#49 老々介護の果てに。~父編Ⅱ~
※前回までのエピソード
認知症の母が収容先の『小規模多機能型居宅介護施設』から、毎夜、脱走を企てて暴れていた頃、父もまた、激しい『せん妄』の波に苛まれ、搬送先の病院のベッドに身柄を拘束されていた。2022年8月3日の事である。
昭和12年生まれの満85歳。身長176cm、体重72kg、白髪のオールバック、若い頃は筋骨隆々とした”漢”であった父は、8年前、別の病院で不整脈の心臓カテーテル手術を2回に渡り受けていた。母が「アルツハイマー型認知症」と診断される1年前だ。
その時、入院した病院では、高齢者用のベッドが小さくて、父の身体が収まらず、急遽、普通の成人用ベッドに切り替えられ、全身麻酔の事前麻酔検査では、通常の成人男性の1.5倍の麻酔を打たないと”効かない”事が判明し、「まるでゴリラだ・・・。」と、麻酔担当医とナース達を驚愕させた”実績”を持つ。(何だそれ?は、さておき。)
そんな身体の大きな父が『せん妄』を起こして暴れれば、ナースさん達は、ひとたまりもなかった。
8月3日の午前中、母のクエチアピンを貰いにクリニックへ急いでいた時、父の病院の方からも、連絡があった。
「あの、お父様、昨夜、”せん妄症状”が酷くでまして、点滴を外して、ベッドから下りて、ICUから出て行かれようとしてしまい・・・。」
”いやぁ・・・・親父もか・・・・・・。勘弁してくれよぉぉぉ・・・・・・う。”
父は病院で、母は介護施設で、これでは、 ”せん妄サドンデス状態”
それに対応できるのは、私一人・・・。
「それでですね、今夜、様子を診ながらですが、もし、また、ベッドから起き上がるなどした場合、”身体拘束”の処置を執らせて頂きますが、宜しいですか?」
「あ、はい。それでお願いします。父、身体大きいですからね。申し訳ありません。皆様にご迷惑をおかけして・・・。父の事、どうぞ、宜しくお願いします。」
父は、眠剤をタップリと盛られた上で、身体を拘束されるという・・・。
ま、仕方がない。
病院の云わんとしている事は、わからんではない。
わからんではないが・・・・・・。
君達は知らないのか?!
年寄りに眠剤をタップリ盛ると、”せん妄”は、更に酷くなるのだよ・・・。
長年の引き籠もり老々介護で、めくるめく”認知症ワールド”に、どっぷりと浸かっていた父は、そうでなくとも、MCIの状態に陥っている。”せん妄”が続けば、このまま、父も認知症を発症してしまう恐れが強い。
しかし、病院はそんな事はお構いなしだ。
父は今、「循環器呼吸器内科」の患者として入院している。同じ院内の「認知症/物忘れ外来」の患者ではない。病棟も別だ。
そしてさらに、君達は父の身体を良く診ているのか?!
母の為に自転車で毎日買出しに出ていた父は、その途中で何度か転倒し、右足を電柱やコンクリートに強く打ち付けて「腓骨神経麻痺」を起こしている。
その為、右足のスネの筋肉が、ごっそりとそげ落ち、右足を引き摺って歩く様になっていた。その事も、ずっと父は私達に隠し続け、二ヶ月前に私が父の右足の異常に気づいた時には、もう、治療が効かない状態だった・・・。
その父に、眠剤を飲ませれば・・・、
いや、せん妄がもっと酷くなったら、転倒のリスクが爆上がりになると、認知症外来の医師も、整形外科外来の医師も、誰も、何も助言してくれないのか?「循環器呼吸器内科の患者」だから。
大病院も、噂通りの”縦割り行政”かっ?!💢
父の身体ひとつ、容態ひとつ、さっぱり情報共有できていないなっ!!
それは、ただ眠剤をタップリ盛って、身体拘束をしておけば、済む問題だとは思えない。素人の私にだって、わかるぜよ?!
