RAKUENに出てくる勾配(自己解釈)

①「勾配」とは?

RAKUENには「プール」の表現がある。抜き出して下に載せる。

「ここじゃぬるくて」「ふやけそうな毎日」「辛辣なプールサイド」「冷たくてもいざ飛び込む」

「出世魚になりたい」は海か川なので一旦置いておくが、水には違いない。
プール①とプール②があって、温水プールである①に長くいて指もしわしわになってきた頃に冷たいプールである②に行く決意をしたのかな?という予想ができる。
RAKUENは某PARTYの時にはトロピカルなアレンジが加わっていた。まさに南国の楽園。プールサイドにはビーチパラソルがあって、映えそうな色のドリンクを飲んでるサングラス達がいそうな感じがする。

しかし、RAKUENの情景がプールであるとすると、一つ不自然な単語がある。

「地獄のような勾配見下ろして」。

急に坂、しかも坂の上に視点が移るのだ。

これが結構な謎だった。私としては坂といえば自転車でゆっくりゆっくり下る印象があるが、プールの話をしているのにいきなり自転車に乗るわけがない。プールの話をしている時に出てくる坂といえばおそらく一つだろう。

ウォータースライダーである。

②図解

図にするとだいたいこうなる。指で書いてて見づらいのは多目に見てほしい。

地獄のような勾配を見下ろす人

黄色の人が「僕」で、ピンクが楽園の構成要素である。
で、これがこうなる。

出世魚になった人

青は僕らが見つけた方の楽園の構成要素である。
高所にあった温水プールから、低所にある冷たいプールに飛び込むためのウォータースライダーなのだ。

成長とともに呼び名が変わり、成魚になって本来の名または特別な名でよばれる魚。身近にみられ、稚魚から成魚までの間に、生活史や生態などが著しく変わり、それに伴って漁法や商品価値が異なる。

日本大百科全書より

出世魚とはこのような意味である。温水プールと冷たいプールで、高低差も温度差もある。つまり環境がまるっと変わった。連続する人格にも関わらず、あり方も価値も全てが変わるのだ。これは確かに出世魚である。

③派手にやろう

「僕ら」はぬるい楽園を飛び出し、冷たい楽園へと飛び込んだ。それはぬるい楽園と冷たい楽園の間をウォータースライダーが繋いでいるからだ。
つまり、飛び込もうと思えばいつでも誰でも飛び込める。「僕ら」にチャンスがあったのはもちろん、「辛辣なプールサイド」にもチャンスがある。前者はやったし、後者は(まだ)やっていない。それだけの違いだ。
つまり、環境を変えるチャンスは誰にでもあるのだ。今の過ごしやすい環境から壁をぶち破って冷たいプールに飛び込むことは、難しいし覚悟のいることだが誰にもできることである。ぬるい方の楽園には二度と戻れないし地獄のような勾配への恐怖もあるだろうが、それでも覚悟さえ決まればあとは飛び込むだけだ。
そして、たとえ冷たいプールへの道のりだろうと、ウォータースライダーは楽しい。いやウォータースライダーが楽しいかは人によるが、どうせなら派手に楽しんだ方がいい。
RAKUENはそういうメッセージなのだろうと私は解釈している。

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