天国の「愚か」の自己解釈まとめ

Twitterで言ったやつのまとめです。

①はじめに

「天国」 という曲がある。
この曲を分けるとこうである。


この曲には僕と君のペアが3つ存在する。同一人物の話はしていないのだ。そう思った理由を書くがここは別に読み飛ばしてもいい。

まず、僕①と僕③は少なくとも別の人物である。「君」に対して僕①は温もりを感じているのに対して、僕③は「そんな日が来たら君に会えるね」と言っている。つまり君①と僕①は密着しているのに対して、君③と僕③は引き離されているのだ。だから僕①と僕③は別の人物である。そう考えると、①と②も違う人物であると考えた方が収まりが良くなる。①と②が同一人物だと「○○なんて」が1人に2個あることになるし、これだけ長いからだ。

というわけで勝手に3つに分けたが、どうやら彼らは愚かであるらしい。この文脈上、愚かとは「バカ」とかそういう安直な意味ではない。「宗教的に愚か」なのだ。それは神やそれに等しい存在への軽視・冒涜であり、一般的な信仰の形から外れたものである。

②僕①の愚かさ

僕①が愚かなのは分かる。天国、さらに言えば死後の世界を信じていないからだ。代表的な宗教における天国を調べてみたが、キリスト教・イスラム教・仏教には天国や死後の世界がある。
「天国」という言葉が出てくることから、僕①がこれらのような死後の世界があるとする宗教を信仰しているという前提で話す。僕①が愚かなのは、「死後なんてない、死んだら終わりだ、だから生きているうちにこの温もりを大事にする」という主張をしているからだ。温もりはいくらでも大事にしていいが、彼の宗教の定めている「天国」つまり「死後」そのものを疑うのは、彼の神からしたら確かに愚か判定かもしれない。
また、僕曰く愚かなのは「僕ら」らしい。つまり、僕①が愚かなように君①も愚かである。おそらく僕①と君①は同じことを考えているのだ。②と③も同様だろう。

僕ら②③に関してはどう愚かなのかパッとは分からない。でも自称愚からしい。なら愚かなのだ。その愚かさについて考える。

③僕ら②の愚かさ

僕②は、「君が果てしない夢を描くことを応援する」というスタンスらしい。つまり、この夢が愚かなのだろう。しかも「天国」という曲名がついているくらいなので、この夢も天国に関わっているらしいと考えられる。

つまり、この夢というのはめちゃくちゃ物騒なのでは?具体的には、その過程で僕か君か第三者が死ぬのでは?

最大限辻褄が合うように考えると、「夢」の方が人智を超えすぎたものである可能性がある。その夢は人の身に余る、傲慢で冒涜的なものだったから愚かであるという可能性だ。例えばバベルの塔のような夢だったのではないだろうか。これは人が死ぬ話ではないので例えが悪かったが、「人間が夢を積み上げたのを神が咎めて人間に罰を与えた」話である。つまり、バベルの塔を造った人々は悪気なく大きな夢を持ったが、その夢が神目線で愚かだったから罰が与えられたのだ。
つまり、君②は悪気なく大きな夢を持っているが、その夢は誰かの死がつきものである。それでも君②は夢につき進む。「どうせ人は死んでも天国という次があるんだし、死は過程でしかないから別に私の夢で人が死んでもそれ自体を気にする必要はなくない?」という考えになっているかもしれない。
それは死の軽視であり、死の軽視は天国の軽視である。確かに愚かだ。僕②はそれを分かっていて、君②の夢を応援しているのではないだろうか。

④僕ら③の愚かさ

「国境なんていつかなくなる」。僕ら③について最も特徴的なのはこの歌詞だ。
しかし、これをそのまま取ると「国境があるから国どうしが仲良くなれない、だから君に会えない」になる。仮に本気でこう考えているなら頭お花畑だ。宗教的とかではなくマジの意味で愚かになってしまう。国境があるから、仲の悪い国どうしの均衡が保たれるのだ。
では、この考えが宗教的に愚かであると考えるとどういう意味になるか。

「国境がなくなる」=「国がなくなる」であり、「国がなくなる」=「僕ら③もなくなる」ではないだろうか。
つまり、「国境がなくなることで、僕ら③は天国で会える」のである。

そうまでしなければこの僕ら③は会えないのだ。天国でしか話ができないし朝まで笑っていられないのだ。なぜなら国境という物理が邪魔だから。そうなると物理を超越するしかない。つまり死ぬしかない。
君③にさえ会えるなら、僕③は自身や二つの国の多くの人々の命なんか気にしない。どれだけの不和や悲劇や不幸があったとて、君③に会えるなら関係ない。
これは天国や人の死の矮小化でもある。これが僕ら③の愚かさだ。

⑤おわりに

神様は「愚かな僕らを許し給う」らしい。僕らがどれだけ愚かだろうと、どんな方向に愚かだろうと、許し給うのは確定だという。すごいな。
それは、僕らが勝手・傲慢に「神様は許し給うんだから別に愚かでいいじゃん」という意味でそう言っているだけだろうか。それとも僕らは自身を愚かで良くないものと思っているのに対し、僕らの神様がめちゃくちゃ優しいから許し給うのだろうか。それは私には知る由もない。

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