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夜闇の決闘

 兵隊というのは古今東西噂好きだ。配給食の材料から敵軍の新兵器まで彼らの噂の種は絶えないが、戦場にあふれる話のほとんどは大嘘だ。そんな有様だから、私の話だって大嘘と受け取られても仕方がない。しかしこれは真実だ。624年の夏、私は雲のはるか上で爆撃機の護衛をしていた……

 623年の夏に発動された帝国の対パンノニア攻勢作戦【極光作戦】は、翌年の夏には既に膠着状態に陥っていた。帝国軍は伸び切った補給線を攻撃されて動きが鈍り、かといってパンノニア軍が反撃に移るだけの戦力差があるわけでもなかった。私たち戦闘機乗りは毎日出撃しては陸軍の上を飛び回り、群がる帝国機を追い払って回った。そんな日々を繰り返すうちにいつしか私はエースに、そして私の飛行中隊は精鋭部隊と目されるようになった。私が西部パンノニア戦線司令部に呼び出されたのはそんなある日だった。
「ザボー・グラーバリ大尉、書類には目を通したかね?事前に郵送したのだが……」
 航空団司令は私の向かいに座り、茶を勧めた。
「書類ですか?受け取っていませんが……」
 私がそう言うと、司令はいかにも困ったという顔で頭を掻いた。
「ううむ、郵便が仕事をしなかったか……まぁ問題ない、口頭で説明する。」
 彼は立ち上がると黒板をひっくり返し、そこに貼られた地図を見せた。右が北側、左が南側になっている、パンノニア西部戦線ではよく使われる地図だ。前線の飛行場から敵戦線後方へ、一本の矢印が引かれている。そしてその横には見慣れない飛行機の写真が貼られていた。
「知っての通り帝国の攻勢は止まり、こちらの軍は戦力を蓄え反撃の準備を整えつつある。しかしながら帝国軍に対して決定的な優位に立っているとは言えず、反攻作戦を行うには心もとない。そこで帝国軍の組織力と戦力にダメージを与えるため、爆撃作戦が実施されることになった。」
 司令は指し棒で黒板を指し、矢印の根本を示した。
 「貴官はバーツ飛行場を出発しキルレ・ニルギセ飛行場を爆撃する爆撃機の護衛に参加することになる。この飛行場は西部戦線における帝国軍の根拠地だが、戦線後方に位置しているため防空網は貧弱であり、本作戦の目標を達するには都合がいいという訳だな。詳細は追って伝える。なにか質問は?」
「バーツ飛行場から目的地まで、片道だけで丸一日ほどかかるように見えるのですが……単座戦闘機でこの距離を行き来するのは不可能ではないですか?」
 私の質問に対し、司令は待ってましたという顔で答えた。
「よくぞ聞いてくれた、だがその点は解決済みだ。端的に言えば、君たちは爆撃機に相乗りしてもらう。」

「俺にはこの作戦が上手くいくとは思えませんね。だいたい、奇襲ってのは相手に気取られないよう手早くやるもんでしょう。ところがこいつは608年に作られてから16年も放置されてたんですよ、16年もかかった奇襲作戦なんて聞いたことがないですよ!」
 B小隊長のジュルタ中尉は作戦概要を聞くと、呆れたように言い捨てた。
 無理もないことだ。我々がいるのはパンノニア平原を東西に貫く戦線のはるか上空、パンノニアの秘密兵器たる超大型爆撃機 ”ジャガンナーシャ” の機内だ。……ところが、この機体は15年前の秘密兵器なのだ。航空機としては極めて鈍足な機体には申し訳程度の装甲が貼られているのみで、大きな主翼にある超高圧ドブルジャガス管に被弾すればひとたまりもない。この機体を守るのは高度そのもの、わずかな防護機銃と対空砲、そして我々機載機隊の装備する戦闘機フォイレMk26 "ヴァトサーグ" T型、それもわずか12機のみなのだ。
 構造材むき出しのブリーフィングルームの中で、私は部下ふたりと向き合っていた。
「私たち、大丈夫でしょうか?」
 C小隊長のタラクシ中尉が不安げに言うと、先任のジュルタ中尉が宥めた。
「まあ、ああは言ったが大丈夫だろう。いざとなったら俺とザボー大尉がどうにかするさ。何せ、俺たちは棺桶知らずの中隊だからな。」
 棺桶知らずの中隊とは、これまで多数の出撃にも関わらず殉職隊員を出していないために付けられた渾名だ。だが、ここは今まで向かったどの戦場とも違う。うっすらと寒気がしたのは、高度と効かない暖房のせいだろうか。

