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【地始凍】ちはじめてこおる『スタンプいっぱいのパスポ』立冬/次候🍀

前回の記事に書いたけど、我が家の3人息子たち、結婚した翌年に出来た長男と年子の次男、そしてちょっと離れて1番ヤンチャな三男坊。
二十歳そこそこの新米ママの私にとって、義母の存在は本当に心強かった。
すごく仲が良かった♡なんて言うと嘘になるけど、四十年近くも一緒にいたんだし、たくさん喧嘩もしたし、お互い本音で話せていたような気がする。


母は、肝っ玉母さんみたいな人で面倒見がよく、人見知りなんて言葉には全く縁のない人だった。
妹が里帰りせずに名古屋で出産することになった時、知らない町でも毎日の買い出しなどを1人でこなしていた。
母が帰った後に買い物に行った妹は、今まであんまり話した事のない商店のオジサンやオバサンに、あっちこっちで声をかけられて驚いたそうだ。
「お母さん元気にしとる?楽しい人やねぇ」と。


妹は旦那さんの仕事柄、転勤が多い。
金沢から名古屋、東京と引越しが続いたあといよいよ海外赴任となり家族でまた引越しとなった。
海外から海外へのお引越しも何度かあり、その都度母は、妹家族に会いに新たな国を目指して出かけて行ったのだ。
ちょうど今の私くらいの年齢、1人で県外さえ行ったことの無い私からすると、海外ひとり旅ができる母は、冒険の旅に出る勇者のように見えた。


無責任な私の任務は、地元の駅で母を関空に向かう電車に乗せるところまで。
駅員さんから聞いた情報を母に伝えて見送る。
「新大阪で乗り換えあるよ。着いたホームの反対側の電車に乗ると関空に着くからねぇ~大丈夫!いってらっしゃ~い」
何が大丈夫なんだか?


現地の空港で母の到着を、今か今かと待っていた妹の話によると、姿がまだ見えないうちから、母の声だけが聞こえて来たそうだ。
相手が外国の方であろうとも、日本語で話し続ける母。
あのコミュ力があれば、世界中どこへでも行けるんじゃなかろうか。


最終赴任地のシンガポール
「もう来年には日本に帰れそうだし、ナツメちゃんも遊びにおいで」
妹からお誘いを受けて夫ヨッシーさんと母と3人で出かけて行った。
新大阪の乗り換えも関空の手続きもシンガポールの空港の中も、まるでツアーコンダクターのように私達を案内してくれた母。


その後何年かたって、喜寿のお祝いに母の大好きなハワイに皆で行こうと話がトントンとまとまった。
ヨッシー家の兄妹は何故かこういう話がすぐにまとまる。
兄夫婦と私達夫婦、そして妹と姪っ子のMちゃんと母、総勢7名。
妹の旦那様だけは仕事の都合がどうしても付かずパス。


ハワイへの入国の税関で、私とヨッシーさんは唯一おぼえた「観光で来ました」と答えたのに対し、母は身振り手振りでハワイアンダンスポーズをしつつ「コレ習いに来ましたんや」なんて日本語でしゃべっていた。


そんな母、ハワイからの出国の時は、なかなか税関を通してもらえなかった。
手続きを済ませ先に出て来てしまった私達、戻るに戻れずじっと待つしかない。
「また余計なことを話してるんじゃないか?」
と心配する夫ヨッシーさん。
あの年齢にしては多すぎるパスポートのスタンプの多さ。
怪しまれて捕まってる?
ヨッシーさんと私、何故母を真ん中にしてどちらかが後ろからフォローしなかったかと後悔。


心配そうに待つみんなの元へ笑顔出てきた母。
多分、日本語で楽しかった思い出を語っていたのだろう。
そんな母はきっと、言葉の壁がなくなった天国では、さらに楽しく暮らしていることだろう。




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