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自らの生き方に関する相反する思考について

音楽を聴きながら追加の酒を求めてコンビニへと歩いていた時、考えたことがあるのでまとめることとする。私自身のくだらない思考なんて誰も興味が無いだろうということは想像するに難くない。しかし、こうして電力とnoteのサーバーを無駄にしてみると案外スッキリするかもしれないので、私事で恐縮だが駄文を綴ろうと思う。


「追加の酒を求めて」という所から、どうやら私がダメ人間っぽいということが伝わってしまうかもしれない。ひとまず最近の私に関しては、明らかなダメ人間であることを認めよう。世間一般で言うところの「メンタルがやられている」という状況なのかも分からない。ただ、その状態を主観的に判断するのは難しいため、私個人の意見としては「メンタルはやられていない」と主張することとする。
既にある程度の酔いが回っている私は、普段の癖でyoutube musicのオフラインリストをシャッフル再生していた。すると、アザミ氏の楽曲である「行かないでメロディメイカー」が流れてきたのであった。ここまでの駄文を読んで「どんな楽曲なのか聞いてみよう」という物好きな方は、ぜひ検索してみてほしい。このような拙いnoteにURLを貼るとアザミ氏の楽曲に失礼であるため、それは止めておく。

「行かないでメロディメイカー」は(アザミ氏の楽曲にしては珍しく)タイトルと歌詞の関係が明確で、そのタイトルの通り謎の人物「メロディメイカー」が何処へかと言ってしまうのを引き留めるような、悲しむような、そんな雰囲気が醸し出されている。
私はアザミ氏の楽曲の中でもとりわけこの曲が好きで、その理由は彼女の歌い方によるところが大きい。絞り出すように発される、切ないハスキーな声がたまらなく良いのである。



なぜ、アザミ氏はそんなに素敵な歌い方をしているのだろうか。或いは、なぜ、私はこの曲のアザミ氏の歌声を「絞り出すように発される、切ない」と解釈したのだろうか。
今回のnoteのテーマである「自らの生き方に関する相反する思考」に注目したきっかけは、この問いである。

結論から先に言えば、私は自分自身の中に「メロディメイカー」なる人物を見出したのである。そして、「行かないで」という歌詞に深く共感したからこそアザミ氏の歌声を良いと感じたのであろう。

ここからは私の勝手な想像 ―そんな大層なものではなく妄想に近いかもしれない― であるが、メロディメイカーはアザミ氏の心の中にいる人物である可能性を指摘する。
彼女は活動を始めた当初、現在まで活動が続いていない未来を視野に入れていたようだ。一般的に生存競争が激しい音楽業界において、そのようなことを考えるのは当たり前の事なのかもしれない。何かの折に「もうダメかもしれない」と感じた時、歌を歌う自分が遠ざかっていくように感じたのではなかろうか。そして実は、どんなに活動を続けてもそのようなきっかけは不意にやってくるのかもしれない。だからこそ、その生々しい悲しみが表現されているのではないだろうか。


さて、アザミ氏本人でも何でもない奴がダラダラと垂れ流す妄言はこの程度にして、僭越ながら自分語りをさせてもらおう。
理系の大学院に通う身として、将来の夢はやはり科学者である。自分が好きな研究をして、それでお金がもらえるなんて何と素晴らしい職なのだろうか。研究者として職を得ている先輩方は、(少なくとも精神面においては)常に充実していて目が爛々と輝いている。人によってはこの輝く目を狂気的と感じるかもしれないが、とにかく皆さん楽しそうなのである。

私も研究は最高に楽しい。休日などいらないから毎日研究室で寝泊まりしたいし、徹夜で作業をするのも全く苦にならない。毎日2時間くらいしか眠れないシフトで数週間の実験をしても、生活リズムが崩れすぎて体調不良になっても、金が無くて極貧生活を強いられても、酒が無いと眠れなくとも、自分より優秀な人を見て強迫観念に駆られても、実験と学会とゼミが被って辛くても、人生で研究している時が一番楽しいと言える。これは心の底からの感情で、全くもって嘘ではない。

それでも、私は人間なので、余計な感情が鎌首をもたげてしまうのである。
「何で俺より勉強してない奴がこんなに楽しそうで、俺はこんなにしんどいんだろう」と。
「何で名前もよく知らない大学を学部で出た人がこんなに金を持っていて、俺はこんなに貧乏なんだろう」と。
「このまま生きていて、途中でポストに就けなかったらどうやって生活していくんだろう」と。
「科学者として生きていけたところで給料は高くないし、どうやって生活していくんだろう」と。
断わっておくが、常日頃からこんな意地の悪い思考回路をしている訳ではない。多少追い込まれているから、このようなネガティブな思考をしてしまうことはちゃんと理解しているつもりである。

ただ、どのように言い訳しようとも大好きなはずの研究に対してこのような感情を持ってしまうことは事実なのだ。何と悲しい事だろう。研究を成功させるために最大限努力しているのに、自らそれを否定するような思考に陥るとは。
自分の中にある残念な負の感情に気付く度に、一歩また一歩とメロディメイカーが遠ざかる足音が聞こえるのである。それともいつの日か、私自身が彼から離れてしまうということが起こるのだろうか。その時、私は私自身の生き方をどのように肯定できるのだろうか。


話は変わり、私はサルトルの哲学が大変好みである。彼の哲学からすれば、既に述べてきたような思考は何の意味も持たないのだろう。私が生きてきた意味、評価は私が死んで後に初めて意味を持つからである。それは理解しているし、間違いないとも思う。しかし、今の私は酒を飲む以外に負の感情をねじ伏せて眠りにつく方法を知らないのだ。

最後に「行かないでメロディメイカー」のフレーズを引用させてもらい、この拙い文章を閉じようと思う。明日は学会なのだ。



「信じすぎないでずっとずっとここで歌っていてよ
逆らえ、メロディメイカー。」
どうか私の生き方に関する相反する思考が、明日も続きますように。

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