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機能不全家庭のサラブレッド、または社会不適合要素のミックス

こんにちは。

今日はご機嫌な陽気に合わせて能天気なことでも考えてぼんやりして過ごすのが一番幸せだと思います。幸いなことにまだ学校は休みですので、そんな風に有意義に時間を無駄にすることだってできるのです。

ですが、ずっと書こうと思っていた家庭環境についての個人的な考えを書き留めておこうと思います。

以下の内容は医学や心理学などの書籍や論文にはほぼ全く触れていない私の、根拠の乏しい個人的な考えになります。鵜呑みにはせず、この記事を元に個々の考えを深めて頂けると幸いです。


私は現在ADHDの診断が下り、コンサータにて症状の緩和を試みている段階です。

母方は過干渉で、時たま暴力を振るうような家庭でした。母方の祖父は頭は良いものの致命的なほどいい加減な人間だったようで、酔って眠って帰宅できなくなったり給料を家庭に入れなかったり飲み仲間を突然家に連れてきてしまうような親だったそうです。

父は共感性に乏しく、自分勝手な上に自覚がありません。自分が正しいと思い込み、私の話に耳を傾けるような様子を見せることはないです。未診断ですが父自身でもASD的な傾向があると思っているようです。

私は今までいくつかの精神科にかかってきました。しかしこんな家庭環境だと、幼少期から続く発達障害的な困った部分について、外的要因の可能性を否定できないと言われることもありました。

更にADHDと併発することの多いASDは、他者とのコミュニケーションに困難を抱えることが多いのです。しかし私は、個人的には対人関係に苦手意識を持つようなエピソードを多数経験してはいるものの、典型的なASDらしいコミュニケーションの特徴は見られないようなのです。

そんな訳で今まで、発達障害だと言われたりそうでないと言われたり、宙ぶらりんな状況で生きてきました。

しかしよく考えてみると、発達障害疑いのある父と身体的精神的な虐待を行う母。類は友を呼ぶ、ではありませんが、異なる機能不全要素を持ち合わせたこんな家庭はきっとありふれています。

そもそも父にはADHD的な行動はあまり見られません。私がADHDであるとして、どこからその要素が、流行りに習って因子とでも言いましょうか、が来たのか。よく考えてみると、母の育った家庭も、異なる機能不全要素を持ち合わせているのではないでしょうか。祖父亡き今、謎を解明することはできないものの、隔世遺伝的に私がADHD因子を受け継いだのだとすると納得がいきます。

そもそもどこか欠けたもののある人間は、欠けたもののある同士で集まりやすいのでしょう。だとすれば、発達障害的な要素とその他の人格障害や精神疾患的な要素を完全に分けることは不可能ではないでしょうか。

私は幼い頃から、母やそれ以外の大人の反応を窺いながら育ってきました。対人的な問題を抱えつつも、人の心や反応についてある程度の学習をすることが、果たして本当に不可能なのでしょうが。

とはいえ、私自身は人と関わることは大きな苦痛を伴い、対人トラブルもしょっちゅう抱えているので、人の感情について学習ができているとはとても言い難いのですが。


最近よく耳にするようになった、シリアルキラーの持ち合わせるサイコパス的素質だって、虐待を受けて育ち共感性に欠けるものの他人を操ることに長けている、というものです。聞きかじったところによると、サイコパス的特徴のある人間には、脳のつくりに傾向があるようです。共感性に欠けているものの、相手の顔色を読むことができなければ殺されるような家庭が代々続いていったとして、その末に大々的な惨劇が生まれるのではないか。そんな想像をしてしまいます。


午後三時になります。貴重な休みも残り僅かです。知らない他人についてあれこれ考えていないで、自分の人生について考えるべきなのでしょう。何もない毎日でも疲れて疲れて仕方ないのに、学校が始まったらどうなってしまうのでしょうか。もう何もわかりません。

とりあえず、明日のために洗濯でもしようと思います。シワだらけの洗濯物の山が私を呼んでいますので。

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