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人間進化 ~生命の等式~ Ver. 1.1

IMAGINEに込める願い

Imagine all the people』これは1971年に発売されたJohn Lennonの楽曲『Imagine』の歌詞にある一節です。39年経った今も色褪せませんが、2020年になった今は『Imagine all the life / existence』と言い換えることが出来るかもしれません。

なぜならば、技術の発展により、100年後には人類だけではなくロボットや人工知能などが無機的生命体へ進化することや、環境破壊による突然変異により、有機生命体がこれまでにない進化を遂げることが考えられ、『想像する』という行動は、必ずしも人類だけのものではなくなるかもしれないからです。人間は、人類を超えた『いのち』として、超えて含むように進化を続けているのです。

一方で、John Lennonが歌った『And the world will be as one』というあらゆる主義を包摂し得る世界観は、2020年になった今も多くの人間に認識されずにいます。

IMAGINEは、すべての『いのち』がImagineで奏でられている『生かされ方(しせい)』を実践することで、世界がまるで1つになることを願い、『すべてのいのちに大切にして欲しい考え方(いのち=しせい)』を紡ぎました。

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私たちはこのままでいいのだろうか

Imagine

このJohn Lennonの『Imagine』で繰り返し歌われる人間に対するシンプルで、どこか温かく、どこか強烈な問いかけは、時代を超えて今も私たちの心の奥を見据えている。

10年程前から、この時代は『VUCAな時代』と言われるようになった。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)、先が見通せない時代だったとして、それは私たちにとってどういう意味があるのだろうか。

P(政治)、E(経済)、S(社会)、T(技術)、E(環境)、L(法律)の視点で『マクロ環境』を捉えたとして、それは私たちにとってどういう意味があるのだろうか。

事実とデータでみると社会はよくなっているとして、それは私たちにとってどういう意味があるのだろうか。

それっぽいFramework(枠組み)に当てはめて、それらしく数字や根拠を作って語ることが出来たとしても、それは人間にとって都合がよいように世界を切り分けているだけに過ぎないのではないだろうか。

今の世界は、未来の地球環境と子供たちに歓迎されるものだろうか。
私たちは、大切なことを大切に出来ていると言い切れるだろうか。
私たち次第で創れる未来とは何だろうか。

少なくとも私たち人間はたくさんのいのちをいただいて成り立っている。あたりまえのことに感謝すれば、すべてのいのちはつながっていく。

私たちは人間であると同時に、うつろいゆくひとつのいのちである。
そう想像すると、現代社会からは私たちにとって大事なことが漏れてしまっているのではないだろうか。例えば、100年単位の長期的な視座。例えば、人間を超えたいのちの視座。例えば、地球を俯瞰した宇宙の視座。

私たちは、このままでいいのだろうか。

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100年先も歓迎されるギフトとは

空のように美しい世界をつくろう。

空は境界線も、上も下もなく、ありのままを受け止めて、ただ広く、高く、私たちを包む。

誰もが一度くらいはきれいな青空に救われた日があるのではないだろうか。

雲間から射す一筋の太陽の光、それだけでどうにかなるさと思える時もあれば、眩しすぎて目を閉じてしまう時もある。そもそも空を見上げる心の余裕すらない時だってある。緑を青々とさせる恵みの雨もあれば、外出中に見舞われる憂鬱な雨もある。

同じ空でも、日によって違って見えるのはなぜだろうか。

うつろう空が、ただ在るだけ。

その空を美しいと感じるのは、私たちの心の在りようだ。同じように、この世界が美しいかどうかも、私たちのとらえ方次第である。

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では、どのような心の在りようで、世界をとらえればよいのだろうか。

これからは上記スライドの右側に、意識をより傾ける在りようが求められると言われている。しかし、光があれば影もあるように、陰陽が2つで1つであるように、意識は決して右側だけに留まり続けては居られない。まるで空の様に、心も日々うつろいゆくのである。