父は、心臓疾患と闘いながら、認知症への進行も防がなければならない。腓骨神経麻痺で不自由になった右足のリハビリもしなければならない。
『小規模多機能型居宅介護施設』に入った母よりも、父の方がある意味、深刻な状況だった。
8月4日、父はICUから一般病棟に移った。
父の心不全の原因は「狭心症」だった。
身体に余分な水分が溜まり、心臓肥大を起こして、心不全を発生した。「今は身体から余計な水分を出して、心臓が元の大きさに戻ったら、カテーテルによる”ステント”手術をしましょう。」という事になった。まだ入院は当分に続く。
一般病棟に移り、携帯電話が使えるようになると、父は早速、私に電話をくれた。良かった。スマホの操作はまだ覚えていたようだ。
「もしもし、Ilsa子か?俺だけど・・・。お母さんは、どうした?お母さんがいないんだが・・・。俺は今、何処にいるんかな・・・。お前は、どこにいる?!」
「ウチにいるよ。お父さん。電話が出来る様になって、良かった・・・。」
私は父に、ここ数日の出来事を報告した。
心臓発作を起こして、○○病院に救急搬送されたんだよ。
次の日、市役所に「介護申請」に行って来たよ。
そして・・・、お母さんは、今、介護施設で保護してもらっていると・・・。
「ごめんね。お父さんがいない間に、勝手に・・・。」
その途端、父の声は、今まで聞いた事もない嗚咽に変わった。
「H子・・・。可哀想に、可哀想に・・・。
ごめんな。ごめんな。俺が・・・俺がこんなことになったから・・・。
俺が悪るかったんだ・・・。俺が悪かったからH子が施設に・・・・。」
「いやいや、お父さん?!、お父さん!! そうじゃないよ、お父さん、何も悪くなんかないよ、お母さんは、施設にいた方が”安心”なんだよ。お母さんにとって。それが、最善なんだよ・・・。」
「俺が、俺が・・・、あの時、息が苦しくて、お母さんに、何度も、お前に電話してくれって・・・救急車を呼んでくれって、何度も頼んだのに、あいつは・・・、H子は、電話してくれなかった・・・なんでだ?
なんで・・・俺が悪かったから・・・?俺が悪かった・・・。」
身体の大きな父が、泣きじゃくりながら、訴えてくる。
誰よりも強かったあの父が・・・。
「違う!!違う!! お母さんは、認知症だから、そういう”病気”だから、わからなかったんだよ。どうしていいか、わからなかっただけだよ!! お父さんのせいじゃないから。大丈夫だよ。お父さん、大丈夫だよ・・・。」
「そうか・・・。H子は、そういう病気だったのか・・・。お前が言ってた通りの・・・。」
父は、この時、はじめて、母が『認知症』だと、その事実を受け止めた。
「じゃぁ、しょうがないな・・・施設に入っても、しょうがないんだな・・・?」
「うん。施設に入った方が、お母さんにとっても、良いんだよ。施設の人達も、お母さんに、とっても良くしてくれてるよ。みんな良い人達。お母さんも、施設で頑張ってる。だから、お父さんも、良く治療してもらって、早く元気になろうよ?ね?」
「う・・・ん、わかったよ・・・。退院したら、H子に会えるかな??」
「そうだね。お父さんが退院して、元気になったら・・・、一緒にお母さんに逢いに行こう! だから、お父さんも頑張って。」
そんなつもりは、サラサラない残酷な娘だったが、あの時、父のショックを和らげ、父のモチベーションを上げるには、そう言うしかなかった・・・。
この日の晩、件の施設にいた母はベッドの「鉄格子」を必死で乗り越え、家に帰ろうと図り、尾てい骨を強打して悶絶していた。
同じ頃、父もまた、眠剤を盛られてなお、「家に帰るっ!!」と、2本の点滴を自らひっぱ抜き、裸足のまま、右足を引きずり引きずり、病棟の廊下を歩いていた所を拿捕され、鎮静剤を打たれて、ベッドに拘束されていた。
見合い結婚して以来、57年間、どんな時も苦楽を供にし、多難の人生を、ずっと二人で乗り越えて来た、神前で誓ったあの時のように。
"そんな父と母を引き裂いたのは、私だ・・・。”
でも、どうか、わかって欲しい。こうするしかなかったと。
父の事も、母の事も、そして私も、弟達も、皆が助かる為には、
こうするしかなかったと。
50年以上も、この二人の娘をやってきて、最も辛く、最も過酷な、
そして、最も長い夜だった ―――。
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