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小脱走

 小さな輸送船からランチで降ろされた先は、山間にある捕虜収容所だった。紫色の捕虜服に身を包んだ俺と同じような連中が、警備兵の視線を浴びながらまばらな列を成してゲートに向かっていく。空はどんよりとした鈍色で、雲は地面に付かんばかりに垂れ下がっていた。格好はつかないが、これで戦争はもう終わりだ。そのはずだった。

 自分の房には3人の先客がいた。最も手前、テーブルで書き物をしていたのは浅黒い肌に黒髪を頭の後ろでまとめた大男だ。最も奥のベッドには、気弱そうな眼鏡の男が壁の隅に座っている。テーブルを挟んで大男と反対側の長椅子には、いかにも貴族という見た目の男が憮然とした表情でこちらを見つめている。
「お前がエトヴェシュ・ジョルト准尉だな?私はヴァルター・アレクシス。階級は中佐、この房の房長だ」
 ヴァルター中佐に続いて大男と眼鏡も口を開いた。
「……俺はバデー二・ヴォイチェフ、応急員で曹長です。出身はマン属区。よろしく」
「わ、私はクルツ・ノルベルト准尉です!ここに来る前は航空士でした!どうぞお手柔らかに……!」
 自己紹介を返す。
「俺はエトヴェシュ・ジョルト准尉、パンノニア自治国軍で整備兵をしていた。中佐、ここは俺たち4人で全員ですか?」
「ああ。この4人が房のメンバー、そして秘密を共有する仲間でもある」
「秘密を?どういう事です?」
 俺の問いかけに対して中佐は仰々しく答えた。
「脱出だ!私は皇帝陛下に仕える者として、終戦までアーキリアンの収容所で燻っているつもりなどない!ここに来て初日ということもありまだ具体的な計画は無いが、収容所の構造や必要なモノを調達し次第すぐにも脱出するぞ!そして帝国に戻るのだ!」
「はぁ……、それって俺たちもやらなきゃダメなんですか?」
「当たり前だ!皇帝陛下の兵士だろう!身体が動くなら陛下のため戦うべきだ!」
 どうやら中佐は熱心な皇帝の信奉者のようだ。残りの2人はというと、いかにも「勘弁してくれ」という顔をしていた。やはり塀の中にも平穏は無いらしい。

 収容されてから3日が過ぎた。当初は中佐の脱走計画をどうやり過ごすか考えていた私も、やはり脱走すべきという考えを持ち始めていた。といっても突然中佐のようなインペラリストになった訳では無い。飯が恐ろしくまずいのだ。
 この収容所では1日3食がしっかりと出る。朝食と夕食は毎回主菜に干し肉か干し魚が出る以外はまだマシだ。問題は昼食だ。食堂の長机に並べられたそれを見て俺、いや全ての捕虜たちが絶句した。連邦軍の軍用糧食がそのまま置いてあったからだ。石鹸、毒入り、クルカも近づかないと散々な軍用糧食が昼食として出されるのは捕虜虐待に等しい。こんな物を毎日食べていては気が狂ってしまう。
 "昼食"をどうにか胃に詰め込み(チヨコだけはどうしても食べられず隠した)房に戻ると、そこには青い顔のヴァルターとクルツがいた。貴族出身のヴァルターには特に耐えかねているらしく、机に突っ伏している。私がチヨコを流そうとトイレに向かうと、ヴァルターが顔だけをこちらに向けた。
「エトヴェシュ准尉……これでお前も分かったろう、脱出計画の重要性が……」
「全くその通りですね」
「連邦人どもに毒殺される前に、一刻も早くここを離れなくては……バデー二曹長、お前は平気そうだな……?」
 バデー二はヴァルターの青い顔を見返しながら冷たく言った。
「……軍に入る前、属区での食事は粗末なものでしたから」
明らかに帝国貴族に対する皮肉が含まれた発言だ。だがヴァルターは無視したのか、あるいは単に気づかなかったのか(多分こっちだろう)言葉を続けた。
「そうか、だが私は我慢ならん!脱出だ!それも今すぐに!」
「しかし中佐、脱走って言っても自分たちがどこにいるかも分からないんですよ」
「あの……!それなら私が分かります!」
これまで青い顔をしていたクルツが口を挟んできた。
「どういうことだクルツ准尉?まさか連邦兵から地図を盗んだのか!?」
「いえ、そういう訳では……輸送船でここに連れてこられる時、ずっと外を見てたんですよ!私は航空士ですから、地形から大体の位置は分かります」
「それで、俺たちはどこにいるんだ?」
 俺が問いかけると、クルツはテーブルの上の紙に地図を描き始めた。
「私たちがいるのは北パンノニアと南パンノニアの国境近く、"パンノニアの腕"の北側ですね。正確な位置はよく分かりませんが、ソルノークからはそれほど離れていません。川沿いは交通網もきちんとしてるはずですし、何か移動手段があれば1日もあれば着くでしょう」
「帝国側には抜けられないのか?直線距離だとそれほど離れていないが」
 クルツは航空士としての知識にプライドがあるのか、不可能だと断じた。
「ここから帝国や南パンノニアに行こうとすれば、"パンノニアの腕"や皇国周辺の山脈群を超えることになります!たとえ精鋭の山岳兵たちでも絶対に無理ですよ!」
「ううむ……どうにかして飛行艦や航空機を奪うしかないようだな。そのためにはまず武器を……」
「武器って、それ4人だけでやるんですか?」
「当然だ!秘密を知るものが多くなれば連邦兵に嗅ぎつかれるからな!」
 ――ダメだ、脱走するのはいいが、ヴァルターの案はあまりに現実味が無い。脱走するとしても、ヴァルター抜きでやるしかない。