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それが人間である

私たちには煩悩がある。その煩悩につけ入るように、私たちの生活に大きな影響力を持つ国家や、資本主義経済の運営が歪んでいるように思えてならない。

国益にこだわることは理解できるが、自分は得して相手が損するのがいいのだろうか。右肩上がりで経済成長を目指す気持ちは理解できるが、地球資源が限られている前提がある中では、目指す先は異なるところではないだろうか。華やかに飾られた広告やショーウィンドーを見ていると、つい購買衝動が知足を置き去りにするが、それは本当に欲しいものなのだろうか。

ただ毎日が過ぎていく。忙しく予定に追われて、気づけばあっという間に1日が終わる。煩悩ゆえに、意識の均衡を保つのは難しい。


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人間進化が必要である。
それは意識の均衡を保つのではなく、煩悩を包摂し矛盾を止揚する心の在りようで、世界を美しく捉えられるように進化することである。

それが何不自由ない恵まれた時代に生まれ育った私たちだからこそ深められるテーマではないだろうか。

すべての人間は、人類の歴史の上に生かされている。施されたら施し返す。恩返しならぬ恩送り。小欲ではなく大欲である。

100年先も歓迎されるギフトとして人間進化を突き詰めたい

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人間進化 ~生命の等式~ とは

And the world will be as one』これが『Imagine』の歌詞の最終節である。

世界はまるで1つになるだろうという展望であり、この歌の世界観の核心となる考え方である。これはPeople(人間)という存在を、すべてのlife / existence(いのち/存在)に拡張し、1つのlife / existence(いのち/存在)と捉えれば、世界はまるで1つになるだろうと解釈することが出来る。

人間が特別ではないとも言えるこの考え方こそが、人間進化を加速させる
であろう。大乗仏教の経典の1つである華厳経に、一即多 多即一という教えがある。これは「宇宙の中の全てはお互いに交じり合いながら流動しており、”一”という極小の中に”多”すなわち無限大、一切が含まれ、無限大、一切である”多”の中に"一"という極小が遍満している。」という意味を持つ。時空を超越した捉え方になるが、現代社会には、このような深遠な捉え方が求められているのではないだろうか。

宇宙という視座から想像すると、こんなにも美しい地球がただ在るだけなのに、現代社会という視座から世界を眺めると曇って見えてしまう時がある。これは現代社会が人間中心につくられているからではないだろうか。21世紀の仕事はどんな仕事であっても、本来はいのちを輝かせるための手段であるはずなのに、現代社会では気づけば仕事の目的は、稼ぐこと、不自由なく暮らすことにすり替わり、窮屈で、醜い世界が目に入りやすくなってしまっている。

お釈迦様の手のひらを筋斗雲で飛び回る孫悟空のように、アインシュタインが「手段の完璧さと、目的の混乱。この2つが私たちの主な問題に見える」と言葉を残したように、私たちは未だに混乱している。視座や目的を見失った解釈という色眼鏡が、世界を曇らせているのではないだろうか。

私たちは、もっと美しい側面が見えやすくなるように、そしてこの世界がまるで1つに見えるくらいに進化する必要がある。色眼鏡を外し、本来の景色を眺めるためには、どうすればいいだろうか。

ビジネスパーソンにも、社長にも、教授にも、専門家にも、職人にも、学生にも、宗教家にもならなくていい。形式的な資格も、官僚的な肩書も、三枚目の名刺も、キャリアのポートフォリオも欲しがらなくていい。

何のラベリングもなく、「ただ私は“わたし”でいたい。」同時に、「すべての生きとし生けるものと一つであると感じられ、感謝できる“わたし”でいたい」という、心の奥深いところに眠る本当の願いに、素直に、自然になればいいのではないだろうか。

私たちがつい求めてしまう『しあわせ』も、混乱を招く大きな要因である。

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『しあわせ』という概念は厄介なものだ。
そもそも『しあわせ』とは一体なんだろうか

一般的に羨望を集める『しあわせ』と言えば、高い学歴、高い収入、マイホーム・カーの購入、結婚/出産、大量の「いいね」のようなものだろう。しかし、そんな表面的なもので人の幸福が決まるのだろうか。

何一つなくとも、満面の笑みで「しあわせです」と言える方がよっぽどしあわせそうだ

私たちは、そういう価値観に回帰してきている。もちろん、『しあわせ』の定義は人それぞれだが、あなたにとっての『しあわせ』とは何だろうか

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私たち人間の『しあわせ』とは何だろうか。
本当に価値あることとは何だろうか。