『爆撃用意!爆撃手は5分後に全ハッチ開放せよ!護衛機隊は出撃用意!』
 機長の号令で狭苦しく薄暗いパイロット待機室を飛び出した我々は、自らの乗機に飛び乗った。機体は低い天井のレールから吊り下げられており、レールは爆撃機側面の開放された大型ハッチをくぐり、主翼の下を通じて外側へと伸びている。レールに沿って外へ運ばれる間、私は酸素マスクを付けて呼吸を整えた。
『護衛機隊は準備完了次第、随時展開せよ。』
 防空管制からの無線を合図に、我々は夜の海へと漕ぎ出した。緩降下状態で速度を上げてエンジンを始動すると、コクピットに振動が伝わってきた。窓の外は雲ひとつなく、2つの月が不気味に静まり返っている。眼下には南パンノニアの街明かりが輝き、敵地にいることを否が応でも意識させた。
「こちら護衛機隊、展開完了。」
 報告を返しながらジャガンナーシャを振り返る。巨大で扁平ぎみな胴体からは、同じく巨大な主翼と尾翼がそびえ、串型にこれまた巨大な2基のエンジンを合わせたものが8セット、主翼に取り付けられている。機体の下には爆弾倉のハッチ、そして対空砲と対空機銃座が配置され、地上からの敵機を待ち構えている。月明かりに照らされ浮かび上がる巨体の威容は凄まじく、見たもの全てに畏敬の念を抱かせるはずだ。共和国旗艦の銀翼イシュトヴァーンを除けば、これほど巨大な航空機も存在しないだろう。
『視界良好、このまま爆撃コースに入る!1番から4番、全爆弾倉ハッチ開放!防空員は敵機接近への警戒を厳とせよ!』
『隊長、私たちの出番はあると思いますか?』
 タラクシ中尉が私に問いかけた。この高度まで上がってこれる帝国軍機はほんの一握りだが、敵の本拠地ならそうした最新鋭機が配備されている可能性も十分にある。
「分からん。だが備えておけ。敵機が来た時、ジャガンナーシャを守ってやれるのは我々だけだ。」
 私は曖昧な答えを返した。この状況で言えることはあまりに少ない。
『爆撃カウント開始!5、4、3、2、1、投下!』
 ジャガンナーシャからの無線が私の思索を断ち切った。どうやら帝国軍基地の真上まで来たらしい。無線と同時に戦闘機よりも大きな10トン爆弾8個が爆弾倉から吐き出され、高度から予測された着弾までのカウントダウンが刻まれる。
『3、2、1、着弾!……爆炎を確認、敵仮設軍港内の大型艦に命中した!仕留めたぞ!!』
 地表に赤い炎が上がり、無線に歓声が混じった。あの恐るべき大型爆弾を受けては、地表の施設など灰も残るまい。
『了解した!作戦目標を達成、これより帰投する。機首を北へ!』
 どうやら我々の出番は無かったらしい。ジュルタ中尉はさぞ残念がっていることだろう。ジャガンナーシャは右方向へゆっくりとパンクし、機首を逆に向けようとする。だがその時、その巨体が微かに震えたかと思うと、右翼側のエンジン2基の回転が止まった。回頭を済ませた後もそのままだ。
『……こちら航空機関士、6番、7番エンジンが停止した。原因は電気系統の故障のようだ。復旧までに15分ほどかかる。』
 行きには故障1つ無かったのに敵地の上空に限ってこれとは、この機体も相当のひねくれ者のようだ。私はそう思って苦笑を浮かべたが、その苦笑はすぐに打ち消された。地上から猛然と迫る物体を発見したのだ。

