ行きの飛行機は7時40分である。乗り継ぎ時間は十分にある。バゲッジクレ-ム,入管手続きを終えて国内線乗り継ぎに行ったら,予定の便には乗れないと乗客整理係の女性に言われる。7時20分に来いというのに,今はまだ7時15分である。怒り心頭に発して文句を言うと,飛行機はここからは出ない,チェックインをやり直せという。しびしぶ言われるとおりにすると,次の便は満席だから,その次の8時35分の便にするという。本当に頭にきて,1時間半も余裕があったのにどうしてこんなことになるのか,こんな非能率な空港は知らないと怒りまくるが,カウンタ-の女性は済ましたものである。

 そうこうしている内にだんだん事情が分かってきたが,国内線に乗るにはここから別の建物に移動するそうで,ともかくバスに乗るのが先決らしい。シドニ-とキャンベラの間には,25人乗りのタ-ボジェット機によるシャトル便が運行されているので,遅れたといってもせいぜい1時間遅れ程度のことである。お陰で,シンポジウムの開会には間に合わなかったが,10時頃に会場に着くことができた。会場となっているホテルを予約していたので,まずチェックインを済ませて身軽になる。家に電話して無事シドニ-到着を知らせるが,オ-ストラリアは日本より1時間進んでいるだけであるから,とても便利である。アメリカやヨ-ロッパの場合は,電話を掛けるのに大変苦労する。

 コ-ヒ-ブレ-クの時に,航技研の辻井さんと会う。現在,ニュ-・サウス・ウェ-ルス大学のリゾス教授の所に留学されている方で,長基線GPSの研究では,日本のトップにいるまだ35歳の新進気鋭の人である。適当な場所がなかったので,昼休みに筆者の部屋に来ていただき議論する。GPSのこと,pseudoliteのこと,地下街GPSのこと,長基線GPSのことなど,双方猛烈なスピ-ドで意見交換する。自然科学の良いところで,専門のこととなると年齢などまったく無関係である。気がついたら午後のセッションの開始時刻を過ぎていた。

 辻井さんは,基礎からきちっと勉強されている上に大変緻密な人なので,いろいろ教わることが多い。筆者のGPSは,測量協会の土屋先生と辻井さんが師匠である。

 電離層のGPS信号電波に対する影響は,群速度に対しては遅れ,位相速度に対しては進みであるので,大気の影響も同様であろうと思っていたが,大気の場合には,両方とも遅れになるということである。理由はよく知らないけれど,電気的に中性の場合にはそうなるということであった。9月にソルトレ-クで開かれるIONGPS 2001では,これに関連する発表をすることになっているので,とんでもない間違いを未然に防ぐことができて大助かりである。ソルトレ-クで発表する論文の内容の説明をする。電離層遅延は2周波数の計測機があれば確定できることを話したところ,大変興味を持っていただいた。ソルトレ-クでの発表も何とかなりそうである。

 この発表は,どうせ通らないだろうと思って応募したところ,見事に(?)通ってしまったので,あわてて準備しているところで,最近ようやく何とかなりそうな気配になってきたところである。GPSは,筆者の本来の専門ではないので,注意しないと,とんでもない間違いをする危険が常にある。間違いを直した上で,再度見ていただく約束をする。

 講演会と並行して展示会を行っている。見物に行くと,SigNavというオ-ストラリアのベンチャ-がweak signalのことをやっている。weak signalというのは,ビルの谷間や駐車場のようなところでは,GPS電波が弱くなってしまい,通常の受信機では受信できなくなってしまうことを指す。受信機の感度を上げて,こういう所でもGPS電波をキャッチしようという動きが盛んになってきている。我々の所でも,この方面のことをやろうとしているので,早速,話を聞いてみる。

 宣伝担当のRichardsonという人が,熱心に説明してくれる。その内pseudolite(擬似衛星)が大量に必要になるから作ってみたらどうかと持ち掛けると,技術のことはよく分からないということで,社長のDr. Bryanが出てくる。従業員12人のベンチャ-なので焦点を絞ってやっているが,条件が合えばやってもよいという。明日,この件で講演をするので,ぜひ聴いて欲しいという。