例えば、
「またあした」残された時間があるということ。
「いってきます」体と心が健康に動いているということ。
「おかえりなさい」帰ってくる場所、返ってくる声があるということ。
「いただきます」美味しく食事をするということ。
「きれい」目の前にある景色を愛でるということ。
「よしやろう」夢や目標に向けて情熱を注ぐということ。
「だいじょうぶ」失敗を受け止めるということ。
「はんぶんこ」喜びも悲しみも分かち合うということ。
「おかげさま」つながりによって生かされるということ。
「ありがとう」いのちの醍醐味を味わうこと。

物質的に恵まれた私たちは、『しあわせ』とは『繋がり』という『関係性』であり、それらは既にそこにあるものだと直感しているのではないだろうか。この『繋がり』という『関係性』は、『いのち』を成り立たせてくれるヒト、コト、モノすべてを対象としている。

幸福学では、しあわせな状態の人は、創造性が高く、生産性が高く、利他性が高く、やる気があり、チャレンジ精神があり、健康であり、長寿である等々と言われており、その人生において、たくさんのいいことが起きると言われている。『しあわせ』とは要因でもあり、結果でもあると言える。色眼鏡を外して『しあわせ』を捉え直してみると混乱は収まり、本来の景色が観えてくるのではないだろうか。

心の奥深いところに眠る本当の願いがざわつくようであれば、いよいよ「The world will be as One」という深遠な世界観を捉えはじめているのではないだろうか。

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心の奥深いところに眠る本当の願いに目を向けて、人間進化を進めるためには何が必要だろうか

それは、人間を謳歌する『しせい』である。
つまり、人間として生まれてこられたこと、それ自体が『しあわせ』であると認識し、人間であることを大いに味わい、周囲とその喜びを分かち合えばいい。

人間だからこそできるメタ認知で、人間を含めたすべての生きとし生けるいのちの循環を具に洞察し、学び、愛おしめばいい

そして、「個人として、人間として’生きている’」という捉え方ではなく、「いのちの循環の一部として”生かされている”」と捉えるといい

本物のリーダーは、みな『しせい』よく『生かされて』いる。『しせい』よく『いのちの循環』と向き合っている。

日々どう『生かされる』のか、日々どう『いのちの循環』と向き合うのかは、あなたの『しせい』によって決まる。

ここで『しせい』を敢えて、ひらがなで記載するのは、姿勢だけではなく、死生、詩性、自省、思誠、至正、自成、至誠、自生など『しせい』は「死と生を重ね合わせて生き、自分を省みれば、誠の自分に至る」という意味合い持つたくさんの漢字を有しているからである。

日本語の「いただきます」「ごちそうさま」は、分かりやすい『いのち』に対する敬意と感謝の『しせい』である。

西洋に古くから伝わるラテン語に、Carpe diem(カルペ・ディエム)「今日という日を摘め」という言葉がある。また、memento mori(メメント・モリ)「死を忘れるな」という言葉がある。生と死、スポットライトの当て方が違う2つの言葉だが、どちらも『いのちに向き合うしせい』を諭すような言葉である。

東洋に古くから伝わる仏教には、諸法無我 諸行無常という言葉がある。「すべてのものに実体はなく、移ろいで行くもの」という教えである。さらに大乗仏教の経典の1つである般若心経には、色即是空 空即是色という言葉がある。目に見えるもの、形づくられたものは、実態はなく空・宙であるという教えであり、この教えからすると自分とは空・宙となる。

時空を超越してこれらの言葉、教えを深めていくと、『いのち=しせい』というシンプルな等式にたどり着く

この『いのち=しせい』という等式は、『すべてのいのちに大切にして欲しい考え方』であり、人間進化はこの考え方の共有により加速する

実は、この考え方は1つの国、地域、宗教という人間が造ったCategory(分類)を超えて、世界中で何世紀も前から言われてきたことである。

例えば、環太平洋の先住民族にも深く沁み込んでおり、彼らは『いのち=しせい』をとても大切にして生かされている。

また、北欧のHygge(ヒュッゲ)、Lagom(ラーゴム)という文化にも『いのち=しせい』が深く沁み込んでいることも見逃せない。

さらに仏陀釈尊の遺言といわれる経典である遺教経には、吾唯知足(ワレ タダ タルヲシル)という言葉があり、『いのち=しせい』という考え方は、中国、日本にも深く沁み込んでいた。日本においては、龍安寺の蹲踞が有名であり、茶道を通じて広く伝わっていたが、残念なことに高度経済成長期頃から、日本人はこの考え方を見失いがちである。

