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15年前の父との最後の日を振り返る、少しだけ

「わたしにも父親がいた時代があったんだなぁ」

わたしの父がわたしの父ではなくなってから、約15年が経った(正式には14年)。
最近、パスポート申請のために戸籍謄本を取ったのだが、【届出人】の項目に書かれてある“父”の文字を見て、ふとそう思った。

そっか、わたしにも父親がいたんだ。

わたしの親は、わたしの中学卒業と高校入学の間の春休みに“決別”をした。
だから、(わたしの誕生日が4月なので)16歳直前の15歳以来、父には会っていない。
どこで何をしているのかもわからない。
父がいた年よりも父がいない年の方が長くなってしまったせいか“父親がいた時期があった”という事実に対しても、あまり実感が湧かない。
「ふーん」だったり「へー」という感じだ。
正直、そんな自分に悲しくなったりもする。

5月29日(月)に映画『アフターサン』を観た。
あらすじはこんな感じ。

思春期真っただ中、11歳のソフィ(フランキー・コリオ)は、
離れて暮らす若き父・カラム(ポール・メスカル)とトルコのひなびたリゾート地にやってきた。
輝く太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、親密な時間をともにする。
20年後、カラムと同じ年齢になったソフィ(セリア・ロールソン・ホール)は、
ローファイな映像のなかに大好きだった父の、当時は知らなかった一面を見出してゆく……。

映画『aftersun/アフターサン』公式サイト

“最後の夏休みを再生する”
ポスタービジュアルに書かれている一文だ。
あらすじにも書いてあるように、当時の父と同じ年齢になった娘が、父との最後の夏休みを再生していた。
わたしも同じことをしたかったのだが、実家を離れて一人暮らしをしているので、録画されているビデオはもちろん、写真も手元にないので、記憶のなかの父との写真や父との思い出を思い返してみた。

かなり前に父に肩車されている写真を見たことがある(ような気がする)。
何歳だったのか、季節がいつなのかもわからないが、多分、動物園での写真だ。
動物園での記憶なんて、ひとつもないが、きっと楽しかったんだろう。
肩車で思い出したが、わたしの父はタバコを吸う人だった。
いつかの肩車をしてもらっている時、右手の小指側の側面にタバコが当たり熱かった記憶がある。
特に痕にも残らず、ただ熱かったという記憶だけが残っている。
あと、よくバイクで近くの海に行ったりした。妹ができてからは3人で行ったな。

というところで、わたしの記憶がストップしてしまった。
思い出せない。
嫌ではない記憶として思い出せるのが、これしかない。

父との最後の日は、わたしと母と妹が元いた家を出ていった時だ。
父とは一言も話さなかった。
3人で車に乗った時、父は家の中にいたまま、祖母が助手席の妹に何か声をかけ(これも忘れた。「頑張ってね」的なことだったと思う)、その後ろの席の私をチラリと見て、何も声をかけてこなかった。これも鮮明に覚えている。
あまりにもわたしの顔が反抗期真っ只中のブスッとした顔だったのだろう。
その日、父の姉夫婦(夫いたっけ?多分いた)とその娘(わたしの2個上、同じ高校)もいたのだが、何を話したのか、話していないのか、全く覚えていない。

わたしが父と言い合いなどではなく、最後に“普通の会話”をしたのはいつなのだろう。
そして、それはどんな会話だったのだろう。
監視カメラを仕掛けていたわけでもなければ、録音をしていたわけでもなく、わたしの記憶にない以上、考えても答えが出てこない。
考えても考えても、嫌な記憶だけが思い返してくるだけだ。

今更、父が何をしているのかなど全く気にはならないが、
学もなければ金もない、大したビジュアルでもない父親の人生と、それに加えてバツイチ独身、そして、父親でもなくなった彼の人生がどんなものに変化したのかは考えてみたりもする。
意外と肩の荷が下りて、楽しい毎日だったりするのだろうか。
田舎は人権がないというが、田舎にいたままでは楽しい毎日は無理だと思う。
でも、引っ越しをしていたら、それもありえるのかもしれない。

わたしがちゃんとしていたらもう少し家の中の空気もマシだったのだろうか、とかは少し思ったりもする。
ある時期に差し掛かってから、わたしは家の中で話さなくなったり、問いかけられても2〜3文字で返答したり、鼻で笑うことしかしなくなったのだが、
わたしが家族のなかで、いい娘として機能していたのは、小学2年生くらいまでだったんじゃないかと思う。
もう少しいい娘として、あの頃をやり直したい=再び生きてみたいと心底思うが、もう無理なのだ。

自分の親、親だった人のことなんてどうでもいいと思っているのに、時折、涙が止まらなくなる。
この文章を書いているときもそうだ。
ちょうど、家を出る車に乗っている時の文章を書いている時、涙が止まらなくなった。

突拍子もない話だが、自分の親くらいの歳の人に優しくされると泣きたくなる。
その人たちが、自分と同年代くらいの娘、息子との楽しそうな話を聞くと苦しくなる。
認めたくはないけど、30歳になったから少し認めてあげようと思う。
わたしは、多分、傷ついている。
その傷が癒えないまま、気付かないまま、そして無視をしたまま、15歳から生きてきてしまった。
見た目だけが歳を取り、社会に出て働いている、実際は反抗期の15歳の子どもにすぎないのだ。

映画の中の娘が大人になった時、親を解放し、そして自分のことも解放したとわたしは解釈したけど、わたしもそうしないといけない。
いつまでも15歳でいるわけにはいかないのだ。
他者から愛される経験と他者を愛する経験がわたしには必要なのかもしれない。

今度も映画に新しい気づきをもらってしまった。

2023年6月5日(月)

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