 ヴァルターは寝るのが極めて速い。貴族で士官の彼にとっては劣悪な環境のはずなのに、何故そんなに速く寝られるのか気になって本人に聞いたことがあったが、"適切な判断を下すのが仕事な士官にとっては、寝るのも仕事のうちだ"と言っていた。ヴァルターの判断能力はともかく、おかげで彼抜きで話が出来るというものだ。
「それで、こいつ抜きで脱走しようという事ですか」
 消灯後、俺たち3人はテーブルを囲んでいた。俺が発案した脱走計画について話すためだ。消灯後の私語は警備兵が来れば注意を免れえないが、アーキル兵たちはやる気が無いのか、これまで一度も夜間巡回に来たことは無い。そもそも房の鍵だって来た時から壊れていたくらいだ。
「ああ、ヴァルターには直前まで彼の計画に従うと思わせておいて、囮に使うんだ。彼は武器を奪って正面突破するつもりだから、そこへ警備が集まる隙に脱走する」
「いい計画だと思います!……その、少なくとも、ヴァルター中佐の案よりは」
「……しかし、移動手段はどうするんです?一番近い村までだって、徒歩で辿り着くのは不可能な距離ですよ。途中で捕まってしまう」
 的確な指摘だ。しかしその指摘には返答が用意してある。
「物資の搬入や捕虜の輸送で車が来るはずだ。それを拝借する」
「エトヴェシュ准尉、連邦の機械車を運転出来るんですか?」
「ああ、整備兵をやってると連邦の機械を触ることも多いのさ」
 とはいえ、触ったことがあるのは鹵獲した戦闘機や艦載艇ばかりで、連邦の車を運転出来るかはその時にならないと分からない。
「……分かりました。俺もついて行きます、他にやることもありませんから」

