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好奇心と懐疑心は紙一重? 〜疑うことで得られるもの〜

 ぼくは「好奇心が旺盛ですね」と言われることが多い。しかし、その一方でぼくは、自分のことを懐疑心の塊、すなわち、ただの疑り深い人間に過ぎないと思っている。

 そこで今回は、note公式お題『私のイチオシ』として、疑り深く生きる生き方をイチオシしてみたい。

映画を疑う

 幼稚園生の時、テレビで海外の映画の日本語吹替版を観る父のとなりで、こんなことを思っていた。

 「口の動きと音声が全く合っていない。本当は違うことを言っているのではないのか?」

 まだ日本語と外国語の区別もついていない年齢だったけれど、この疑問を抱えながら嵐を呼ぶ幼稚園児ライフを送っていたことをよく覚えている。

 その後、学校で英語を学ぶようになり、少しずつ英語を理解できるようになったぼくは、「やっぱり違うことを言っていたんだ」と、小さい頃の疑問の正しさを確認することができた。

 結局、「元の言葉では何と言っているのだろう?」という疑問は好奇心へと変化し、語学学習に良い影響をもたらしてくれることになったのである。

 英語に限らず、外国語については、「実際には何て言っているのだろう?」という疑問が、言葉の本来の意味を理解するのに大いに役立つことは多い。

 だから、語学を学ぶ時には、日本語での説明を大いに疑ってみることをぼくはイチオシする。

数学の定理を疑う

 中学生になると、数学の授業でやたらと目にするようになる様々な定理たち。ある日、三角形の合同条件を授業で学びながら、ぼくはこんなことを考えていた。

 「まだ見つかっていない定理があるんじゃないの?」

 ぼくは、ああでもない、こうでもないと、およそノート1冊を費やして、まだ見ぬ合同条件を見つけようとした。

 そして、3日ほど時間をかけたところで、ようやく思い知ったのである。「古今東西の天才数学者たちが導いた定理を疑ったところで、徒労に終わるだけである」と。

 諦めのよい性格のおかげで、その後、ぼくは数学の定理を疑わなくなった。だが、それと同時に、数学で定理とされていることの正しさを思い知ることもできた。

 だから、数学を学ぶ時には、定理を少しだけ疑ってみることをぼくはイチオシする。

サメの歯を疑う

 「危険なのでお手を触れないでください」

 家族と訪れた水族館に展示されていた、ホオジロザメの標本の前にこんな立て札が立っていた。

 何でも噛み砕いてしまいそうな大きな顎に並んだ鋭いサメの歯たち。巨大なホオジロザメが登場する映画を何本か観た経験のせいで、ぼくは、凶器と呼んで差し支えのないサメの歯に大きな興味があった。

 「絶対に触っちゃだめだよ」

 サメの歯に対して、ぼくの好奇の眼差しが全力で向けられているのを察知した妹が釘を刺してきた。

 しかし、「本当にサメの歯は切れ味鋭いのだろうか?」という懐疑心に抗えなかったぼくは、妹の目を盗んで、人差し指の腹のあたりで、サメの歯の先をなぞってみた。

 次の瞬間、キーンという尖った痛みが指先から全身に駆け抜け、ぼくの指から血が流れ落ちた。展示場の床を大いに汚してしまい、水族館のスタッフの方に多大な迷惑をおかけしてしまった。

 世の中で、危険だと言われているものは、本当に危険であることを学んだ瞬間だった。さらには、好奇心から危険に近づくことは、周りの人に迷惑をかけてしまうということも。

 だから、世間で危険だと言われていることを、疑うことをぼくはイチオシしない。

 大人になっても好奇心を持ち続けるための秘訣は、適度な懐疑心なのではないだろうかとぼくは思っている。疑い、試して、経験する。人に迷惑をかけない範囲でこれを試す生き方は、案外と楽しいものである。

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