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第1話:アジア太平洋地域における広域FTA・EPAの活用のために

重なり合う原産地規則の実態と問題点


はじめに

メガEPA協定をめぐる我が国だけが享受できる好条件

 アジア太平洋地域に広域FTA・EPAを構築するに当たっては、我が国のみならず巨大市場を提供する米国、中国、インドが共に参加することが望ましいのですが、現時点においては困難です。このうち、我が国、中国、インドが参加して交渉が進んだ地域的な包括的経済連携協定(以下「RCEP」)は、最終的にインドが離脱したまま、我が国、中国を含む10ヵ国で2022年1月に発効しました。その後、韓国(2月1日)、マレーシア(3月18日)が続き、原署名国ではインドネシア、フィリピン、ミヤンマーの国内手続完了を待つのみです。
 また、米国の強いイニシアティブで交渉が開始され、2016年2月、署名にまで至った環太平洋パートナーシップ協定(以下「TPP12」)は、その後、米国が離脱したものの、我が国のリードによって包括的・先進的TPP協定(以下「TPP11」)として2018年12月に発効を迎えました。

図表1:アジア太平洋地域における広域FTA・EPAの併存

月刊誌2022年2-3月号図表1
(作成者:今川 ROO コンサルティング代表 今川博)

 図表1「アジア太平洋地域における広域FTA・EPAの併存」において明らかなように、TPP11に対しては、2022年3月現在で、英国、中国、台湾、コロンビア、エクアドルが加盟申請を行ない、韓国も加盟申請手続を開始した状況にあり、今後、一層拡大する傾向にあることが分かります。アジア太平洋地域における経済規模の大きなこれら四ヵ国のうちで、我が国だけがメガEPA協定と呼ばれるTPP11とRCEPの双方を活用できる立場にあることは、特筆すべきことと思います。

アセアンを軸としたアジア太平洋地域の広域協定

 一方、EECから始まり、EC、EUと関税同盟・共通市場として近隣諸国にFTA網を浸潤させることで地域統合を進めてきた欧州とアジア太平洋地域の差異は、「中核」に位置するグループの不存在であると考えます。2013年7月の我が国の交渉参加以降、TPP12では日米がその役を荷い、高い規律を持ったルール設定を行ない、全締約国がほぼ100%か100%に近い関税撤廃を行なう市場(我が国は95%)をアジア太平洋地域に拡げようとしたわけですが、米国の離脱で推進力が大きく削がれることとなり、長いスパンで実際にその役割を演じたのは、経済規模では格段に劣る東南アジア諸国がグループとして結束したアセアンであったようです。

 アセアン自由貿易協定のCEPT(Common Effective Preferential Tariff)スキームは、1993年に6ヵ国で出発し、加盟国を増やしながら、2010年5月にはアセアン物品貿易協定(ATIGA)として現協定が発効しています。その間、近隣諸国との間では、「アセアン+1」協定として、2005年1月に中国、2008年12月に日本、2010年1月に豪州・ニュージーランド(以下「NZ」)、インド、韓国、2019年6月に香港とのFTAが発効しています(出典:WTO RTAデータベース)。このような背景を踏まえ、本書においてアジア太平洋地域の広域FTA・EPAとして考察する対象は、RCEP、TPP11、日アセアン協定、中アセアン協定、韓アセアン協定、印アセアン協定、豪・NZ・アセアン協定及びATIGAの8協定とします(経済規模を勘案して香港アセアン協定は除外しています。)。

本報告書の構成について

 第1編では、これらの8協定について、総論として各協定原産地規則の特徴、差異に触れながら、全体像を把握できるように簡単な解説を加えていきます。特に、「地域原産」を原産性判断の原則とする協定であるTPP11と「国原産」を原則とする他の諸協定との違い、「モノ」の累積に限るRCEP、「アセアン+1」諸協定、ATIGAと「モノと生産行為」の双方を累積させるTPP11との違いも明確にしつつ、積送基準、積送要件証明に関してメガEPA協定と「アセアン+1」諸協定、ATIGAとの差異についても説明を加えます。

 第2編では機械、エレクトロニクス製品分野(HS第84類、第85類)を対象として、アジア太平洋地域で広く使われる「項変更又は40%付加価値」を一般ルールとする品目別規則の適用において、関税分類変更と付加価値の二つの選択肢が与えられる理由として、HS品目表の「原産地規則品目表」としての限界、不整合及びそれらを補強するための付加価値又は工程ルールの存在について説明します。

 第3編では自動車(HS第87類)に焦点を当てて、アジア太平洋地域のスタンダード要件となっている付加価値基準について掘り下げます。他の解説書ではほとんど触れらない付加価値計算の詳細について、特に、計算式が複数存在する積上げ方式において、各協定で内国付加価値として認められる価額要素及び使用される用語などを詳細に分析し、例えば、「その他の費用」と規定されるのみで定義が存在しない用語に含まれる要素についても比較論を提示します。したがって、第3編は付加価値基準の解説書としてもお使えいただけます。