つまり、私たち人間は、『いのち=しせい』という考え方を随分と昔から知っている。それなのに、どうしてすぐに忘れてしまうのだろうか

今からでも遅くない。目の前にある美しさ、目の前にある命の循環を愛でるように生きよう

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どうすれば、いのちの循環を愛でる生かされ方ができるのだろうか

まず、呼吸を整えて、体を調えて、心を調えて、自分を知るということ

禅やヨガの世界観。仏教でいう「空」、老荘思想でいう「道」。究めれば究めるほど先には先があるので、極めるのは難しい。

だからこそ出来ることから始めたらいい。自分らしさを知り、認め、自然に生かされること。そこに意識を向けるだけでも、この世界は変わる。


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次に、その時その時の環境に敬意と感謝を持ち、自然に生かされる自分との関係性を味わうこと

時が満ちれば、また呼吸を整えて、体を調えて、心を調えて、自分を知り、認め、自然に生かされること。これを繰り返すことで、己を知ることが深まり、同時に周囲との関係性への敬意と感謝の気持ちが溢れだす。

目の前の相手の今この瞬間を、ありのまま受け止められるようになる。ありのままの周囲を、ありのままに受け止められるようになれば、もっともっと自然な自分でいられるようになる。リーダーは自然体であるということにも繋がる話である。

なお、ここでいう自然は、シゼン(Nature)ではなくジネンであり「自ずから然(しか)らしむ」「あるがままの状態」である。

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それらを一所懸命に繰り返していると、成人学習理論でいう知性、意識に構えが涵養される。その継続により『しせい』は調っていく。影響力を有するリーダーには成人として高い知性、意識発達を期待したい。

『しせい』が調う時、まるで光が差すかのように、最初から計画されていたかのように、素敵な偶然が舞い込んでくる。不思議な話である。

この不思議な話は、70年代のイギリスの小説に出てきたセレンディピティという考え方に近い。また科学の古典とも言われる古代中国の易経にも、これに近しい教えがある。

古くて新しい話では、IKIGAIという概念がある。欧米の研究者が、日本語の生き甲斐という言葉を、日本、沖縄の長寿の理由の1つとして言及したことで、2000年以降に欧米でも広く知られる概念となった。この概念は瞬く間に世界に広がり、『しせい』が調っていると自然とエネルギーが舞い込み、寿命さえも延びるという根拠は、世界中で今も探求され続けている。

さらに興味深いことに、まるでSF映画の世界が実現するかのように、一般相対性理論と量子力学を統合する量子重力理論が、時を経て、それらの真理を示そうとしている。

『しせい』が調っていると、ふいに舞い込んでくる偶然というギフトを疑わず、素直に喜び、ありのままに受け止められるようになる。

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偶然というギフトを受け取ると、自然と熱量が高まる

その熱量は、一隅のいのちを照らす光となり、やがて『ぬくもり』に変換されて、いのちを癒す。

謳歌されたいのちは光となり、まるで熱力学に従うように、一隅の『いのち=しせい』を照らすということである。本物のリーダーは自然体で、論理だけではなく情熱、熱意、執念、気概、覚悟という前向きな熱で関係性を変容させて、多くの人を動かすということにも繋がるのではないだろうか。

周囲との関係性に感謝しながら、自然に生かされること。それが人間の知恵であり、人間(Homo sapience)である由縁である。

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人間は人間に由り地球環境という『いのちの循環』を歪めてしまった。私たちの『しせい』が悪かったのだ。

今こそ、私たちには『いのち=しせい』という等式が求められている。この人間中心の社会を超える等式こそが、100年先も歓迎されるギフトである。

『いのち=しせい』とは『世界はまるで1つであるような生かされた方』であり、『自分を知り、周囲を知り、人間を知り、自然を知り、自然に感謝し、自然と調和し、いのちの循環を愛でる生かされ方』である。

