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NPB公式戦開催球場 宝塚球場 跡

宝塚歌劇団で全国的に有名な兵庫県宝塚市。
ここに阪急が建設した「宝塚球場」がありました。

1910年に箕面有馬電気軌道(のちの阪急電鉄)が現在の阪急宝塚線を開業。
これを機に、阪急は宝塚新温泉や宝塚歌劇団、動物園や、植物園、日本初の室内プールや遊園地など次々と建設します。
そのなかに宝塚球場もありました。

宝塚球場は1922年に開場。
日本初のプロ野球チームである「日本運動協会」が関東大震災の影響で解散し、そのチームを受け入れる形で、1924年に日本で3番目となるプロ野球チーム「宝塚運動協会」が結成。
宝塚運動協会の本拠地としても使用されていました。

1936年に日本職業野球連盟が発足し、プロ野球公式戦が始まると、阪急軍が本拠地に設定します。

記念すべき記録も生まれました。
1936年5月22日の阪急‐大東京戦で阪急山下実氏がNPB史上初の柵越え本塁打を記録します。
山下実氏は、1987年に野球殿堂入りされます。

1936年10月24日のタイガースー大東京戦では両軍合わせて18盗塁のNPB記録。
タイガースの1試合13盗塁も、1試合チーム最多盗塁のNPB記録です。

1947年撮影

プロ野球初年度の1936年に13試合を開催しますが、翌1937年に阪急西宮球場が開場し、結局この年限りで解体されます。

プロ野球黎明期にありがちな両翼91m、中堅98mと小さめの球場でした。

写真は1947年撮影されたものですので、すでにスタンドは撤去されています。


1938年に解体され、併設されていた遊園地が拡張され、
1960年には「宝塚ファミリーランド」として、賑わうことになります。

ホワイトタイガーが有名でしたね。

その後、宝塚ファミリーランドは2003年4月に惜しまれつつ閉園します。

現在の姿です。

もともとあった宝塚球場の跡地には、高層マンションと、関西学院初等部が開校されました。


ということで、それでは行ってみましょう。

間違いありません。
関西学院初等部が建っておりました。

長く阪急の土地ではありましたが、現在は売却され関西学院の所有になり、近くに記念碑のようなものも一切ありません。
球場があった痕跡、面影は全くありません。

プロ野球創成期に活躍した宝塚球場も、忘れ去られることになっていくでしょうね。



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阪急電鉄 75年のあゆみ 1982年10月発行
日本プロ野球記録 ウスコイ記録 盗塁 (2689web.com)

2022年晩夏訪問
2022.9.13 筆


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