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現実から乖離するAIと人類

ものすごい勢いでAIが進歩しています。ChatGPTは言うに及ばず、ついさっき見たTwitterでは、Googleがテキストから音楽を生成するAIを開発したとありました。AIの成長はまさに日進月歩、いえ秒進分歩の勢いです。

特に目を引くのは、絵画や文章など、従来は人が得意とされてきたコンテンツの作成における改善が著しいことです。既に、AIが絵を描く能力や作文するスキルは、大多数の人を超えたように感じます。AIに与える呪文、いわゆるプロンプトの唱え方さえ学べば、誰でも最高水準の作品を生み出せそうな時代が、あっという間に来てしまいました。

ところがです。個人的に納得がいかないことがあります。もっと前に来るはずだったAIの応用が、なぜか滞っていることです。そう、自動運転車の実用化です。数年前のロードマップからすると、そろそろ人の手を借りない完全な自動運転、世にいう「レベル4」の自動運転車が商用になってもおかしくなかったはず。しかしその時期は、ずるずると先送りされるばかりなのです。

驚きの進化を遂げるAIがある一方で、応用が停滞しがちな分野もある。両者の違いは一体何でしょう。

思うにそれは、現実の複雑さに相対するかどうかではないでしょうか。自動運転車がなかなか実用にならないのは、運転という行為が思った以上に複雑だったからでしょう。ドライバーが現実に出くわす状況はそれこそ千差万別であり、事前にどれだけAIが学習したとしても、必ずや想定外の状況が生まれるほどです。

それもそうでしょう。本来、現実の複雑さは人の予想を遥かに超えています。19 x 19本の線が交差する盤面で戦う囲碁でさえ、可能な打ち手の数は宇宙にある原子の総数を超えると言います。さまざまな要因が絡み合い、変化し続ける実世界の複雑さたるや、想像を絶すると表現するしかありません。

それでも人間は、現実にうまく対応することができます。生まれて初めて出会う状況に陥ったときも、これまでに蓄積したさまざまな知識を動員して、適切な行動を選択できるのです。例えば、「道の前方にある黒い障害物はカラスの群れだろう。もうすぐ飛び立つはずだから、停車しなくてもいい」とか、「後ろの車が激しく煽ってくるから、行き先を変えて近場の警察に向かおう」とか。

これに対して大量のデータによって学習させたAIは、データになかった状況に極めて弱いことが知られています。人のように常識を利用したり、機転を効かせたりできないのです。もちろん、上記のような状況も学習させればいいのですが、あり得る場面をあらかじめ全て想定するのは現実的ではありません。例えば、巨大な地震が突然起こったときの行動を、事前に学習させるのは相当難しいでしょう。

AIが現実を相手に手こずる構図と、イラストや文章を生成するAIが大躍進した理由は、裏腹の関係にあります。ChatGPTなどが相手にする対象は、画像や文章といった情報であって、現実の世界ではありません。情報の世界は人間に都合よく整理されており、想定外の状況を生む現実の複雑さとは一線を画しているのです。逆にいえば、コンテンツを生成するAIの興隆は、情報の世界における複雑さの度合いが、大量のデータによる学習で概ねカバーできる程度であることを示しています。

現実世界の複雑さが減少することはない以上、現実が対象のAIが苦戦する一方で、情報を相手にするAIは成長し続ける状況は、当面続くでしょう。このことは、人間社会にどんな影響をもたらすのでしょうか。

気になるのは、人間が活動する領域が、どんどん情報の世界にシフトしていることです。現実の買い物に対してネット通販の比率が増えたり、会社に出向かなくてもオンライン会議で打ち合わせを済ませてしまったり。人の活動の「情報化」あるいは「デジタル化」の事例は、いくらでも挙げられます。

人々が活動する情報世界の究極の姿とも言えるのが、いわゆる「メタバース」です。現実世界の人間の生活を、バーチャルリアリティの世界に置き換える動きともいえます。いずれは多くの人々が、メタバースの中で日常生活を送るという見方は少なくありません。

仮にそうなったとすると、現実の複雑さは姿を消してしまいます。人にとって都合のいい世界を目指すメタバースに、現実の煩わしさを持ち込む利点がないからです。

つまり、人間の暮らしは次第に現実世界から遊離して、複雑さを削ぎ落とした情報世界に移る可能性がある。そして、その領域はAIがますます活躍すると見られている。

ここまで書いてはみたものの、結論がどこに落ち着くのかは、自分にもよくわかりません。ありがちな答えは、AIが人類を支配するといった、仄暗い未来像でしょう。個人的には、そこまで人は愚かでないと思います。ただしその危険を否定するほどの自信があるわけでもありません。少なくとも人間は、人の都合に左右されない現実の複雑さに、今一度向き合う必要があると思うのです。

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