『生かされ方』とは時間の使い方、いのちの使い方という『しせい』であり、『しせいを調える』ことで『人間は進化』する。

『人間の進化』とは『人間を謳歌すること』からはじまり、『人間を謳歌する』とは『いのちに感謝し、その循環を愛でること』である。

『いのちに感謝し、その循環を愛でる』とは『自分を知り、周囲を知り、人間を知り、自然を知り、自然に感謝し、自然と調和し、すべてのいのちは1つと認識し、生かされるしせい』であり、『調ったしせい』である。

『調ったしせい』とは、『わたし=あなた=いのちという認識で生かされるしせい』であり、『煩悩を包摂し矛盾を止揚する心の在りよう』である。

『煩悩を包摂し矛盾を止揚する心の在りよう』とは、『世界はまるで1つであるような生かされ方』であり、『人間に由ることを超えること』である。

『人間に由ることを超えること』とは、『いのち=しせい』という等式そのものであり、『すべてのいのちに大切にして欲しい考え方』である。

厳密にいえば、『しせい』を調え続けるという時間と、すべての『いのち』がこれを認識するという空間を超えられない限り、現時点では『いのち≒しせい』である。しかし、この未完成の等式が熱を帯び、時空を超えることで、『いのち=しせい』という等式は証明され、あらゆる主義を包摂する考え方となる。

空のように美しい世界をつくろう。
人間を謳歌しよう。いのちの循環を愛でよう。
人間に由ることを超えよう。

And the world will be as one
これにより世界はまるで空のように美しくなる。

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IMAGINEがやることとは

観念的、スピリチュアル、ユートピア、夢想家と思われるかもしれない。
しかし、どんな小さな波紋でも、重なり合えば自然と大きく広がっていく。不自然は継続しない。机上で計算するTrochoid(トロコイド)を超越する波の群速度のように、この波はゆっくりと確実に広がっていく。古来から伝わるCabbala(カバラ)数秘術や易経の教えにあるように、1周期が9~12年という単位で、一人の寿命では体感できない長い期間で、この波はゆっくりと確実に広がっていく。

なぜならば、We're all equal before a waveというサーファーに愛される言葉にもあるように、一即多 多即一という華厳経の教えにもあるように、ImagineでJohn Lennonが歌ったように、そもそも私たちは1つだからである。「何様だ」と思われるかもしれない。しかし、俺様でもお互い様でもない。皆様、おかげ様なのである。『いのち=しせい』なのである。

IMAGINEがやることとは何だろうか。
少なくとも同じような感性、同じような視点で世の中を観ている人はすでにいる。観ているだけではなく、実践して小さな波紋を起こしている人もいる。実践し失敗してもめげないで、実践を続けている人もいる。

IMAGINEは、そうやって生きる人たちを『IMAGINER』と呼び、彼ら/彼女らの実践的な『生かされ方(いのち=しせい)』を共有する。

「知らない」と「知る」、「できる」と「やる」、「やる」と「やりきる」は程度が違う行動である。失敗学に失敗は成功の素とあるように、禅僧が聞思修を修思聞と捉え直して修行するように、まずはやってみることから深めていく。

そして、ImagineのAnd the world will be as one』という世界観に基づいた共創、共育、共生の循環を、たくさんのIMAGINERSと生み出していく

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そのような想いでIMAGINEは始動します

IMAGINE LIFEの実現。
それは私たちの『生かされ方(いのち=しせい)』次第です。
あらゆる『いのち』が一隅を照らすことで、世界はまるで1つになり、空のように美しくなる。そう信じています。

志と感謝はLENSAします。
Imagine all the life / existence』 

少しでも共感いただけるようであれば、形式は問わず、共に創り、共に育ち、共に生きましょう

ここまで目を通していただきまして、ありがとうございました。本意の伝達は、今のIMAGINEの言語能力では限界があります。不立文字には至りません。だからこそ少しずつ内容を更新すると共に、Ver.2として、より具体的な「やっていること」も共有します。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

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