経営者と同じ視点なんて求めても意味がない
「やること先にやれよ」
いつも口癖のように子供に言ってきた僕の言葉に対して、最近小学3年生の長男がことあるごとに「なんで」と聞いてくるようになりました。
「なんで、先に勉強せなあかんの」
「なんで、先にゲームしたらあかんの」
「遊びから帰ってきてから勉強するし」
親だから知っているんです。1時間までと決めたゲームやテレビが、時間を過ぎても終わらないことを。遊びに行って帰ってきたら、なにもせず疲れて風呂に入って寝てしまうことを。その後に予定があるのに、目の前のことに熱中しすぎて間に合わなくなってしまうことを。
だから逆算して、想像して、先を見越して「とりあえず先に、やることやれ」と伝えてきました。けれど、その理由や背景・過程をすっとばして結論だけを聞かされることが、彼にとっては不満だったんでしょうね。これって素敵なことで「疑問に思って考えるスタートラインに立ったんだな」と嬉しく思いました。
そこで、いままでゲームやテレビの時間を決めても守れないことや、先にやらないと後の予定がずれることを説明するわけですが
「やめれるし、、、ちゃんとできるし、、、なんで大人が決めるねん」
とのこと。
おうおう、そこまで言うか。「じゃあ今日は自分が思った通りにやってていいよ」と伝えると、案の定失敗するわけです。宿題せずに寝ちゃうんです。翌日「昨日はできなかったんだから、今日は先にやることをしなさい」と言うとすんなり聞く。けれど、次の日にはケロっとして「先にゲームやってから宿題するわ」と言い出す。で、また失敗する。
この繰り返しなんですが、続けていると少しずつ変化が出てきました。何も言わないでも気付いたらノートを開いて宿題している姿をちらほら見かけるようになったんです(もちろん毎日ではなく機嫌がいい時だけなのがまた面白いんですが)。
それでも、少しずつ自分で考えて行動できるようになってきたんだなと、成長を感じるこの頃です。
疑問を持ち、行動してみて、失敗して、学ぶこと。
そんな子供にとっては当たり前の成長プロセスも、大人になって日々の仕事や業務内容に慣れてくると、定形化された方法で満足してしまい、失敗を恐れず行動する熱量は失われてしまいがちです。これはある程度仕方のないことかもしれませんが、会社として何も手を打たず定形化された仕事しかしない人が多くなってしまうと、成長発展は見込めないでしょう。
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結局は環境が大事な理由
メンバー全員が前のめりで血眼になって挑戦し続ける組織なんてほぼありません。仕事に対する価値観は人によって違うし、人が増えれば増えるほどパレートの法則のように「挑戦して成果を出す人」と「現状をうまく維持する人」が混じり合ってくるものだと思います。
じゃあ会社として打てる手は何か。以前の記事でも書いていましたが、働きやすい環境づくりと仕組化に他ならないと考えています。主体性は感情論から生まれません。誰かに何か言われたからといって、人の本質はそう簡単には変わりません。
僕たち今村不動産では
・明瞭なキャリア制度と人事評価を設計する
・役職や業務別に明確な役割分担を行う
・役割内での目標は担当者が自分で決める
・役割に応じた相談や指示系統を徹底する
などのルールを決めています。
その運用の要になってるのが「失敗のコミュニケーションの仕組化」です。同じ部門の上司と部下でトラブル解決を行う場合も、上司は部下に正解だけを教えてはいけないことになっています。上司が具体的なアドバイスをするのではなく、部下が自分の判断で改善策を見つけられるようなフィードバックを行います。「間違ってもミスをしても良いので自分で考えることが何より大切」だという文化を大切にしたいと考えているからです。
その方針は「知恵を絞り挑戦し続ける」「常に進化する」という僕たちの行動指針にも表れています。
こうしてあらためて整理してみると、僕が息子にしていることと本質的には変わらないのかも、なんて思いました。
人は大人になっても理由や過程をとばして結論だけ押し付けられるのは嫌だし、自分でやってみて納得しないと前に進めないんじゃないでしょうか。
詳しくはこちらの記事を読んでみてください
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別に経営者視点を持って欲しいわけじゃない
