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ヨルシカライブ【盗作】を経た諸々

永遠の在り処をよく考える。
私とあの子の目が合った瞬間、確かに永遠はあった。彼女ともう会えなくとも。遠くで産んだ子供が私の前に現れようと、或いは歩む道半ば膝を折り、燃え尽きてしまっても。それでもあの時、黒く大きな瞳は私を映していた。私のことなど彼女は覚えていない。それでも私にとっては永遠だ。
いつだって永遠は記憶の中にある。情動が濃縮された記憶の一瞬、それこそが永遠なのだと私は思っている。
記憶が魂を形つくるなら、彼女は私の魂に今も在るのだろうか。言葉を持たない彼女達も、私の言葉の骨組みに居るのか。
ヨルシカの曲を聴いて物語をなぞりながら、全く別の誰かを想うことがある。その時、曲は依り代となって私の想いを歌った。そうして想いは強固になって、私は彼らへの愛を自ら記す。私の彼らへの愛は、盗作だ。
アルバム『盗作』、そして今回のライブの話に戻す。オリジナルとなる曲一つ一つが、その曲を耳にした時の感動が、個々の言葉になるとしよう。それらで編み上げた歌は盗作になるのだろうか。
『盗作』において、男が本当に描きたかったものはきっと愛だった。男が語れる言葉は、幼い頃から耳にしていた肉親たるロクデナシの愛したメロディーや歌。父親の姿に、男はそれでも音楽への愛を見た。やがて男は、知っている言葉の全てで愛を紡ぐ。男の愛は、ただ一人愛した彼女だった。それ以外の全ては些末なことだ。男はありったけの、扱える愛を語る言語で唄った。
描く対象が実在するもの、親密に過ごした相手ならば、本物との違いばかり気になるだろう。彼女を歌いたくとも上手くいく筈がない。
冒頭で私が記した永遠の全てを過不足なく言葉に置き換えることはできない。ぎこちない言葉では稚拙に、華美に描けば逆にチープになる。
ライブ背景の映像を眺めつつ時折目を細め、私は己の記憶の景色を思い返した。誰もが懐かしく思う田舎で過ごす幼い夏の日。自ら体感していなくとも郷愁を覚える景色。防災チャイムの音色に心細くなりつつも、帰るのは惜しい日暮れ。きっと人それぞれ自分だけの懐かしい景色がある。それらは似通っていて、全てが異なる。
オリジナルを作り出すために、きっと最初は誰かを真似る。男は模倣を経て、オリジナルの更にオリジナル、そのまた向こうにまで想いを馳せた。そうして、彼は彼自身のオリジナルを卑下する。作り上げた曲はハリボテで、本当に描きたいのはあの夏と彼女なのだから。
彼女に再び出会い、下らぬ人生に光が差す。けれど幸せは続かず、彼は今度こそ愛を喪った。世間の誰も気づかず称賛する安っぽい模造品を売り、男は名を馳せる。愛は死んだ。だから作り上げた地位も全て壊して、何もないところへ行きたかった。
虫の鳴く、月光すら頼りにならない暗闇を歩く。全てをなくした果てで会うのは、魂に在る彼女。そうして男は、生まれ変わりを信じバス停に腰を下ろす。
大人になった二人が過ごした街のベンチだけ、演者の去ったステージに残る。
本当は、男の作った曲の一つたりとも価値のないものなどなかったのではないか。彼女ののこした花弁を忍ばせた詩は、誰かの心を確かに掴んだだろう。けれど、彼女のいない世界で彼の魂が生きていく道はなかったのだろう。
夜が明けて、全てを失った後の青空の下、男は彼女に会えただろうか。

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