 この収容所では昼食と自由時間を中に挟んで6時間ほどの労働時間がある。そして、不思議なことに捕虜たちは昼食前の方が元気がある。その労働時間が終わり房に戻ると、興奮した様子のヴァルターが駆け込んできた。ヴァルターは俺たち3人を呼び寄せると、怪訝そうにする俺たちの前で、自作の粗末な地図を開いた。それはどうやらこの収容所の地図で、1つの建物が丸で強調されていた。
「武器庫のありかが分かったぞ!ここが我々の房で、ここが武器庫だ!」
「中佐、これいつ調べたんですか?」
 俺の質問にヴァルターは得意げに答えた。
「労働時間中に抜け出したんだ!警備兵連中はロクに仕事するつもりが無いらしい、見てない隙に抜け出すのは簡単だったぞ!」
 後で見つかって独房に放り込まれるとかは考えなかったんだろうか?
「……ヴァルター中佐、武器庫の鍵はどこにあるんですか」
「今は無い!その時になれば警備兵を襲って、奪う!」
「あの、それでは警備兵たちと正面から戦うことになってしまうのでは……?」
「クルツ准尉は攻撃精神が足りんぞ!他の警備兵に露見する前に事を済ませればよいだけの話ではないか!」
 このままでは埒が明かない。俺は口を挟んだ。
「じゃあこうしましょう、警備兵から鍵をこっそり盗んで、複製した後何食わぬ顔で元あった所に返せばいいんです」
「なるほど、それなら連中と事を構えるのを先延ばしに出来るという事か。しかしどうやって複製するんだ?」
「……俺がやります」
 バデー二が口を開いた。
「……俺は応急員です、応急員は生体器官カバーなど重要な装甲に穴が空いた時補修出来るよう、簡単な金属加工を覚えさせられるんです」
「材料は食堂のトレイとかをチョロまかせばどうにかなるでしょう。工具は……まあ、俺が何とかします」
そう言うと、ヴァルターは納得した様子で地図に目を落とした。
「分かった。鍵がどうにかなったらエトヴェシュ准尉、お前が武器庫に潜入するんだ」
「えっ!?何故そんな事を……?」
「武器庫の中に何がどれだけ入っているか確かめる必要があるからだ。それから鍵が使えるかも見ておきたい」

 とんだ貧乏くじを掴まされてしまった。こんなことなら鍵など見つからなければ良かったのに、俺は消灯後の暗い収容所のグラウンドでそう思った。
 俺が鍵を手に入れたのはおとといのこと、所内労働の一環で洗濯室に配属された俺が警備兵の服を洗っていると、ポケットの中に鍵束を見つけたのだ。房に鍵を持ち帰ると、バデー二は食堂から拝借したナイフと金属製トレイを使って、あっという間に鍵を複製してしまった。俺は何食わぬ顔で本物の鍵を洗濯室の床に落としておき、偽物の鍵で扉を開けるべく武器庫に向かっている。危険極まる行動だ。
 一応バレないように工夫をしてはいる。例えば服だ。紫の捕虜服で出歩くのはリスクが高すぎるため、洗濯室にあった予備の警備兵制服を拝借している。暗いのもあって遠目から見れば分からないが、階級章や名札が無いため近づかれるとモロバレだ。
 そんな事を考えていると武器庫の前に着いてしまった。やるしかない。鍵穴に偽物の鍵を入れてひねると、扉はすんなりと開いた。中に入るとそこには銃を立てかけておくラックがあった。収まっているのは1挺だけだ。横には弾薬箱が積まれている。蓋を開けるとそこには酒瓶が入っていた。
「なんだこれ……」
 他の弾薬箱を開くと、干し肉や干し芋、タバコなど、およそ弾薬箱の中身にふさわしくない物が出てきた。倉庫代わりに使っているのか、あるいは兵站部隊と結託して武器弾薬の代わりに嗜好品を送らせているのだろうか?
 全ての箱を開けると、数本の警棒、3挺のリデル短機関銃、100発ほどの弾薬、手榴弾2個、そして何故か無数にある発煙筒のほかは全て食品や嗜好品の類いが入っていた。連中、こっちにはまずい戦闘糧食を食べさせておいて、自分たちはまともなものを口にしているらしい。ともあれ、これでは武装蜂起は無理だろう。
 用事も済んだし、抜け出した事や武器庫に入った事がバレる前に房に戻らなければ。武器庫から出て歩き出した、その時だった。
「……おい、そこに誰かいるのか?」
 まずい、巡回の警備兵だ。それほど近くではないが、懐中電灯で辺りを照らしながら近づいてくる。近づかれれば誤魔化せなくなる……!!
 その時だった。
「ピュイ、ピュィイ!」
「なんだ、クルカだったか……」
 クルカの声に気を取られて、警備兵は俺に気づくことなく去っていった。
「助かった……」
「……大丈夫ですか、エトヴェシュ准尉」
「えっ!?」
 声のした方に振り返ると、そこにはバデー二がいた。
「いつの間に!ついて来てたのか?」
「いえ……帰りが遅かったので見に来たんです。そしたら見つかりそうになっていたので……クルカの鳴き真似で注意をそらす事が出来て良かったです」
「あれはお前だったのか!てっきり本物かと……とにかく助かった。早く戻ろう」
 バデー二がクルカの真似が上手いとは、見かけでは分からない意外な才能だ。彼の故郷であるマンにもクルカはいるのだろうか?
 ……あるいは、ここに来てからもう二週間ほど経つから、ここで覚えたのかもしれない。あんな故郷の街でも帰りたいと思えるほどに、長いこと収容所にいるのはつらい。少なくとも故郷のメシはここよりマシだったからだ。俺もここを抜け出して帰ってしまいたい所だが、南北の前線を越えるのは難しい。故郷を見ることは戦争が終わるまで叶わないだろう。

