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#56 【育爺日記 Eps.2】介護とは戦略だ。

2022年8月20日より、父は我が家の2階に、本人曰く「居候の身」となった。(今、イソウローって聞かないねぇw)

父を引き取ったのには、下記の目的がある。

1. 入院による「せん妄」の完全解除。
2.「老々介護」の崩壊による心身のケア。
3. 基礎疾患(狭心症)の予後管理&療養
4. 心身のリハビリと生活環境の見直し
5. ケアマネや施設との信頼関係構築と介護体制の整備

そして、目下、一番の関心事は、「MCIと認知症の”境目”はどこか?!」という件だ。

母の時には、「うつ病」という長年の精神疾患を抱えていたので、それが、どの時点で「MCI」に入り、そして「認知症」に移行したのか?全く、わからなかった。それが掴めていれば、もっと適切な対応をとることが可能だったはずだ。

適切な対応が取れていれば、BPSD周辺症状にしても、中核症状にしても、あんなにこじらせずに済んだのではないか・・・。

その後悔は大きい。

しかし同時に、母の経過を看てきたからこそ、父の容態は冷静に観察することが出来る。父は幸い、入院中に認知症外来の診察を受診し、『認知症』ではなく、まだ『MCI』ステージというのが、わかっていた。(Y先生、ありがとう!w)

では、『MCIステージ』で、どんなリハビリが効くのだろうか?どこまで、MCIで引っ張れるのか?もしくは、脳機能が回復できるのか?

そこに非常に興味をそそられている。

ただ、リハビリや所謂『認知症予防』をしたからといって、『認知症を発症しない。』とは考えていない。むしろ、『人はどんなに認知症予防をしても、最終的には認知症を発症する。』と私は想定している。

何故なら、『認知症』とは、どんなに医術が進歩を遂げても、人間も、他の生きものと同じ様に、自然に枯れて土へ還っていけるように、神が人間の脳に仕込んだ”最後の砦”であり、”迎えの舟”なのだと。

そう考えているからだ。

父が母の介護に倒れ、心臓発作を起こした時、私は、急激に父に近づく”迎えの舟”を追い返えすのに必死だった。認知症の母に、背中をドン!と押されて、父が先に”その舟”に乗り込んでしまうようで・・・。

もし、あの時、父が先に逝ったなら、私は、認知症だが故に、救急車を呼べなかった母を憎み、認知症を恨み、認知症患者を嫌い、自分が認知症になるのを恐れ、この先、悲嘆に暮れるだけの人生になってしまう ――。

そんな気がした。

だからこそ、父には、同じに認知症を発症するにしても、それなりに穏やかで、”幸せな認知症”であって欲しい。そういう”希望のある認知症”の症例を、父には残して行って欲しい。

家族介護者として、そう仕上げられるかどうか、新たなプロジェクトであり、チャレンジなのである。

【育爺日記(いくじぃにっき)】では、その失敗事例、成功事例を記録し、それを分析しながら、戦略的に介護に取り組んでいきたいと考えている。

(などと、偉そうな事を言いながら、多分、愚痴で終わる気がしている・・・。😅)


本日の1曲は、明日から「夏休み!!」ということで。

残念ながら介護に夏休みはない。
そもそも主婦に夏休みはない。

あー夏休み・・・・・・。
恨めしいぞ・・・夏休み・・・・。

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