そんな風にメンバー個々人の成長やキャリア形成を大切にする一方で、やはり会社なので組織としては同じ方向を向いて活動していきたいと考え、企業ブランディングを進めてきました。取り組みを通して最近思うのは「メンバー全員が同じ方向を向いている状態」と「経営者視点を持っている状態」は違うということです。
よく「経営者視点を持て」だとか「社員に経営者視点を身につけさせるべき」なんて言われますが、僕はまったくそうは思いませんし、そもそも必要ないと考えている派です。現場メンバーと経営層では「視座(ものごとを見る視点の高さ)」がそもそも違います。
当たり前ですが、社長である僕の役割は会社の方向性を決めること。これは誰にもできません。同じように、リーダーの仕事はチームメンバーが効率よく働ける環境を整備してマネジメントすること。営業職の仕事は設定した営業目標や数値を達成することです。
例え話で考えてみます。
船で漁に出るとして、僕は操縦席からその日の波や環境を見極めてどこに船を進めるかを決めます。船頭です。ポイントに到着していざ漁を開始する!となったとき、僕がすべきことはそのポイントが正しかったか俯瞰してチェックすることはもちろん、帰路について考えたり、明日以降の段取りを思案したりすることです。
仮に操縦席から釣竿の構え方や餌の付け方が間違っていたとしても、僕自身が甲板に降りて行って代わりに竿を振るべきではない。だって、突然雲行きが怪しくなって嵐が近づいてきたとして、僕が一生懸命海とにらめっこしていて嵐に気が付けなかったら、船が転覆して乗組員全員が遭難してしまう可能性だってあるからです。
釣り方を指導するのは監督(リーダー)の仕事です。その指導のもと、漁に集中して魚を獲ろうと工夫して頑張るのが乗組員の仕事です。一人の乗組員がいきなり操縦席まで登ってきたとしても、いきなり航海の全てを仕切ることは当然ですができません。
最終的に安全に航海を終えて満足のいく釣果=結果が出れば、その船は次に向かって進んでいけるはず。役割ごとに目線がそれぞれ違ったとしても、目的(目標の漁獲量を達成できるように魚を獲る)が共有されていれば、積み上げ式で成果は達成できるようになっているんです。
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経営者と現場メンバーでは視座が違う。これは、誰が偉いとか、誰が劣っているといった話ではなくて、役割の違いだと考えています。そういう意味で、現場スタッフに経営者視点なんて求めること自体必要ないと思います。
ただ、当然ながらすれ違いも起きがちです。よく「社長は現場のことを何もわかっていない!」という話が話題に上がります。「社長だから現場のことは何も知らなくてもいい」とは思いませんが、視座が違うので現場の要望や期待をすべてかなえることができなくても仕方がないと僕は割り切っていいます。ただし、大局を捉えた上で、役割の違いや役割ごとに求められることをできる限り全員の共通認識にする、そのうえで現場が力を最大限発揮できる環境を整備する義務が経営者にはあると思います。
そこで重要になるのが「役割ごとに求めることや関係性の仕組化」と「同じ方向を向くための指針を現場に落とし込むこと」だと思います。
僕ら今村不動産の場合でいうと「キャリア制度や人事評価」がその仕組みで、指針を現場に落とし込めているのは、社内に向けた毎期の経営方針共有もそうですが、弟である専務が日々担ってくれてる「失敗のコミュニケーション」なんだと思います。
実際、現在の僕は現場のことを細かく把握していません。けれど、日々細かなフィードバックとアップデートが繰り返されていることは、年を追うごとに不動産の仕入れ量が増えていること、売上が上がっていること、つまり結果で判断できます。そのおかげで僕は自分の本来の役割である、中長期的な事業計画を都度見直しながら融資を円滑に取り付けていくことや、事業の次の一手を模索することにリソースを割くことができています。
もちろん、現在の環境や仕組みが万全だとは考えていません。海の波や風が日々変化するように、経営環境も常に変化していきます。
僕たちの航海はまだまだ続きますし、メンバーももっと増やしていきたい。だからこそ、経営者の役割としてずっと遠くを見つめながら、柔軟に舵取りをしていきたいと思います。
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