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卒展 日記

今日はまた大学に行かなきゃいけない日だった。今週の火曜日に通った道をまた通る。もう慣れたもんだ

今回の授業は芸大の卒展を見て、感想を書くだけだった。教授が「仲良くなるってのも兼ねてますんでね、グループをランダムで作って行ってもらいますわ」とかいうから、初めましての人たちと4人組でいくことになった。自己紹介をしたけど、声が小さくて名前がわからなかった。あとから、来た人が名前を書く名簿みたいなやつで、苗字を知った

今日の気づきは、わたしは団体行動が死ぬほど苦手ってこと。ほんとに、人と一緒に何かをするとか、何かを見るとか、同じ行動をするのが苦手すぎる。今日は展示を見るのが目的だったから、それなりにバラバラで動いてもいいのかな、って思ってたけど他の3人はわたしに合わせて動いてくれて、なんかめっちゃついてくるしめっちゃ待っててくれて申し訳なかった
入り口で集合、みたいにすればよかったなって今更思う

グループの子達の芸術作品に対する感想が薄すぎて、つまらなかった。「(日本画コースの絵を見て)きれー」「(油画コースの絵を見て)絵、うま」「(声楽コースのオペラを聴いて)きれいだった」「(現代アート的な作品を見て)むずかしい」
え、ほんとに来年から映像学科来る人たちなの?と思ってしまった。あまりに芸術に対する興味が薄すぎる。いや、もしかしたら、すごく感動しているけど感想がうまく言葉にできないだけかもしれない。そうであってほしい。そうじゃなかったとしたら、この人たちと4年間も同じ学科で学ぶことに、あまり価値を感じないし、自分が休学した末にフォルケホイスコーレとかに行ってそうな未来が余裕で見えた

その人たちと会話をしても全然たのしくなくて、わたしはどんどん不機嫌になっていった。スタスタ一人で行動しちゃったから、申し訳なかったかな。自分とあの人たちは違うってどこかで思ってる(バカにしてる?)自分にきもちわる、と思ったりもした。


だけど、今日はすごく素敵な作品に出会えた。建築学科の最優秀作品で、住めて、ものがつくれて、そして仕事を提供する場所にもなる建物の計画をしたものだった。そしてその建物を置く場所が西成ということが、わたしの中で刺さった。

資本主義がもたらした荒廃は明らかである。現代の都市計画は、あらゆるものを社会的ヒエラルキーに位置付け、管理や排除の動きを助長する。
そして、日常における社会関係の再生産を支配し、人々の活動をも分断・均質化するのである。
今問われているのは、その波を軽やかに乗りこなし、生きられる身体の意味を取り戻すことである。
本計画は、そんな秩序づけられた都市を再び人々の手に取り戻すための契機となる再生産の場である。

彼の作品紹介より

ここ最近西成とキリスト教についての本を読んだりしていて、それを読んでいると結局彼らに必要なのって仕事だなと強く思った。だけど、その「実質的」で「具体的」な協力は、自分にはできないなと思う。なぜなら仕事を作り出す人間にはなれないから。とくに、映像という進路に進むにあたって。だけどこの方は建物をつくることで、住む場所とか、制作する場所とか、あとはもちろんそこに仕事があるような居場所にしようみたいなコンセプトで作品を作っていたから、うわ、これこそ実質的に彼らに協力する方法やん!すごい!建築とホームレスって繋がるんだ!そりゃそうか!みたいになってめちゃくちゃ感動した

もちろんこれも、ちょっと違うけどセンター建て替え騒動みたいになったり、彼らが望んでいなかったらただの押し付けになってしまうから意味がないと思うけど。それでも、このアイディアはすごくいいと思った
さすが卒展、レベルが高い

その人に最近夜回りいってこんなこと思って、それでこの作品と繋げて考えれてほんとによかったですみたいなことを言ったら、実体験を通しての感想を言ってもらえるのはすごい嬉しいですって言われて、高校生でそんなに考えれたらすごくいい物が作れる人になると思うって言われて嬉しかった

今日、この間行った時に仲良くなりたいって思ってたギター好きで笑顔が素敵な女の子と話せるかと思ったけど、ずっと韓国の子と3人でいたから無理だった
話しかけに行こうと思ってたし、電車で奇跡的に真向かいに座れたけど、話しかける勇気はなかった。
グループわけ前に彼女が「こわいね〜」って話しかけてくれたけど「ね」としか返せなくて最悪、と思った。次会う時は入学式かガイダンスだから、まだまだ。とりあえず今は高校生を楽しんで、新しい人間関係のことは4月から考えよ〜と思う

240211

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