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なぜ私はこんなにもガリレオシリーズに魅了されるのか。


私はガリレオシリーズが好きだ

最初に理解していただきたいのは
私は東野圭吾さんのガリレオシリーズが好きなただの一読者です。
ここから書くのはただの自己満足、自身の書きたい欲に従って、
ただ、ただ書くものになります。

ガリレオシリーズとの出会い

私が初めてガリレオシリーズに出会ったのは中学生の時です。
初めて見たのはドラマで、そこから原作の書籍を読むようになりました。
ガリレオシリーズでも最も好きなのは下記2作品です。
・『聖女の救済』
・『容疑者Xの献身』

上記の2作品が好きな理由は後述します。

今回はそんなガリレオシリーズの最新作『沈黙のパレード』が映画化され、過去の作品の公開、さらに『禁断の魔術』の映像化されることに喜びを感じました。
しかし、私は正直、『沈黙のパレード』についてはあまり好きではありません。
※あくまで個人的見解ですのでご容赦ください。

なぜなのかなぁと考えたときに
今までのガリレオシリーズと若干の異なる、違和感を感じたからかもしれませんと思いました。

私が好きな理由

私が、ガリレオシリーズを好きだった理由は「純粋」だったからの一言に尽きると思いました。だからこそ、ドラマも1期のほうが好きだったのだなぁと思いました。
湯川教授はもちろん、内海刑事も草薙刑事も、時には犯人でさえも純粋だったから私はこの作品が好きだったのです。

その最たるものが『容疑者Xの献身』でした。
犯行理由は正当化されるものではないです、内容も当然。
ただ、それでも堤真一演じる石神哲哉の気持ちは、動機は愚かとさえ揶揄されるであろうほど”純粋な愛情”だったのです。

『聖女の救済』も同様です。
ただ、ただ愛する人を許せなかった”純粋すぎる愛情”がゆえに狂気へとたやすく変えてしまった。

社会人になって、経験も積み思うことは「純粋さ」は馬鹿を見るということです。これは仕事でも恋愛でも痛感することが多いです。
うまく生きるためには、「打算的」「割り切り」を受け入れがちです、だってそのほうが自分が傷つかないから。

だからこそ、そんな私は、石神哲哉や真柴綾音に対して、否定でも肯定でもない気持ち、あまつさえ感動を抱くのだろうと思う。

沈黙のパレードについて思うこと

一方、今回の『沈黙のパレード』についてはこの”純粋さ”が欠けていたからに尽きるからだろうと思う。

※以下ネタバレ含みます。要注意。
一番ひっかっかたのは新倉留美の存在だ。
あの犯行が明るみになることで、
並木家はただ蓮沼寛一を恨めばいいということではなくなってしまった。

自身が遺族なら、新倉留美が並木佐織を突き飛ばしたときに、
救急車を呼んでいれば助かったかもしれないと必ずよぎると思います。
それは蓮沼という他人を恨むことよりもずっとずっと苦しいことだと私は思う。
新倉夫妻が並木沙織を大事に思っていたことがわかっているからこそより苦しめられると思う。
そう思うと、並木家の人たち、周囲の人たちを思うと私は心が痛む。
自分たちと同じ気持ちだと思っていた人が、ほかの気持ちや思惑があったと気づいた時、彼女彼らはの気持ちは複雑で行き場のないものとなるから。

禁断の魔術について

『禁断の魔術』についてですが、沈黙のパレードよりも純粋さが詰まっており好きです。
古芝伸吾の姉を思う気持ちも、彼の父親の地雷のリスクに対する愚かさも、湯川教授が古芝に伝えた実験道具の威力についても。
すべて、彼ら自身は”純粋”な気持ちからだったのだと、だからこそ周囲に利用され、正しく危険性を伝えられず考えられなかったのだと。
私は思います。

最後に

あくまでここまで述べたことは個人の見解や価値観に偏りがあるものであることをご理解いただきたいです。

沈黙のパレードについては、映像化するには演出で迫力もつかめ、内容も複雑でとても素敵な作品でした。

この作品には多くの人が関わりすぎたため、気持ちが複雑すぎて純粋さを貫くことができなかったと思います。
誤解されたくないのですが、そこについては私も純粋にそう思います。
この映画が大ヒット作品になることとを心から祈ります。

#ガリレオ
#沈黙のパレード
#禁断の魔術
#東野圭吾

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