無意識の中に答えがあるのではないか?という意識
最近、自分について考える時間を持つようにしだしてから、気づいたことがある。
自分は、休みの日に、一人でカフェに行くことが「好き」だと思っていた。
でも、自分のことを時間をかけて考え始めたときに、カフェに行くことが好きなのではなく、カフェに行くと気持ちが落ち着く、もしくはイライラが消えることがわかった。
もしかして、好きなんじゃなくて
ストレス解消だったのか?
と、ふと思った。
これはすごい違いだ。
ものすごーく抽象化していけば同じかもしれないけど、でも、わたしにとって結構大発見だった。
好きだから行こうと思って行ってるんじゃなくて、
多分いらいらしてるから、自然と足が向くのだと思った。
気持ちを落ち着けるために。
ストレス解消法はなんですか?と聞かれたときに、今まで思いつかなかったのは、たぶん無意識の中でやっていたからなんだ‥そうか‥
生活圏内が度々変わる私は、休みの日に行くカフェをすぐ見つける。
それって、私にとって、死活問題だったんだ。死守すべき自分の領域だったんだ。と思うと、納得できる。
細谷功さんの、『具体と抽象』という本を思い出した。やっぱり具体化するというのは大事なんだな。
全部をスキスキ、好きなこといーっぱい!で纏めるのって抽象化しすぎてんのかも、なー。とか思ったり。
まあ難しいこと考えすぎてもアレか。
好きとストレス解消の違いって
みんな意識してんのかなー。
気づくのが遅いのは、わたしだけなのか?
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