尖った感性を失うことへの心許なさと、安堵と。
この混沌として、理不尽な社会を生き抜くために、意識的に感性を鈍らせているうちに、良くも悪くも’気にしない’ことが当たり前になっていく。
これが大人になるということだとしたら、言葉にならぬ苦しみにもがいていた子どもの頃の自分には申し訳ないような気持ちもあるけれど、同時に深く安堵する気持ちもある。
あの頃、苦しみは、強烈なトラウマとして刻まれ、永久かのように思われたが、時が経つにつれ徐々に薄れ、記憶を辿らなければ、思い出すことも少なくなった。
柔らかい剥き出しの心は何度となく