長鼻戦記(2)

前…(1)

第2朱旗装甲連隊 第65装甲大隊 第一中隊 日報
623年 9月16日
友軍の撤退を支援。中隊は戦車2両、兵員7名を喪失。メディオ市の攻略は後続の歩兵部隊に任されることとなり、連隊戦闘団は損害補填のため一時後退した。

 深い闇に2つの月が浮かぶ中、私は長い夜に備えるため、濃く煮出したシーバを飲み干した。友軍の救出という重大任務には、いくら備えても備えすぎるという事は無い。
 川の向こうに取り残された友軍が装備する車両は生体器官による浮遊移動式であり、橋が落ちていてもホバー移動で川を渡ることができた。問題は、敵が攻撃をかけてきていることだった。攻守が逆転し、敵の攻撃をはねのけながら撤退する必要が出てきたのだ。そこで連隊長は損害の少ない我々を選び、敵を追い払って味方の撤退までの時間を稼ぐ任務を与えたのだった。
 我々は敵に発見されるのを防ぐため、大きく迂回して川の上流側を渡った。帝国軍橋頭堡を攻撃する敵を混乱させるには、包囲網外側からの攻撃が最善の選択肢だ。
「中隊各車は警戒しろ。そろそろ友軍の陣地だ、接敵の可能性が高い。」
 前方で発火炎が光ったのは、私がそう言い終わるのとほぼ同時だった。敵味方を判別しようと潜望鏡を覗き込むが、暗い上に倍率が低くてよく分からない。
「中隊はさらに前進しろ、敵だと分かれば撃つぞ!」
 敵に近づくのは危険だがやむを得ない。私は各車を前進させた。先程発火炎が見えた地点に火が上がり、周囲が照らし出される。敵のダッカーだ。
「正面に軽戦車だ!徹甲弾装填、撃て!」
 敵が見えれば苦労することはない。放たれた砲弾は敵の側面装甲に突き刺さり、粉々に粉砕した。周りにいた他の敵戦車たちがこちらに気づき車体を旋回させたが既に遅い。次の瞬間にはA小隊の正確な射撃が彼らを撃破した。
「第2中隊聞こえるか!こちらは第1中隊だ、救出に来た!」
私の呼び掛けに聞き覚えのない声が応えた。
『ありがとうございます、そろそろ持ち堪えられない頃でした……。我々は先に撤退します、ご武運を!』
「聞かない声だが、メギエ中隊長はどうした?」
『……戦死されました。第2中隊は私、バゼニア・アルシュティン中尉が指揮を引き継いでいます。我々は工兵隊が撤退したらすぐに続きます、ケストナー中佐もお気を付けて!』
 メギエ中隊長が戦死した……その事実は私を動揺させた。彼と私とは知らない仲ではないが、私の知る限りでは実戦経験豊富な強者だ。そう易々と殺される男ではない。敵の抵抗は思った以上に手強そうだ。

 我々は敵を引き付け友軍脱出の時間を稼ぐべく、友軍防御線をなぞるようにさらに前進した。
 視察装置から周囲を観察する。この辺りは二階建て以上の建物が建ち並ぶ市街地で見通しが悪い。本来なら重戦車のみをこのような場所に持ち込むのは避けたいが、状況が状況ゆえ致し方ない。広めの街道に向けて開かれた広場には兵員輸送車が並び、工兵隊が布陣していた。どうやら彼らは兵員輸送車に乗り込み始めているようだ。工兵たちが撤退を完了すれば我々の任務も終わる、そう思った時、兵員輸送車が被弾し燃え上がった。
「正面、敵ダッカー豆戦車!」
 どうやら後退を許すまいと突撃してきたらしい。ダッカーは工兵隊車両が展開する広場に突入し、兵員輸送車を手当り次第に討ち取ろうとしている。無防備な所を狙う的確な判断力だ。
『クソっ、前進、旋回して照準を合わせろ!』
 A小隊の戦車たちが旋回し、広場に車体を向けようとする。だがそれこそが敵の狙いだった。
 ダッカーを射角に捉えたその瞬間を待っていたかのように、A小隊の1両が爆発四散した。
「何だ!」
『正面、家屋の陰にユサール中戦車です!後退していきます!』
「しまった……!!」
 その時になってようやく、私は敵の策に気づいた。これは我々をダッカーに反応させることで、重装甲のアイリーゼンに側面を晒すことを強いるための罠だったのだ。
「全車後退!敵が遮蔽にしている家を榴弾で吹きとばせ!」
 私の指示に従い中隊各車は後退、発砲によって石レンガ造りの家は崩れ落ち、ユサール中戦車はその姿を我々に晒した。僚車の射撃が易々とこれを仕留める。しかし、ダッカーを攻撃するために前進しすぎたA小隊が孤立していた。
「エッカート少尉、聞こえているか!今すぐA小隊を後退させろ!」
『中佐、後退すると側面から撃たれるっす!』
 話している間にA小隊を煙幕が覆ってゆく。我々と分断して攻撃しようとする敵の策だ。
『クソっダメだ、3号車からの脱出者無し!』
『3号車がやられた!隊長、援護してください!』
 このままA小隊がやられるのを指をくわえて見ている訳にはいかない。罠だと分かっていても、私は煙幕の中へ突入することを選んだ。
『B小隊は私に続け、A小隊を救出するぞ!』
 白煙へ勢いよく飛び込んだ私の眼前に、北パンノニアのゾロトゥルンⅡ突撃砲が現れた。
「撃て!」
 発射用意の整っていた11.5fin砲が敵を粉砕し、敵の生き残りが逃げ出していく。エマーリアンの23finよりマシとはいえ、装填時間の長さはこのような場面で不利だ。敵の残党は撃たれることなく路地へと後退していった。