 第4編では繊維・繊維製品(HS第50類から第63類まで)について、上述の8協定で使用される品目別規則を比較、分析した上で、域内を横断する形で繊維製造工程が展開される仮設事例において、当該8協定のうちどの協定を使用すべきかについて説明を加えるとともに、これまで「教科書的な説明」として「地域協定のメリットは累積規定の活用にある」と言われてきたことに対する私見を披露することにします。

 最後に、広域FTA・EPAの利用促進を図る観点から必要と思われることについて論じ、本書の結論といたします。


第1編  アジア太平洋地域の広域FTA・EPA原産地規則

1.アジア太平洋地域の広域FTA・EPAの原産地規則の概要

 本章では、アジア太平洋地域の広域FTA・EPAの協定条文からそれぞれの原産地規則の主要規定の骨格を示し、全体像を鳥瞰できるように一覧表(図表2「アジア太平洋地域の広域FTA・EPAの協定条文の概要」)を作成しました。比較対象とする項目数を限定するために、技術的なスタンダード規定は省略し、特徴が出やすい規定を抽出しています。

図表2:アジア太平洋地域の広域FTA・EPAの協定条文の概要

(作成者:今川 ROO コンサルティング代表 今川博)

 上記の図表2から見て取れるように、アジア太平洋地域のFTA・EPA原産地規則においては、RCEP、「アセアン+1」諸協定及びATIGAにある程度の類似性が見られるものの、地域原産(完全累積概念を内在)、原産地証明及び積送要件の観点から、TPP11が他の協定とは異なる先進性を備えていることが分かります。しかしながら、税率差ルールが設定されているのはRCEPとTPP11のみで、これらの協定が個別譲許を含み(全ての締約国に一律に譲許する共通譲許ではない)、適用される品目が限定的であっても使い勝手が悪くなります。

 また、比較対象とした項目のうち、技術的な内容を含む用語は次章で少し詳しめに説明します。さらに、付加価値基準は、第3編の自動車の原産地規則の検討において詳細に論じることにします。

2.アジア太平洋地域の広域FTA・EPAの原産性判断と原産品の域内移動

 本章では、原産地規則の基本的な考え方を理解していただくために、そもそも産品の原産性はどのように判断するのかという点について、代表的な概念である「国原産」、「トレーシング」、「中間材料の原産性判断」、「ロールアップ」、「ロールダウン」、「地域原産」、「完全累積」、「部分累積」、「自己申告と第三者証明」、「域内一貫加工の原則(Territoriality principle)」、「積送要件」について解説します。また、アセアン主導の原産地実務原則のうち、緩和傾向にある「原産地証明書へのFOB価額の記載」についても付言します。

国原産とトレーシング手法

 輸入締約国においてFTA・EPA特恵税率の適用を受けるための必須条件として、輸入される産品が適用しようとするFTA・EPA原産地規則の原産品でなければなりません。輸入された産品の原産性判断を行なうに当たって採用される方法として、FTA・EPA の各締約国を一単位として判断する「国原産」に基づく方法があります。「国原産」という用語は協定上の公式なものではなく、解説書で理解を深めるために使用されています。この方法は、1970年代の欧州、我が国などによるGSP原産地規則で採用されたオーソドックスなもので、国内での原産性判断のためには粗原料が国外から輸入された段階まで遡ってトレーシングを行なう方式から出発しています。

中間材料の原産性判断の容認とトレーシングの関係

 経済のグローバル化が進むと、材料から製品への一貫生産に見切りをつけ、部材製造を敢えて一ヵ所、一ヵ国で行わず、より競争力のある企業へ、国へと工程ごとに部材が転々と移動していくグローバル・バリューチェーンの急速な展開もあって、粗原料から始まって、基礎材料、加工材料、半製品、製品へと生産工程を上っていくに従って、これまで国境を越えて取引されることのなかった素材、部品、半製品が輸出入されることになり、国境を越える都度、原産性の判断を行なう必要が出てきます。また、最終産品の生産者が、同じ素材、部品、半製品を国内生産している事業者から調達した場合に、国内調達した材料にのみ国外から輸入した原材料まで遡って最終産品の原産性を判断することは、著しく手間となると同時に、原産性判断に関して「中間材料の原産性判断が一律に容認されるべき」との考え方が普及したこともあって、原産性判断に要する事務負担が飛躍的に軽減されました。

しかしながら、ここで注意すべきなのは、中間材料の原産性判断を産品の生産に直接、かつ、直近に使用される材料(財務省のウェブサイトでは「一次材料」として説明されています。)のみに限定することを意味しません。直接・直近に使用される材料(一次材料)が非原産であったとしても、その材料の生産工程を更に上流に遡っていけば、原産材料としてカウントできる材料の付加価値の足し上げることにより、又は使用される外国来の非原産材料の関税分類が変わることで、当該産品に原産性が付与されることもありえます。このように、生産者が自助努力によってトレーシングを行なうことで産品の原産性を立証できるのであれば、その結果を否定する理由はなく、その判定は尊重されます(トレーシングによる判定結果の容認)。ただし、立証に係るコストがより嵩むことは否めません。

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我が国との二国間貿易のみならず、第三国間のFTAの活用を視野に入れた日・米・欧・アジア太平洋地域の原産地規則について、EPA、FTA、GS…

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