 朝食のために食堂に向かっていると、他の捕虜たちがなにやら話をしているのが聞こえた。
「どうやら、北パンノニアの将校がここへ視察に来るみたいですね」
「北パンノニアの将校ねぇ……ひらめいたぞ!こっちに来てくれ!」
 俺はクルツとバデー二を伴って建物の影に入った。
「いいか、脱走計画は今日実行するぞ。今から手順を話すからよく聞いてくれ……」

「なるほど。エトヴェシュ准尉の提案の通り、脱出計画は本日実行する!」
 房に戻った俺たちはヴァルターに脱走計画の始動を促した。もちろん肝心な部分に関しては誤魔化してある。ヴァルターには俺達のためにひと暴れしてもらわなければならない。
「では、その北パンノニア将校とやらが来たら動くぞ。備えておけ……」
 その時、警備兵たちが捕虜を房に入れ始めた。
「各自の房に戻れ!」
「なんだなんだ」
「将校の視察が来たんだとよ」
「ちょっと待て!外に忘れ物を……」
 俺たちは顔を見合せた。
「中佐、これって……」
「ああ、間違いない。やるぞ!」
 自分の房に戻ろうとする捕虜たちを押しのけ外への扉へ向かう。当然ながら警備兵の1人が見咎めた。
「何してるお前ら!房に戻れ!」
「やれ、エトヴェシュ准尉!」
 ヴァルターの号令に合わせて警備兵にタックルをかけると、警備兵は壁に叩きつけられて気絶した。
「いいぞエトヴェシュ准尉!武器庫に急ぐぞ、私についてこい!」
 クルツが武器庫の鍵を開き、リデル短機関銃をヴァルターに渡した。
「よし、監視塔を攻撃する!」
 ヴァルターが監視塔に向かって短機関銃を発射すると、警備兵は恐慌状態に陥り頭を抱えて伏せた。1発も当たらなかったのは幸運ゆえか、それとも短機関銃の性能の問題だろうか。
 そして、発砲音を聞きつけていよいよ警備兵たちが集まりだした。手には警棒を持っている。
「今更来たって遅いぞ、野蛮なアーキリアンめ!喰らえ……うん?」
 ガチャリ、という音とともに短機関銃の引き金は引きも戻しも出来なくなった。欠陥品だ。
「クソッ、他の武器は無いのか!」
 そう言って武器庫に入っていくヴァルターを尻目に、俺達は行動を開始した。発煙筒に火を付け手当たり次第に投げると、たちまち白煙があたりを覆った。
「ゲホゲホッ、お、お前達何をしている!」
「悪いですねヴァルター中佐!俺達皇帝のために戦うのはもう御免なんですよ!バデーニ、クルツ、将校は向こうだ!」
 煙に巻かれるヴァルターを残して俺達3人は正面ゲートと駐車場の方向へ走り出した。すると先程ヴァルターに撃たれていた監視塔の兵士が頭を上げ、ナバンカ機関銃でこちらを狙っているのが見えた。
「バデーニ!」
「了解!」
 俺の号令に合わせてバデーニが発煙筒を投げると、それは白い尾を引いて銃座に吸い込まれていった。あれでは狙いを付けられまい。
「ありました!車はあそこです!」
 そこにはパンノニアカラーの装甲車と乗用車が1両ずつ止まっていた。すでに将校たちは移動しているらしくもぬけの殻だ。警備兵たちもヴァルターにかかりきりらしい。近づいてドアを開けようとすると、乗用車の方は鍵がかかっていたが、装甲車の扉はすんなりと開いた。
「よし、装甲車の方を使うぞ!みんな乗れ!」
「「乗りました!!」」
 いよいよ脱走も正念場だ。俺がこの車を運転できなければ脱走は失敗、責任重大な仕事だ。運転席に座ると足元にはペダルが2つ、股の間には操縦桿のようなものが生えており、パンノニア文字で"駐車位置"と書かれたメモリに合わせてある。他には"全速""登坂""後退"などのメモリがあるようだ。正面からは操舵輪のようなものが生えている。なるほど。つまり操舵輪で左右の操向を、ペダルで速度の調整を行い、操縦桿のようなもので運転モードを切り替えるらしい。
「車を出すぞ!」
 後部座席の2人にそう呼びかけると、俺は操縦桿を"全速"に合わせ、加速用と思わしきペダルを思い切り踏み込んだ。
 ……動かない。ペダルを間違えたと重い逆ペダルを踏み込むが、車は動くどころか唸りの1つあげない。もう一度操縦席を見渡すと、鍵穴があるのに気づいた。
「しまった!エンジンがかかってないんだ!」
「ど、どういうことですかエトヴェシュ准尉!」
「この車のエンジンは動いてないんだ!再始動しないと!ここに鍵穴がある、動かすには多分鍵が必要ってことだ!」
 こんな事なら地上車両整備の訓練をもう少し真面目に受けておくべきだった。しかし嘆いているヒマはない。ボヤボヤしていると警備兵たちが戻ってきてしまう。
「カギがありそうなのは……ゲートの監視兵詰め所か?ちょっと行ってくる、そこで待っててくれ!」
 走ってゲートの脇にある詰め所に向かうと、そこにはうずくまる人影があった。警備兵にしてはやけに身なりがいい。腕をつかんで引き起こし、奪った短機関銃を向ける。
「……もしかしてアンタが北パンノニアの将校か?」
「そ、そうだ……!お前は脱走した捕虜か?な、何でもするから殺さんでくれ……」
 どうやらこの初老の将校は退避し損ねたらしい。俺を残虐な脱走捕虜と思ったのか、震えて命乞いをしている。こいつは使えそうだ。