 夕方,顔見せパ-ティがある。辻井さんにRizos教授のところの若い人を紹介してもらう。タイのチュラロンコン大学から来ている大学院生が,大変元気が良いのが印象的であった。NavCom社の展示を見ていたら,「うちのDGPS技術は凄いよ!極地域を除いて世界中どこでも1フィ-ト以下の制度で計れるよ」という。パンフレットをもらって帰って読んでみることを約束する。

 NavComというのは,アメリカの巨大農業会社であるJohn Deereの100%の子会社で,この人はそのオ-ストラリア法人の社長らしいが,実に気さくな人である。

 前日が機中泊であったので,さすがに夜になると疲れが出てくる。早めにパ-ティを抜け出して休む。

7月26日(木) 小雨

 朝早く目が覚めたので,辻井さんと約束していた原稿の間違い直しをする。意外なことに,もっと良い結果が得られた。

 家に電話して給料がどうなったか聞いてみる。いつもと同じように振り込まれているという。給料没収というのは何だったのだろうか?法律的に不可能なことは明らかである。要するに脅しを掛けたのであろう。脅しで人を管理しようなんて,まったく言語道断である。研究所の幹部には,筆者の首がつながっているのは,人事をうまく説得しているからだという趣旨のことを以前言われたことがある。恩着せがましくこういうことを言う管理者は困ったものである。

 S社の社長の講演を聞くが,主義主張が明確でなかなかよい。非常通報者は位置を報せねばならないというUS E-911 mandateという米国の規則ができるので,携帯にGPS受信機が入るのは時間の問題だという。大変有能で,チャレンジ・スピリットに富んだ人である。

 夜,近くのワイナリ-でパ-ティが開かれる。自社製のワインを飲ませてくれるレストランをやっていて,そこが今晩の会場である。オ-ストラリアは広い国だから,さだめしゆったり座ると思ったら,テ-ブルの間隔が大変狭い。お互いに肩が触れそうな感じである。話してみると,皆とても人懐っこくて親切である。和気あいあいのなかなかよい雰囲気である。なんだかロンドンの下町で飲んでいるような感じである。もっとも筆者はパブで飲んだことはないが,そんな感じがするのである。

 同じアングロサクソンの作った国なのに,アメリカとオ-ストラリアはどうしてこうも感じが違うのであろうか?アメリカ人によくある自己主張の激しさがまったくない。だから発表でもほとんど質問が出ない。何か聞くと,にこにこして大変丁寧に教えてくれる。アメリカではいたる所で小錦クラスの肥満者を見かけるが,そういう人はほとんどいない。心も体も健康な気がする。アメリカ人のとんでもない肥満は,孤独と絶望の裏返しのような気がすることがあるが,ここではそういう感じが希薄である。

 国の成り立ちも,国王に反旗を翻して英国とは違う自分たちの新天地を築いたのがアメリカならば,国王の支配の下に新しい生活の場,すなわち英国的なものの拡大を求めたのが,オ-ストラリアなのであろうか?

 人間の中の二種類のグル-プ,すなわち自我の実現を求めて止まない個人主義的な人たちと,隣人愛に富んだ家族主義的な人たちが,アメリカとオ-ストラリアを作ったように思える。素人の解釈で独断かも知れないが,そんな気がする。

 テレホン・カ-ドが切れたので,フロントに聞くとダウンタウンに大きなショッピング・モ-ルがあって,そこで売っているという。10分くらいで行けるというので,昼休みに出かける。言われたとおりに行くと,確かにいろんな店がある。結構,賑わっていて,ぴちぴちした若い女の子が沢山いる。シンポジウムの会場にばっかりいると,いろいろな所を見落としてしまう。

7月28日(金) 小雨,快晴,小雨

 今日の午前中でシンポジウムは終わりである。辻井さんの発表は,午前の最初のセッションの二番目である。いつもはラフな服装をしているが,今日はビシッと背広を着込んでいる。質問も1件出たが,危なげなく終わる。

 シンポジウムの終ったあとで,クイ-ンズベリィ大学のクビック教授に質問する。質問を大変喜んでくれて,シンポジウムでは話さなかったことを教えてくれる。何故かというと,クビック教授のやっているのは,軍事研究に関連があって,公の場ではその部分の話はできなかったからとのことである。GPSの電波を使うと,パッシブタイプのレ-ダ-ができるので,軍事的に非常に重要な技術開発ができるという。言われてみると、確かにそういうことはあり得る。GPSの測位以外への応用に常々興味を持っている筆者にとっては,大変大きな収穫であった。

