私
僕は100万円にはなれないし、
誰かも100万円になれない、
100万円も僕にはなれないし、
100万円も誰かになることはできない。
そんなことは誰でも分かることだが、
100万円になることができない僕らは
一体何者なのだろうか。
そもそも何者かになりたいのだろうか。
今回僕は自分自身に取材をすることに
した。自分の感情や素直な感性を無視し続け、
向き合ってこなかったから
ひとつひとつのインタビュー内容に
他人に寄り添うのと同じように
自分に寄り添うことにした。
誰もが100万円を欲することだろう。
だが、100万円よりも大事なものはなにか。
それは自分、私と言う人種。
これが何よりも大切で価値のあるものだと思う。
私は自分というものがこの世界に存在しているか
非かさえ実際わからない、
目の前の福沢諭吉の束のような、目に見える形にあるものを私たち人間は欲するがそれは100万円で
あればただの紙切れに過ぎない。
私は誰で何をしててどういう人間なのだろう、
とか
私の感性や感情や心というものは
存在しているのだろうかとか
そういうことには目を向けない。
自分というものは100万円よりもこの世界の
何よりも価値の高い品物であるのではないか。
それにしても100万円の価値とは
一体どのくらいのものなのだろう。
月に100万円を稼ぐ人に聞いても100万の
価値はわからないだろう。
きっと普通の人には自分というものが
存在しているのだと思うが、
その自分というものがこの世界に存在していることが私は受け入れることができない、
自分というものがこの世界に存在しているのならば削除してしまいたいと思う。
このように自分に対しての謎は深まるばかりであるが、その自分に降り掛かってくるミッションを
こなしていくことがきっと人生なのだろう。
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