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私のママはしずかさん

最近また自分のなかの角野栄子さんブームの波が上がってきていたので、笑 読んだことのなかった『私のママはしずかさん』を読んでみました。

これは、『作家と魔女のあつまっちゃった思い出』かな?の中のエッセイに出てくる作品で、娘さん(くぼしまりおさん)に”ふつうのお母さんになってください”と言われたことがきっかけでできたというお話。^^

かなり初期の作品です。

「リンゴちゃん」シリーズといい、やっぱり角野さんの心の中には、早くに亡くしたお母さんのことがずーーーっとあるんだろうな、と感じました。

角野さんのエッセイを読むと、素敵だなぁ…人としていいひとだなぁ…というお父さんに恵まれて、ゆえに、さぞ、お母さんも恋しかったことだろうなぁ、と思います。まあなんていうか、最近俗にいうような”毒親”とかいう概念が入る隙間もなさそうな方ですもんね。(*'ω'*)

どんな経験であれ、経験していない者が軽々しく言えるはずもありませんが、それでも、ー角野さんの経験されたすべてのさみしさや切なさ、が、結局は、角野さんの今のあらゆる意味でのゆたかさにつながっているんだなぁ、と思いました。

私の人生もそうだといいな。…というか、このことが当てはまらない魂っていうのはないんだろうな、と信じています。…。

楽しかった、嬉しかった、わかりやすく恵まれていた、ということだけでなく、ショック、かなしみ、etc…そういうことが、深みをもって、結局はおおきな希望や癒しや励ましや、etc…になっていく…。

それから角野さんの作家人生もわかりやすくザ・”サレンダー”。

最初自分で書こうとしたわけではなく、恩師に言われて書いたのがきっかけでのめりこんでいかれたわけです。

自分で選んだ、自分でやった、ということに力があるのはもちろんですが、”なんかそうなっちゃった”とか”自分で選んでないけど結果的にそうなってた…”ということこそ、運命であり、ギフトであり、言い換えれば  ”神のとき”(tacticに自分で操作するのでなく、植物が芽吹くように自然なタイミングが誰にもある、という概念) ということだなぁ、と、いろいろな人の人生談を見ていても思います。(*^

また続編として『わたしのパパはケンタ氏』というのがあるのですが、

印象的だったのは、エッセイの本(『ファンタジーが生まれる時』かな)に、「昔むすめが小さい頃、毎日お話をしてくれるんだけど、かならず ”あっちに行って、こっちに行って、そっちに行ってね、踏切を渡って…” っていうところを通らないと、お話が始まらなかった。うんざりしたけど、それで思いついたのが”おばけのアッチ”シリーズ」ということを書いていて、おーこれがそのお話か、っていうところが、しっかり入っていて、そこがおもしろかったです。


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