 シンポジウムの後で,辻井さんたちは研究室の仲間とスキ-に行くという。キャンベラの緯度は35度であるから東京や大阪と同じであるが,真冬というのに少しも寒くない。摂氏15度位で滅多に雪も降らないということである。夏はとても暑いというので,聞いてみたら,25度とのことである。しかも湿度も低いというから,気候的にはアメリカの西海岸と同じように大変過ごし易い所のようである。おまけに今のオ-ストラリアは物価が非常に安く,物によっては日本の半額と思う。人々も大変親切であるから,筆者はオ-ストラリアが大変気に入ってしまった。日本から移住したいくらいである。いろんな外国を訪れたが,本当にこういう気分になったのは,オ-ストラリアが初めてである。

 シンポジウム終了後に,近くの天文台に観光に行く。天文台のある所に着いたら,まず腹ごしらえのために食堂に入るが,例によって,ここでも狭い場所に固まって坐る。あたかも羊の群れが肩を寄せ合っている雰囲気である。オ-ストラリア人は体格がよいが,そういう大きな人たちが,お互いにくっつき会って坐っていて,通路はほとんどない。余程こういう雰囲気が好きなんだろうか?体が触ったからといって,目くじらを立てることもない。気楽に体を触れ合っている。

 食事の後で天文台を見学する。年代物の反射望遠鏡と屈折式望遠鏡,それと人工衛星の軌道計測を行うサテライト・レ-ザ-・レンジングという装置を見るが,実にのんびり見て回る。

 夕方,ホテルで自転車をレンタルして,ダウンタウン見物に出かける。南米料理のパスタを注文するが,塩辛いのに往生する。筆者は方向感覚が鋭くないので,すぐに迷子になるが,幸いにしてホテルの看板が遠くから見えるので,何とか帰って来ることができた。


7月29日(土) 快晴

 今日は列車でシドニ-に移動する予定である。シドニ-までは4時間弱の旅である。ホテルのカウンタ-に頼んで切符の手配をしてもらう。タクシ-でキャンベラ駅に行く。シンポジウムの間は,会場となったホテルでほとんど過ごしていて,観光の時間がなかったので,タクシ-に寄り道をしてもらって,国会議事堂の周辺を見物する。人工的に作られた町なので,建物が整然と配置されている。静かで美しい首都である。タクシ-のドライバ-が実に気のいい人物で,いろんな説明をしてくれる。

 12時近くに駅に着く。飛行機と同じように手荷物を預かってくれる。ホ-ムにはディ-ゼルカ-が待っている。早速乗り込んで発車を待つ。4両くらいの小編成の列車なので,車内で昼食が取れないかも知れないと心配になったので,同じ車両に乗り合わせた筆者と同年輩の乗客に聞いたところ,自分も車内で昼食を取るつもりだから心配ないという。そのうち案内があるという。

 定刻になって列車が出発する。少し走ると牧場がえんえんと続く。さすがに牧畜の国である。広い牧場に,牛が寝転がっていたり,羊が群れになって跳び回っている。のどかな景色に見とれていると,車内アナウンスがあって弁当の紹介をしている。しばくすると,係りのものが注文を取りに来る。数種類用意されていて,好みのものを注文すると引き換え用の名札をくれる。しばらくすると,食事の準備ができたので取りに来いという。ビュッフェで弁当を受け取り代金を払う。

 4時頃シドニ-駅に着く。駅からタクシ-でホテルに移動するが,静かで落ち着いた町である。ホテルにチェックインしてから,町の見物に出かける。2,3のホ-ムレスを見かけるが,ちり一つ落ちていない。町を歩いている人々もきちんとしている。どこの大都市もどこか薄汚れた感じがするが,この町にはそんなところがない。次にオ-ストラリアに来るときは,シドニ-をじっくり見てみたいと思う。

 明日,シドニ-を発って香港で一泊した後に大阪に帰る。あっという間の8日間であった。

(2001.07.29-08.28)

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