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#81【雑記】アーナンダの恋とお釈迦様のお話。

本日はちょっと趣向を変えて、たまには、しっとりとw

お釈迦様の十大弟子の中に、阿難(アーナンダ)とゆう名前のお坊さまが、いらっしゃいました。アーナンダは、お釈迦様が入滅される最後の最後まで、お傍に仕えたお坊様ですが、始めは、何年にも渡り、お釈迦様から入門を許されなかったお坊様です。

さて、それは一体、どうしてでしょう?

アーナンダは、出家する前、ひとりの娘に恋をしていました。
お釈迦様は、アーナンダに尋ねます。

「そなたは、どれほど、あの娘を好きなのか?」と。

アーナンダは、臆することなく、こう答えます。

私は石橋となりて、五百年、風に吹かれ、
五百年、日に照らされ、五百年、雨に打たれようとも、
ただただ、あの娘が、再び、”この橋を渡る”ことだけを望みます。

アーナンダの告白

お釈迦様は、あきれ顔w
仏門において「愛」とは”我欲”。つまり、煩悩の最もたるものなワケでw

「未熟者め!! そんなことでは、悟りの道は極められん!! 私の弟子になろうなどとは、100年早いわっ!!」

煩悩の塊になっているアーナンダに、仏門へ帰依することをお釈迦様は許さなかった ――。

それが、この逸話への一般的な解釈。

しかし私は、ちょっと違う解釈をしている。

お釈迦様は、アーナンダに「それほどの深い愛があるなら、その愛を貫きなさい。」と。仏門に入ることも修行ではあるが、市井の中で、あらゆる煩悩と戦い、揉まれながら、誰かを愛し続けることも、立派な修行なのだよ・・・と。

そこから、悟り得るものは、我々が目指すそれと、同じものなのだから。

まだ若く、稀代の美男子と言われ、大きな可能性を秘めていたアーナンダに、お釈迦様はそう諭したのではないかと。

その後、アーナンダのこの恋は、残念ながら実ることはなく、アーナンダは、ハートブレイクの末、ヒマラヤの山中に籠り、長い長い厳しい修行を重ねてようやく、お釈迦様の許可を得て、晴れてその弟子となり、お釈迦様はアーナンダを常に側に置いて、大変に可愛がったらしい。

お釈迦様が入滅された後、アーナンダは、仏教の最強経典の作成に最も貢献した「仏教第三祖」のひとりとなり、仏教の最も古い経典の定型句である、「如是我聞=我は仏陀からこのように聞いた(わたくしは、仏陀から、このように聞きました。)」の「我(わたくし)」とは、アーナンダの事であると言われている。

しかし、お釈迦様から可愛がられていたアーナンダは、兄弟子達から散々に嫉妬も受け、後世には、あまり良くは語られていないようである。(男達の嫉妬心てハンパないw)

それでも、お釈迦様がアーナンダに目をかけたのは、件の「私は石橋となりて、五百年風に吹かれても・・・。」という、一心を貫く、ひたむきな強さがあることを見抜いていたからだろう。

アーナンダならば、他の兄弟子達から、どんなに嫉妬を受けても、意地悪をされても、それに惑わされることなく、一心に、正直に、悟りの道を極められると、わかっていらっしゃった・・・。

お釈迦様が入滅された時、アーナンダは、なりふり構わず慟哭の醜態を晒し、兄弟子達から、「お前、僧侶としてみっともないよ!!💢」と諫められたという逸話を残す。

第1回の「仏典結集」”大会議”にも、釈迦の後継者であり、仏典結集の座長を務めた大迦葉(ダイカショウ)から、「アーナンダは、まだまだ未熟者で”阿羅漢”(アラカン=仏教において至高の悟りを得た者)も、得ていない。相応しくない💢」と言われ、ハブられた。

そこでアーナンダは、慟哭するのを止め、熱誠を込めて、ひとり瞑想修行に入り、ついに「阿羅漢」を得て、仏典結集大会議の当日、「釈迦の一番側につかえていた者(多聞第一/賢者)」として、堂々、仏典の編成に入り、後に「仏法付法蔵の第3祖」となった。

高僧達のとかく「いや、そんなことあるかいっ!w」と、高潔ストイックな伝承の多い中で、一途な愛に溢れ、私達と同じ様に迷い、悲しみ、苦しみ、敬愛した大師匠の死に、全身全霊で泣き叫びながらも、そこから、ついに、阿羅漢を得たアーナンダの逸話の方が、妙に人間らしくて、私は好きだ。


”私は石橋となりて、五百年、風に吹かれ・・・”

私がこの一節を知り、アーナンダの逸話を知ったのは、2011年、日本でも公開された「剣雨(邦題/レイン・オブ・アサシン)」という中国映画。

主演のミッシェル・ヨーが大好きだったからw

ヨーは、物語の中で、「細雨/ザン・ジン」という凄腕の暗殺者を演じている。ザン・ジンが使う「辟水剣(へきすいけん)」は、素早くしなり、斬られた者が、まるで”剣の雨”を受けたかのような傷を負う。なのでタイトルが「剣雨」。

ザン・ジンは、達磨大師の亡骸に纏わる伝説により、「黒石」と呼ばれる、これまた邪悪な暗殺組織から命を狙われていた。ザン・ジンは、彼らの目から逃れる為、当時の秘技(整形手術)を受け、暗殺者としてではなく、”ひとりの女”として、人生を穏やかに全うしたいと思っていた。

そんなザン・ジンの前に、ひとりの男が現われる。今で言えば、ウーバーで日銭を稼いでいた「阿生(アシャン)」だ。貧しいが、心優しい、ちょっとドン臭いアシャンに、ザン・ジンは惹かれ、二人は夫婦になるも・・・。

ザン・ジンは、ついに暗殺集団「黒石」に正体を見破られ、愛する夫アシャンの命を狙われてしまう ―――。

この映画の中で、互いに胸に秘めた、深い深い愛を伝えるキーワードとして、アーナンダの「私は石橋となりて・・・。」の一節が挿入されている。

物語の終盤には、どんクサくて優しいだけの甲斐性なしだった男、”アシャン”が、主役を食う程の意外な展開を見せる。これがもう、痺れるw

めちゃめちゃ痺れるwww
めちゃめちゃ痺れて、Blu-rayを買ってしまったwww

機会や興味があれば、是非、観て欲しい逸品だ。

”私は石橋となりて、五百年、風に吹かれ、
五百年、日に照らされ、五百年、雨に打たれようとも・・・、”

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