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「多様性」を引きよせてみる

横浜市磯子区の障害者自立生活支援センターIL・NEXTです。

IL・NEXTは地域活動支援センター作業所型にあたり、切手貼り付け等の軽作業のほかに、アクリルたわしづくりや絵を描くなどの創作活動、映画上映会やボッチャなども行っています。

また、同じく磯子にあります障害者活動センター「きょうの会」、グループホーム「下宿屋」「GH 横浜久木」とともに、一般社団法人REAVA(ラーバ)を母体としています。

REAVAは、障害がある人たちが自立し、地域を構成する一人として、地域で暮らす人たちと共に生きる社会を目指しています。

今後、noteやTwitter等での発信を通してより広く我々の活動や考えを知ってもらい、関わりを拡げていきたいと考えています。

今日は初回として、渋谷治巳代表の文章を紹介します。

「多様性」を引き寄せてみる 

私はかなりの野球ファンであり、四年ごとに開催される「ワールドベースボールクラシック」はほとんどの試合をTVで観戦している。過去三回行われた公式球をコンプリートしている。しかし最近一つ疑問視することがある。

いつからかメディアで多様性の尊重が言われるようになった。私もそれは正しいと思うし、そういう社会であってほしいと思う。だが野球を含めて全てのスポーツは身体的能力を発揮し優劣を判断される。これはそれぞれの人の有りようを素直に受け止め尊重する多様性の価値観とは真逆ではないかと感じる。スポーツという限られた空間の中で一定のルールの基に行われるものであれば許されるのかもしれない。しかしもう少し視野を広げて多様性という観点で身の回りの出来事を見直した時どのように映るのだろうか。

数年前、父親がリハビリのために老人保健施設に入所したことがあった。ずっと以前から違和感を抱いていたのだが、この国の高齢者施設はまるで幼稚園か保育園のようである。壁には折り紙で折った人形や花などが飾られ、決まった時間になると、お遊戯や体操をさせられる。

父親が入所したのが春の終わりの頃であり、退所したのが夏の盛りだった。そんなある日面会に行くと、担当のケアマネージャーさんから「もうすぐ納涼祭がありみんな楽しみにしています。是非いらしてください」と、お誘いを受けた。当日行ってみると担当のマネージャーさんが「ビールもあります」と、進めてくださったのでお願いすると、差し出されたのはノンアルコールビールであった。
 この国の高齢者施設は一部の高級な有料老人ホームを除いて、入所者は施設から出るもの以外は基本的に口にできない。ましてアルコールなど論外だろう。しかし年一回のイベントでビール一缶ぐらい飲んでも良いではないか。

私が尊敬する仕事上の先輩と先日久しぶりにお会いした。すでに奥様が他界され、現在は一人暮らしである。八十半ばになり、体のあちこちに故障が出てきているのだが、施設には入りたくないと言う。理由を聞いてみると、「この国の高齢者施設は入居者の全人格を管理している」と、言うのだ。私が今までずっと感じてきた現在の高齢者施設をはじめとする福祉のあり方を一言でズバリ言い当てられた思いがした。

人は誰しもが老いる最も多様性の典型だと思う。それ自体にしっかり向き合わずに十分な配慮がされない現代の社会において、本当の意味で多様性を語れるのだろうか。私にはそうは思えない。

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