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生きづらさの訳――「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読んで

書店にいる時間が好きだ。装幀のきれいな本を眺めたり、気になるタイトルの本のページをめくったり……店員さんに声をかけられることなく、心ゆくまでお気に入りを選ぶことができるから。POPが本選びの助けになることもある。

「東京に納得している人は読んでもおもしろくないと思います。若林正恭」

先日、新刊の文庫の平積み台に置かれた若林さんの直筆っぽいPOPとタイトルに惹かれて手に取ったのが、この本だった。思うツボだったかもしれない。

若林さんは言わずと知れたオードリーのツッコミ担当。番組のMCでも、クスッと笑えるおかしみのあるコメントが私はちょっと好きだ。そんな若林さんのキューバ紀行文。行き当たりばったりの珍道中かと思いきや、全く違っていた。

そもそも何故ひとりでキューバに行ったのか? 

若林さん曰く「自意識過剰でプライドが高く、協調性もない」自分。その欠落のせいで、ずっと生きづらい思いをしてきたという。でもそれは、競争と分断という日本の社会システムの枠組みの中での生きづらさだったことに気づき、別の枠組みの国を見てみたいと思い、社会主義のキューバに行こうと思ったと書いている。「知ることは動揺を鎮める」という名言とともに。

周到な準備をしてキューバに旅立った若林さんは、しかしひとりではなかった。革命博物館でカストロや革命軍の展示品を見ていたときも、カバーニャ要塞で暑いなか寝そべっている野良犬が、東京で見かけるセレブ犬よりもかわいく思えたときも。

若林さんは、少し前に亡くなったお父さんとずっと一緒に旅をしていたのだ。スマホの中のお父さんに語りかけながら。キューバはお父さんが行ってみたいと思っていた国でもあったという。

筋金入りのファザコンのぼくは、世界で一番の味方を失ったんだ。

キューバに悲しみに来たのに、お父さんをより近くに感じるようになったという。生きづらさから自由になれる場所がある、家族という絶対的な味方がいるというのは幸せだ。人を信じる強さが持てるから。私もずっと生きづらさを抱えて生きてきた。競争社会の枠組みなんて関係があるのかさえわからない生きづらさ。自意識過剰で被害妄想で何の取り柄もない。人の顔色を窺いながら、曖昧な笑みを浮かべてその場をやり過ごす日々。家族も自分の味方ではなく、居場所がなかった。人を信じる強さを持てぬまま、消えてなくなりたいと願いながら、それさえ叶わない。そういう人は多いと思う。

でも若林さんは日本の社会システムについて勉強することから始め、自分の内面に目を向けて生きづらさの正体を探っていく。回り道をしながらも心を許せる友との関係を築き、勝ち負けではない次元の仕事に出合っていった。そういう世界を持てれば、生きづらさはあってもなんとかバランスがとっていけるのではないだろうか。

だからこれからも東京で生きていく。東京でなければダメだと言う。お父さんが生きて死んだ街だから。若林さんは強い人なのだ。優しい人なのだ。


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