優しさが流れるように。前編 劇団「水中ランナー」 座長 堀之内 良太 さん
最近、映画館へ足を運ぶことにハマりました。
ソーシャルディスタンスの観点から「隣に誰も座らない」ので快適であることも影響しているかもしれません。
自宅だと、ついつい家のことや、LINEのメッセージなどが気になって、物語に集中できないことがよくあります。それが一度、大きなスクリーンがある箱のなかに入ってしまうと、集中せざるをえない。あの空間、好きです。
そんな映画よりも、もっと「人」が間近に感じられる舞台演劇。そんな舞台を作っている一人の座長に、お話をお伺いしました。
今回お話をお聞きした、堀之内良太さん。宮崎県出身。舞台役者であり、演出・脚本も務める。劇団「水中ランナー」を2014年に旗揚げ。先日、新作公演「5秒ぐらい死んでもいいかなって思った事がある」を終えたばかり。
たまたま、
東京に出てくることになった。
──今日は、よろしくお願いします。堀之内さんは、宮崎出身とのこと、いつから東京に出てきたのですか。
18歳の時、大学入学のために東京に出てきました。実は、高校3年生の時、地元近くの国公立大学に行くつもりだったんです。模試の結果がA判定で、楽勝だろと思って、受験に挑んだら不合格で…。たまたま滑り止めで東京の私立大学を受験していて、そこが合格していたんです。浪人する勇気もなかったので東京に出てくることに。もし、福岡の大学に合格していたら、上京していなかったと思います。そしたら今頃、福岡で演劇をしないで、会社員として働いていたかもしれませんね(笑)。当時は役者になろうなんて1ミリも思っていませんでしたから…。
「好きなことを職業にしていいんだ」
という衝撃。
──当時は、役者になるとは1ミリも思っていなかったのですね。そこから演劇を始めたきっかけは、どんなものだったのですか。
高校時代がすごく楽しかった反動もあってか、大学生活に楽しみを見いだせなくて、映画にハマっていきました。当時の自宅近くのTSUTAYAで、アイウエオ順に並んだ映画のDVDの「あ」欄からはじめて全部借りて観ていました。映画って、すごい面白いなと。だけど、それが職業になるなんて思ってなかったんですよね。
そんな時に、宮崎にいた時の同級生が「私、歌手になる!」って急に言い出したんです。それ聞いた時「えっ?」みたいな衝撃を受けました。音楽が好き、映画が好き、そういう「純粋に好きなこと」を職業にしていいんだと雷に打たれたような感覚でした。そこで、「役者やってみようかな」と単純に思ったんですまず最初のステップとして、俳優のオーディションを受けてみることにしました。
──ご友人の一言で「好きなことを仕事にする」という選択肢があることがわかったと。でも、すごい行動力ですね。
当時、ほかに何かやりたいことが、見つけられなかったということもあります。上手くいくかはわからないけれど、とりあえずやってみようと思いました。それで、オーディションに受かった事務所がまぁブラックと言いますか、大変だったんですよ(笑)。詳細は割愛しますが、当時の芸能関係の事務所では、そういうことは、たくさんありました。そこから何個か事務所を転々とすることになりました。最後に移籍した事務所が、舞台系に強く、たまたま舞台をやることになったんです。年間に何本も出演させて頂いて、そこで舞台の面白さにハマっていきました。
どうせ辞めるならば、
好きな人たちと、好きなことをやろう。
──最後に移籍した事務所の影響で、舞台の世界に入っていった。舞台の世界にたまたま、ご縁があったんですね。
そうなんです。俳優になろうとは思っていたのですが、舞台の世界で活動するということは、イメージしていませんでした。そこから舞台の世界に入っていくのですが、実際に入ってみると、この業界は本当に厳しい。楽しさはもちろんありましたが、打ち合わせや稽古があるから、深夜にアルバイトするしかありませんでした。結構カツカツでしたね。加えて、当時は公演の度にチケットノルマがありました。年間に何本も出演させて頂いていたので毎回、知り合いに「今度来て」といつもメールをしていたら、段々と返信が来なくなってしまって…。人間関係もギクシャクしていきました。何年かそういう生活を続けていたのですが、これは続けられないなと思ったんです。そこで、どうせ辞めるなら、好きな俳優さんを集めて、好きなことをやってみようと腹を括ったんです。そこでつくった劇団が「水中ランナー」です。
立ち上げる際には、金銭の持ち出しは一切しないと決め運営し始めました。さまざまな工夫をして、運営費をできるだけ抑えましたね。自分たちでセットを作ったり、みんなでスタッフを担ったり…。最近は、ようやくスタッフさんを外注という形でお願い出来るようになりました。やっと、ちゃんとスタートが切れたなと考えています。また、ありがたいことに、他の劇団さんから、プロデュースのご依頼もいただくようになってきました。今までの脚本や演出の経験が、生きてきています。
──すごいですね。立ち上げ時に「どうせ辞めるなら、好きなことをやってから」と腹を括ることは容易ではないと思います。
今ではこんな風に語ってますけど、最初の5、6回公演までは毎回、終わった後に劇団を続けるかをメンバーで決めていたんですよ。千秋楽の後に焼肉に行って今後、続けていくかを話し合っていました。ありがたいことにお客様も増えてきて、年間2回はやりたいとなってきたんです。そうなると、千秋楽の後に次の公演場所を決めていると、場所が取れなくなっていて…。そんな感じで前もって劇場を抑えるようになり気づいたら、続けていくことが前提となっていきました。
結局、当時から舞台が好きだったんだと思うんですよね。舞台に出ている自分が好きだし、その空間が好き。一度「もう続けられない」と思った時も、「でも、もしかしたら、まだ続けることができるかも。続けたい!」と思う自分がいたから、劇団を旗揚げしたんだろうなと思います。
後編へつづく
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