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狭山事件の脅迫状だけを考える

少時 このかみにツツんでこい
子供の命がほ知かたら429日の夜12時に、
          五月2日
金二十万円女の人がもツての門のところにいろ。
            さのヤ
友だちが車出いくからその人にわたせ。
時が一分出もをくれたら子供の命がないとおもい。―
刑札には名知たら小供は死。
もし車出いツた友だちが時かんどおりぶじにか江て気名かツたら
子供わ西武園の池の中に死出いるからそこ江いツてみろ。
もし車出いツた友だちが時かんどおりぶじにかえツて気たら
子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける,
くりか江す 刑札にはなすな。
気んじょの人にもはなすな
子供死出死まう。
もし金をとりにいツて、ちがう人がいたら
そのままかえてきて、こどもわころしてヤる。

 これは1963年5月1日19:40ごろ、N家玄関のガラス戸に挟んであった脅迫状の内容である。生徒手帳が同封されており、すでに封は破られていた。
 青色のボールペンで書かれており、角がすり減った白い封筒に入れられ、何日もポケットに入れて持ち歩いていたと考えられている。本文は大学ノートの1ページ破いて使われたものとみられる。
 狭山事件の脅迫状は、様々な資料や書籍を見ても完全無実の石川さんの筆跡との比較が多い。裁判で使われた資料は元々そのようにできているため仕方がないが、本編では冤罪については触れない。

 まず、封筒には「少時様」と書かれていたものを消して「中田江さく」に書き直されている。この「少時」は本文冒頭にも出てくるが同じように消されており、他にも「4月29日」が「五月2日」に、「前の門」が「さのヤの門」に訂正され書き換えられている。これら訂正は文字を二重線で消したり、ぐしゃぐしゃに線で消されている。封筒は四つ折りに折られており「少時様」の左下に実は小さく横書きで「20日」と書かれている。

 まず、この手紙が横書きであるという点がよく議論されている。当時の手紙は縦書きが主流で、横書きでわざわざ書いたことについて英文に親しんでいるなどという考察があるが、昭和30〜40年代の小学校の教科書(理科・音楽・漢字ノートなど)を確認すると、普通に横書きで書いている。しかもこれは「手紙」ではなく、脅迫状である。縦でも横でも斜めでも特に意図はない。この年代の手紙を書く習慣がある方々は達筆な方が多いが、犯人はわざと乱雑に書いているかもしれないがかなり字が汚い。
 次に、「警察」を「刑札」と書いたり、「近所」を「気んじょ」などとわざわざ書き換え、異質な印象を与えている。これは国語学者の故大野晋学習院大学教授の鑑定書によると、「万葉仮名的当て字」と表現されている。万葉仮名とは簡単にいうと音読を使った当て字のことで「あ」を「阿」「安」「英」などと書くことで、読み方が同じ漢字を当てて書いたものである。一つの文字でも様々なバリエーションがあり、およそ1000弱の万葉仮名があるとされ、古事記や日本書紀でもその記載がある。埼玉県警の中刑事部長、将太次席や寺尾裁判長はこの脅迫状作成者は小学校卒業程度の学力と判断している。
 しかしこの当て文字、パターンの一貫性がない。「し」を含む文字でも、「ほ知かたら」「は名知たら」「もし」「ぶじ」「気んじょ」など、ひらがな表記も当て字表記も混在している。もし、学力が低いものが書いたとしたら、その字しか知らないというのが一貫性があるが、この脅迫文は同じ字でもバリエーションが豊かなのだ。他にも「っ」をわざと使っていないらしきところがある。「ほ知かたら」「か江てきて」「かえてきて」の箇所は「っ」がないのだが、それ以外は「気名かッたら」「かえッて」「いッて」とわざわざ片仮名表記となっている。それだけでなく、「死」には「死(ぬ)」「死(ん)出」など送り仮名がない箇所もある。封筒の「中田江さく」も「なかたえさく」ではなく「えいさく」と読ませており、なんだかいちいちわざとらしいのだ。
 さらに、この「ショウジ」様。これが姓か名かはわからない。しかも、本文内では、「江」を「えい」とも読んでおり、「ショウジ」ではなく「コウジ」「コジ」などと読んでいる可能性もある。「少時」は「庄司」「正二」「正治」「昭二」など姓の可能性も男性の名の可能性もある。確かに一説では堀兼地区に「正治」さんが在住していた。
 「前の門」が「さのヤの門」と書き換えられてる部分だが、しっかりと身代金を取りにきたあたり「さのヤ」は近くにある雑貨店「佐野屋」のことを指していた。この店は屋号が書かれている車はあるものの看板はなく、地元の人間しか知らない店であった。私も田舎に住んでいた幼少時は近くに看板のない商店に買い物に行ったことを覚えている。やはり地域の人間しか知らないことであり脅迫状を訂正したのは地元の人間であることは間違いない。
 「子供命がないとおもい。ー」という表現も詩的な表現ではないかと議論されているが、「子供の命はないと思え」やその後何か続けようと思ったが、単純に間違えた書き始めの誤字を放置したのではないか。「万葉仮名」「詩的表現」「横書き」「あえて訂正を放置」などがインテリジェンスの高い人間のものと感じるように誘導されているが、俯瞰してこの脅迫状を見ると、混沌としていて滅茶苦茶なのだ。なぜ滅茶苦茶に感じるかというと、訂正だ。

 裁判では8つの鑑定書が提出されている。その中でも1972年に提出された書道家の綾村勝次氏による鑑定書では、かなり興味深いことが記載されている。
「筆勢もあり、筆力も認められる」
「横書きに習熟した筆到がみられる、すなわち、かなりの速筆である」
「書き直した箇所は、あるいは左手で書き加えられたもののようである。本文のものと比較すればいかに苦しんで書いたかよく分かる。つまり書き難いのに無理に書いたからである。」
 ここで疑問な感じるのが、「元の脅迫状を書いた人間」と、「訂正部分を書いた人間」はそもそも同一人物か?という点である。もし違うのであれば、どう考えても時間がなくて急いで訂正した可能性が高い。この訂正により、印象や推理に多様性が生まれたと思うが、「元の脅迫状」を書いた人間がそのままこれを使うと思えない。わざとらしく当て字を使い、わざわざ「死」をイメージする部分をフォントサイズを変えて強調した人間が、計画だけで失敗に終わった誘拐に関わる情報を出したままにしないだろう。
 むしろ自然なのは、計画し脅迫状を作成した人間が封筒を実行犯に渡したが、少時誘拐計画は4月20日あるいは4月28日に失敗に終わった。その封筒をポケットに入れていたままであったせいで角が取れ、この女子高生を誘拐した際に思いつき慌てて封をあけ書き直し届けたのではないか。つまり、原文を書いた人間と訂正をした人間は別だ。そして、原文を書いた人間はこの事件に関わっていない可能性がある。

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