「あれは……敵機だ!敵迎撃機発見!」
 敵機は噴煙を吹き上げ、大型機であるにも関わらず、重力など存在しないかのように垂直に上昇してくる。どうやら翼の下に加速用ロケットを据え付けてあるようだ。
「グレンザール399、高高度迎撃機か……!」
 グレンザール399はヴェーリャ364重戦闘機の派生型だ。コクピットは1人乗り用に改造され、3fin重機関砲4門が機首に集中配置されている。高高度の敵機を迎撃するために特化したこの機体は様々な性能を犠牲にしているものの、速度と火力だけは侮りがたいという。
「各機は散開し急降下!敵機を近づけるな!」
 編隊に命令を下すと、私も機体を急降下させた。コクピットが軋み、窓の外に風が流れる。敵機は未だ小さく見えるが、距離は徐々に近づきつつある。
 編隊の戦闘を進む機体にジャガンナーシャからサーチライトが浴びせられると、暗闇の中に真っ白なグレンザール399が浮かび上がった。敵機は直進と見せかけて緩やかな螺旋軌道で上昇し、対空砲弾をかわしながら突き進んでいく。
「白い機体……"純白の騎士"、ユルゲン・オヴ・テーリヒェンか……?帝国のエースじゃないか……!」
 ジャガンナーシャの対空射撃は光る滝のようで、生半可な技量で突破できるものではない。現に対空砲弾がめり込み、機首を吹き飛ばされて落ちていく後続機の姿がある。しかしそれでも純白の機体は魔法のようにこれをかわし、全く被弾しない。噂通りの手慣れだ。
「A小隊は俺に続いて、先頭を進む隊長機の頭を抑える!B小隊C小隊は後続機を狙え!」
『『了解!』』
 先頭機との距離が縮まり、Gと緊張とで私の内臓は口から飛び出さん限りだった。大口径機関砲で射程の優位がある重戦闘機相手にヘッドオンなど普通なら御免被るが、この状況では他に選択肢などない。自身の回避運動技能を信じつつ、近づいて一太刀浴びせなければ。
「……今だ!」
 機体をスライドさせてずれるように動くと、敵機の3fin機関砲弾が空を切った。Gに耐えつつ機首を敵機に向ける。機体は悲鳴をあげているが、コルゲート板を外装板で挟み込んだトラス構造は強烈な外力にも負けることを知らない。
「……ぐぐっ……」
 狭まる視界の中で機関砲のスイッチを押し込む。リズミカルな発射音とともに発射された光弾はしかし、敵機のわずかに後ろを通り過ぎた。急いで機体を引き起こし、相手の尻につこうとする。
「速い……!!」
 失神ギリギリで機体を縦に向けた頃には、敵機はジャガンナーシャを射程圏内に捉えていた。防護機銃が純白の騎士に浴びせられるが、彼の機体は意にも介さずジャガンナーシャの上へおどり出た。一発の弾も当てること無く。
「どういうことだ……防護機銃のない上部からじっくり攻撃しようと言うのか?……A小隊各機へ、敵の隊長機は上へ逃げた、私はこれを追うからお前たちは下へ合流しろ!」
 最新型パニアエンヂンの出力と運動エネルギーの蓄積が、私の機体を上へと押し上げる。そして空を登りきった私に対し、連邦共通周波数で無線が飛んだ。
『名も知らぬパンノニアの戦闘機乗り!私の初撃を躱すとは只者ではない、この爆撃機を沈める前に手合わせ願おう!』
 ……驚いた、どうやら騎士というのは比喩ではなかったらしい。皇帝もすげ変わったというのに、こんな大時代な奴が生き残っていたとは思わなかった。だがこの状況を利用しない手はない。翼を上下に振って承諾を示す。
『大変結構!これから両機すれ違い、5秒経ったら決闘を始めることとしよう!では行くぞ!……5、4、3、2、1……!』
 縦に180度ループ、その後機体をひねって水平に戻す。運動エネルギーを保ちながら高度を稼ぎつつ敵の方を向くための軌道だ。
「純白の騎士はどこだ……そこか!!」
 ジャガンナーシャの右翼の下から3fin砲弾が帯となって向かってくるのを、私の機体は間一髪でかわした。しかし敵機はロケットを再点火し、あっという間に射程圏外へと離脱した。
「クソッ、なんて速さだ……!速さ勝負じゃ勝ち目がないぞ!」
 速さで勝てないなら、旋回能力で勝つしか無い。私は機体をジャガンナーシャの少し上、すぐ後ろへつけた。上空を敵機が旋回し、私めがけて急降下してくる。敵機の射撃をスライドでかわしつつ速度を上げると、敵機はジャガンナーシャが邪魔になって、こちらと同じ軸を真っ直ぐ進むしかない。
「もらった!……なっ!」
 敵機がこちらの射線に入った瞬間、ゆらりと上へと跳ね上がった。発射された機関砲弾が空を切る。生体器官の一時的ブーストだろうか?こちらの意図など見透かされていたようだ。敵機はロケットを使い切ったのか、噴煙を伴わず上昇を始めた。
 分かりやすい作戦ではダメだ、ならば……私は上昇する敵機の後を追って飛び出した。当然ながら速度で負けているため、両機の距離は容易に離されていく。運動エネルギーを使い切った私が機体を水平に戻すと、その瞬間を待っていたかのように敵機は急降下を始めた。私は機首を左に向けて旋回する。相手はこれを追って機首を動かす……
 射撃機会を逸した敵機がこちらを通り過ぎようとしたその時、私は機体を反対に捻った。左旋回しながら急降下する純白の騎士を射界に捉え、撃つ。
 ……勝負は一瞬だった。2fin機関砲弾が彼の機体の後部と浮遊器官に命中し、これを切断した。空に浮いているための部品をもぎ取られたそれはジャンクの塊と化し、コントロールを失って墜落していく。コクピットから脱出座席が飛び出すのが、月明かりに照らされて見えた。

『ザボー大尉、大丈夫でしたか!何があったんです!?』
 下での戦闘が片付いたのか、ジュルタ中尉がこちらへ上がってきた。
「ああ、敵機が1機、こちらに抜けてきたのでな。それより下は大丈夫だったか?ジャガンナーシャは無傷だな?」
 ……そういう訳で私と純白の騎士との果たし合いは、誰も見ぬ間に始まり、そして終わった。ただ口をつぐんだままの月だけが、その全てを見ていた。

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