見出し画像

「ヤングケアラー」という言葉について

私が「ヤングケアラー」という言葉を知ったのは、兄の支援者から聞かされて知りました。兄の支援に入ってもらう時に、うちの家の状況を話したところ、私のことを指して「あなたはヤングケアラーだったんだね」と言われたことがきっかけです。

私は、子どもの頃、「ヤングケアラー」だったんだ。と知って、うまく言えませんが、何となくショックを受けてしまいました。

レッテルを貼られたみたいな、何だか複雑な気持ちになってしまったのです。ただ、この言葉は、こういった状況に置かれていた自分を説明するのに便利だなと思いました。

社会に認知してもらう、そういう人がいるって知ってもらう、支援をしてもらうには、きっとこういった言葉も必要なんだろう、と。

しかし、少し考えてみてください。

自分が、思春期真っ只中の複雑な思考の中、「私はヤングケアラーなんです!」と、その状況を知って、素直にあまり親しくもない大人に話が出来るのでしょうか……?

自分だったら、当時、そんなことは難しかったかもしれません。

(もちろんこれは、人によって180度違う意見になることもあると思います。そう名乗れることで、救われる人もきっといらっしゃることでしょう。一つの考えとして、受け取ってくださればありがたいです。)

私が家族のことで困っていた時、その相談相手は、自分自身が信頼できる相手が無意識の中に、条件としてあった気がします。

クラスメイトや、同い年の恋人には深く話すのは難しく、相談相手として選んだことはなくて、年上の友人に話を聞いてもらっていたのを覚えています。あとは、のちに出来る年上の恋人に。

ヤングケアラーを本気で支援していくのなら、電話相談窓口を設置して、待機するだけではなく、アウトリーチの視点が大切になってくると私は考えています。(そういった取り組みを熱心にされているところがあるのも理解しています)

せっかく共通言語ができて、子ども家庭庁もできたのだから、より良い支援が整っていくよう切に願っています。

私の住んでいる京都府には、「京都府ヤングケアラー総合支援センター」が設置されており、中の職員さんは信頼できる良い方で、京都府全体の今後の取り組みに期待を寄せています。


よろしければサポートお願いいたします。いただいたサポートは、少しの気分転換(お茶代・おやつ)や、勉強代(医療・福祉・ヤングケアラー・他、技術習得)に充てたいと思います。