 鍵を探し出して車に戻ろうとすると警備兵たちが走ってきた。俺達を探しに来たのだろう。俺は落ち着き払って言った。
「捕虜は捕まったか!」
 警備兵たちは足を止めて敬礼した。
「い、いえ大佐!」
「早く探し出せ!私はソルノークに戻る!」
 この収容所の所長とおぼしき太った男が汗を拭きながらモゴモゴと言った。
「ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません!ご自身で運転なさらずとも運転手をお付けしますので…」
「馬鹿者が!そんなことをするくらいなら草の根分けてでも探し出せ!このことは報告させてもらうからな!」
 駐車場に向かう俺の背中を深い礼で見送ると、所長たちは宿舎の方へ走り去っていった。作戦成功だ。
 装甲車に戻るとバデーニとクルツが驚愕の表情でこちらを見ていた。
「エトヴェシュ准将ですよね……?その服は北パンノニアの士官服……どうやって手に入れたんです!?」
眼鏡越しに目を丸くするクルツに、俺は笑顔を浮かべた。
「これか?実はさっき大佐に昇進したのさ」

 装甲車は軽快に坂を下り、すでに収容所からは遠く離れた。空は晴れやかで、運転席の狭い窓からも地中海に注いでいるであろうウィファルの川が輝いて見えた。航空機や飛行艦による捜索、検問の設置なども覚悟していたが、結果的には杞憂だった。たかだか3人の捕虜にリソースを割きたくなかったのだろうか?
「お腹が空いてきましたね。この先にイザキ・ウィファルの村がありますから、そこで物資の買い出しをしましょう」
 すっかり落ち着いた様子のクルツが言った。食料の類いは持ってきていなかったが、将校から奪った服に財布が入っていたのだ。
 当座は凌げるようだが、これからどうする?パンノニア語を喋れる俺が2人の職を探してやらねばならないかもしれない。戦争の影響で技術者は引っ張りだこだろうが、帝国の技術者は北の機械文明の中でも役に立つだろうか?そんな疑問や不安が浮かんでは消えた。
 ともかくもうあのまずい飯は食べずに済むのだ。そう考えると、今後何があっても上手くいくような気がした。俺は清々しい気持ちで返事をした。
「ああ、うまいパンノニア料理があるといいな」

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