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好奇心の行方

僕の好奇心の取扱説明書を知らないですか?

ここ最近見当たらなくて、新しく新刊を出さないといけないところまで来ている。当たり前にある人生の教科書だったから、破れたのか自分で消したのかわからないが、中身が減ろうとも何とかやりくりしていたが、ついにフリーペーパーほどの厚みになり今は完全に無くなった。

新たに作るために、少し好奇心についてまとめてみると。
〇現在の好奇心の流れ
興味→鑑賞→共有→終了
SNSなどで見つけた興味を、なるほどなぁと眺めて人に共有すれば満足してしまう。好奇心というか、ただの小波を乗るネットサーファーレベル。

〇昔の好奇心の流れ
興味→鑑賞→調査→体験→感想→終了
見つけたり考えた興味を、出来るところがないか買えないか調べないと満足が出来なかったり、習い事も試行錯誤が出来たはず。「共有」の項目なんて、人と話すときのタイミングがなければしてなかったのに。

つまり「鑑賞」から「体験」までがうまく繋がっておらず、腰とフットワークが重い重い。体の下半身に問題があるのか?

〇なぜ体験に繋がらないのか
とりあえず、何か手をつけてみよう。
旅行なり、勉強なり、人間関係の発掘なり、やってみたらどうだろう。
考えるだけで、さぁめんどくさい。嫌な気持ちが好奇心に割って出てくる。

めんどくさい理由を書き出してみると。
「何か大変そう」、「何か準備、後始末しなきゃ」、「睡眠時間が減りそう」「知らない人に会うのなぁ…」「お金かかりそうじゃん」etc…

こんなところが出てきたが、どれも漠然とした不安が芽生えさせている感情だ。不安が招いたよくわからないものを解消しないと、先に進まないじゃん!と足を止めてしまうわけだ。
確かに、大変そうでお金かかったら嫌だし、知らない人に気を遣いながら睡眠時間が減ったら嫌だ。
つまり、自分を守る自己防衛が働いているのか。自分が精神的に苦しくならないように、制御してくれているわけか。

だから、動き出さないようにしてくれているのか。
ありがとう自己防衛本能。本能万歳。

〇何を守ろうとしているのか
自己防衛本能が自分を守ってくれているわけか、悪い未来を避けるために。
じゃあ何に自己防衛を使っているかを考えると。

「疲労感を感じてしまわないために」、「人から何か言われそう」、「やったところで意味あるんすか?」etc…

ここら辺が近そう。どうやら自分の体の心配や有効性を気にしているみたいで、昔には感じていなかった内容だ。

昔と違うのは、自分を守っている内容だと感じてきた。

例えば、サッカー大好き少年の一番大事なのは「サッカーが上手になりたい」こと。だから、雨の日でも練習するのは、体の心配よりサッカーをするほうが大事だから外に出かけていく(本人はただサッカーがしたいだけ)。
「人を楽しませることが好き」な人が、あいつはバカだなぁとはたから思われてしまう行動をするのも、自分よりも笑ってる人の方が大事だからバカ出来る。

守りたいとか大事にしたいことが、活力になって動けているといった感じか。「好奇心を持つこと」はエンジンで「大事にしているもの」が燃料としたら、欠けていることは好奇心を探すことではなくて、大事にしているものを見つけることが大切な気がしてきた。
発電機のひもを引っ張り続けたけど、そもそもガソリンが無かったみたいな。

〇大事なこととは
守らないといけない大事なことは、それがないと自分を失ってしまうようなもの。
好奇心も湧かず行動力もない動けない状態の時には、人生の目標を持つことを推奨されている気がする。
目標のイメージは遠い先にあるゴールに向かって走るイメージで、目標立てればまず走れるじゃんという理屈だと思うが、まず内に秘めた守らないといけない大事なものに従って動くことが今までの整理してきた話だ。

書きながら思ったが自分にとって大事なものは、すでに無くしてましたわ。
好奇心の取扱説明書探してましたけど、僕の大事なものって誰かの落とし物箱に入ってないですか?

自分を大事にするものは、人生を謳歌するためのダウジングアイテムになるはず。得意不得意は置いておいて、なんか楽しそうを検索できると思う。それを忘れてしまっていては、好奇心も何もないなと思った。
将来の夢を追いかけている人がどこかで夢破れるとしても、その道中の夢中を起こさせるのは興味、関心、試行錯誤のわくわくしかないはずで、それをさせているのも大事なものを知っている、感じてることが大切なんだろうな。

まずは、少ない興味をがさっと集めて共通点調べたり、昔の感情をマネして動いてみる、足で探す刑事みたいなやり方で見つけてみよう。

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