「A小隊、左側面の安全を確保した。小さな尖塔のある通りと言えば分かるか?ここから後退しろ。」
『了解!』
 我々が見張っている通りにA小隊の生き残り3両が現れ、私は一息ついた。敵の戦力は十分に引き付けた、じきに我々にも撤退命令が出るだろう。
 だが、私の安堵を砲声が打ち砕いた。
『マズい、左側面……』
 通信が途絶した。A小隊長車が被弾したのだ。発火炎の出元を見ると、そこには姿勢の低い自走砲がこちらを狙っていた。
「正面にアキエリ砲戦車だ!撃て!」
「駄目です!射線上にA小隊の車両が!」
 その一瞬がエッカート少尉たちの命を奪った。敵の二射目がA小隊長車を捉え、近距離からの8fin徹甲弾がアイリーゼンの全面装甲を貫通。無敵かに思われた戦車は爆炎に包まれた。
『敵戦車は煙幕を張って逃走しました、補足できません!』
「……分かった。これ以上損害は出せない、我々も河岸まで後退しよう。」
 連隊本部から撤退命令が出たのは、その直後だった。

623年 9月19日
本日は休養日であった。カルカニッサ前進基地にて、エンデ戦闘団全体の戦死者に対する葬儀が執り行われ、我々第一中隊もエッカートA小隊長らの死を悼んだ。彼らの魂に安らぎのあらんことを祈る。

 カルカニッサは大雨であった。窓の外に広がる草原には陽の光が届かず、先程までの葬儀の雰囲気を引きずるような陰鬱な空模様であった。私は窓の外を眺めながら、エッカートA小隊長の遺族たちに宛てた手紙の内容を考えていた。彼は明るく楽観的な男であり、若いながらもA小隊の部下たちに慕われていた。彼は仕事に対しては真面目であり、射撃大会でも良い成績を――私の記す文章はどれも空虚だと感じられた。彼はこのように短い文章で語れる人間ではないし、彼が死んだ責任の一端は私にあるからだ。A小隊長車が吹き飛ばされる光景が、今も私の網膜に焼き付いて離れない。敵地での戦死であるがために、私達は彼らの亡骸すら回収できなかったのだ。
 ほとんど白紙の便箋を前に固まる私を見かね、ケストナー大隊長が肩を叩いた。
「……ずいぶん煮詰まってるな。タバコ、吸いに行くぞ。付いてこい。」

 前進基地司令部の軒下からは、雨に濡れた草原と暗雲立ち込める空が柵越しによく見えた。
「7人のことは残念だった。特にエッカートはA小隊長だからな……」
 ケストナー中佐が言った。彼の吸うタバコの香草の匂いが辺りに充満し、煙が鈍色の空に溶け込んでいく。
「エッカートは……彼は私が第2連隊に来てから初めての部下だったんです。私が戦車長で、彼は砲手。何の変哲もないゼクセルシエでしたよ。」
 話しているうちに、色々な事を思い出してきた。彼はいささか上官への敬意に欠ける所があり、第一印象は悪かった。彼を見直したのは射撃大会の時、主砲が破損した時にマニュアルを諳んじて直して見せた事がきっかけだった。態度には現れずとも、日頃の訓練は嘘をつかない。それからは彼と打ち解け、そうして私が小隊長になったころ、彼もまた戦車長になったのだった。
 黙って私の話を聞いていたケストナー中佐がようやく口を開いた。
「そうか……部下を大切に思うのはいい事だ。だがな、この作戦が終わるまで、彼のことはあまり思い出さない方がいい。」
「何故です?」
 中佐の開いた口からタバコの煙があふれる。
「これは俺の戦訓で、特に根拠は無いんだが……死んだ人間の事ばかり考えていると、そっちに引きずり込まれる気がしてな。目の前の戦いに集中すべき時、それが出来なくなるからかもしれん。」
 引きずり込まれる……私の脳裏に、再びあの光景が蘇る。エッカート小隊長の戦車が炎に包まれる光景が。これから先、あのようになるのは私かもしれないし、私の部下かもしれない。爆炎は広がり、いとも簡単に私たちをも飲み込む……そうなる可能性もあるのだ。
「まずは今生きている人間を大事にしろ。死んだ奴の事を考えるのは、生き残ってからでも遅くない。」
 司令部へ戻ろうとする中佐に対し、私は質問を投げかけた。
「中佐……もし私が死んだら、中佐は私のことをお忘れになるのですか?」
「そんなことにはならないさ……」
 中佐は笑って言った。雨はまだ降り続けていた。

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