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~お手本にしたい生き方~       映画「しあわせのパン」からの学び

1月より受講している伊木ヒロシさんのセルフコーチングセミナーの課題映画第5弾は「幸せのパン」。北海道の洞爺湖のほとりの宿泊のできるパンカフェ「マーニ」を舞台に繰り広げられる、心温かいオーナー夫婦と悲しみを抱えたお客さんの心の触れ合いを描いたストーリー。
セミナーで学んだことが、あちこちに散りばめられていて、ストンと繋がる映画でした。そして、主人公夫婦が送っている生活は私が思い描いているものと重なる部分が多い映画でもありました。

環境を変え、恐れずに、新しいことを始めてみる

東京から北海道の片田舎「月浦」に移り住み、パンカフェ「マーニ」をオープンした水縞君とりえさん夫婦。仕事を辞めること、知らない遠くの地に引っ越すこと、事業を始めること、どれも大きな決断だったと思います。りえさんにはどこか陰があり、水縞君にさえ時々心を閉ざしている様子でしたが、新天地での大自然の中での穏やかな生活、カフェを訪れるお客様への心のこもったおもてなし・・・言葉数は少ないけれど、しっかりとりえさんを見つめ、大きな愛で包み込んでくれる水縞君との二人三脚での暮らしを通して、ゆっくりとりえさんの心の影が消え、二人はお互いに照らし、照らされ合う、どちらにとっても無くてはならない月とマーニの関係になっていったようです。

水縞君は、「手に入れたかった、たった一つのもの」=「りえさんの100%の愛」(←だと思える)を、月浦に移住をしてパンカフェマーニを始めることにより手に入れたのだと思います。

もし、水縞君が月浦に移住をする提案をりえさんにしていなかったら、あるいは、りえさんが移住に同意しなかったら、水縞君はりえさんにとっての「マーニ」にはならなかったかもしれません・・・

手に入れたいものがあるなら、それにふさわしい環境に身を置くこと、失敗を恐れずにやってみることって大切だな、と改めて認識させられました。

新しい出会いが人生を変える

彼氏にふられ、沖縄旅行をドタキャンされた香織。線路の方向はすぐに変えられるけれど、人生は変えられないと思い込んでいる時生君。

母親が家を出て行き、父子家庭になってしまい、寂しさと悲しさを埋められない少女未久と、どうして良いか分からず、娘と心を通わせることが出来ない父親。

病気で余命少ない奥さんと、50年程前の新婚旅行を思い出し、月浦の月を見て命を絶とうとしている年老いた男性。

カフェマーニのお客さんは、何かしら悲しみや苦悩を抱えて訪れます。ですが、水縞君とりえさんの心からのおもてなし、温かい心に触れ、新しい人生、新しい関係を築いていきます。もしも、マーニを訪れていなかったら、水縞君夫妻に出会っていなかったら・・・老夫婦は命さえも絶っていたのです。パンが苦手で食べることが出来なかった老婦人は、きっと人生最後にパンを食べてみようと思って、思い切って、水縞君の焼いた豆のパンに手を伸ばしたのでしょう。そして「美味しい!」と感動し、むしゃむしゃと頬張り、「明日もこのパンが食べたい」と思うのです。そして、ご主人は、「人間は最期の最期まで変化し続ける」ということに気付き、最後まで懸命に生きた奥さん亡きあとも、生きる活力を持ち、営んでいた風呂屋を復活させ、番台に立つのです。

「人との出会い」や「どのような人と一緒にいるか」ということは、人生において本当に大切ですね。待っていてもやってこない。行動を起こし、新しい場所に行ったり、知らない人に会いに行く。そうすると、何かしら学びや気付きがあり、自分の人生を豊かにしていけるのだな、と思えます。

分け合えば、もっとハッピーになれる

未久と父親が1つのパンを分け合って食べるシーンがあります。
その時、二人はとても幸せそうに満面の笑顔を浮かべています。母親/奥さんが出て行ってしまった悲しみも、これから起こる楽しいことも二人で分け合っていく・・・やっぱり一人より二人。喜びも悲しみも分け合っていくことが出来ればより幸せなんですね。
水縞君が好きな言葉「カンパニオ」。語源はパンを分け合う人達という意味。水縞君は単にパンが好きで焼いているのではなく、「分け合うことの素晴らしさ」を求めて、「分け合いたい」、「仲間と一緒に過ごしたい」という想いを持って焼いているのかな、と感じました。

一人では出来ないことも誰かと一緒にならできる

水縞君は、未久の父親に「好きな人と、好きな場所でパンを焼いて、散歩して、来られるお客さんにもここでパンを食べて景色を感じてもらいたい、一人で出来なくても、二人なら出来ることがあります。」と言います。カフェマーニは、水縞君が窯で丁寧に焼く自然の恵みを使ったパンと、りえさんの入れる美味しいコーヒーや季節の野菜をふんだんに使ったお料理、そして二人の温かい心のハーモニーがあり存在していて、水縞君一人では作り得なかった場所なのですね。

そして、郵便屋さん、いつもトランクを持っている阿部さん、ガラス作家の陽子さん、野菜を育てている子沢山なファミリーなど、近所に住み、マーニによくやってくる、ちょっと変わった仲間達の存在も見逃せません。片田舎での2人きりの生活で、彼らの存在はきっと水縞君夫婦にとってなくてはならないものの筈。悲しみを抱えたお客さん達の笑顔を取り戻すことにいつも一役買ってくれていますし、日々の生活の中での支えとなっている、とても大切な仲間なのだと思います。

家族やパートナー、仲間との関係を改めて考え、その大切さ、有難さを再認識させられた映画でもありました。

「自分達の信じることを心を込めてやっていく、そんな人間らしい暮らしがあった。カンパニオ―仲間と一緒に。それにこそ幸せがある気がする。」
奥さんが亡くなって水縞君夫婦に届いた老人からの手紙の最後に書かれていた言葉が胸に響きました。

理想と重なる映画でした

私には昔、ちっちゃなゲストハウスをやってみたいな、という夢がありました。手作りのジャムや手作りのパン、お庭から採ってきた野菜を使ったサラダなどを、自分で焼いたお皿に入れてお出しし、心を込めてゲストをもてなす。それぞれの部屋には思い出の地の名前をつけて、そのイメージに合ったインテリアを手作りする・・リビングではワイン片手に一期一会のゲスト同士が語り合い、楽しく有意義な時間を共有する・・・な~んて感じでした。
そして、ずっと、心の片隅で、ちっちゃな宿が出来ればい~な~って憧れが少しだけありながらも、実現させようとは思っていなかったのですが、今、その思いが少し形を変えて復活しつつあります。この映画を観て、理想と重なる部分もたくさんあり、すべてが素敵に映りました。残された人生、刻々と短くなっていくけれど、大好きな家族や愛犬と一緒に、何気ない日常を大切にしながら、色々なことを分け合いながら、そして、自然を愛でながら、今を大切に、変化を恐れずに歩んで行きたいと思わせてくれる映画でした。この課題を下さった伊木さんに感謝致します(^^♪


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