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「犯人との一致率vs研究所の誤り率 DNA鑑定について」飯塚事件(4)

 精度が高いとされながらもなぜか久間元死刑囚を逮捕するための決定的な証拠になり得なかったDNA鑑定について考えてみたい。
 このDNA型の一致したという報道により、犯人である確証は揺るぎないというバイアスをうまく植え付けることには大成功した。しかし、この結果があってもすぐに久間氏を逮捕することはできなかった。これは、この証拠は完全な証拠になり得ていないということを意味する。

林葉鑑定
 林葉鑑定は、九州大学医学部法医学教室解剖室に運び込まれた女児2人の膣内容物数点を採取したものが、科捜研の技官により鑑定された結果である。まず科捜研では以下の6点の血液型鑑定を行なっている。
 ①死体左胸腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの。
 ②左腹部付近の木の皮に付着した血痕様のもの。
 ③臀部付近の木の皮に付着の血痕様のもの。
 ④左鼠蹊部の付近の檜の葉に付着の血痕様のもの。
 ⑤腹部付近の木の枝に付着した血痕様のもの。
 ⑥口唇部直下の木の枝に付着の唾液用のもの。
 これら周囲の付着血痕など6点について血液型鑑定をしたところ、
 ・6点のうち4点の血液はO型と判定された
 ・1点はA型に判定された(木の枝に付着した唾液様のもの)
 ・1点はAB型に判定された(これは、AB型またはA型とB型の血痕の混合が考えられる)
 さらに、A子の陰部周辺の付着物についても血液型鑑定がなされた。
 ①膣内容物
 ②膣周辺の付着物
 ③口腔内容物
 ④肛門内容物
 これらに精液の付着は認められなかった。さらに遺体の右手親指の付着した血痕はO型であった。膣内容物・肛門内容物には血液があり、H型抗原のほか微量なA型抗原とB型抗原が検出されたためAB型と判定された。なお、A子はO型である。
 B子の陰部周辺の付着物についても血液型判定がなされた。
 ①膣内容物
 ②膣周辺の付着物
 ③口腔内容物
 ④肛門内容物
 これらに精液の付着は認められなかった。膣内容物・膣周辺の付着物・肛門内容物には血液があり、膣内容物・膣周辺の付着物からはA型抗原とB型抗原が検出され、AB型と判定された。口腔内容物・肛門内容物についてはA型に判定された。B子はA型である。

坂井・笠井鑑定(血液型・DNA型判定)
 次に科捜研は上記の資料とさらに対照資料としてA子とB子の各心臓血を科警研に提出した。ちなみに、科学警察研究所(科警研)は国の機関で警察庁に属している機関で、科学捜査研究所(科捜研)は地方自治体の警察本部に属している。より特殊で詳しく資料を鑑定する場合、科警研に資料が提出される。科警研では以下のものについて鑑定がされた。
 ①木の枝の血痕
 ②A子の膣内容物
 ③A子の膣周辺付着物
 ④B子の膣内容物
 ⑤B子の膣周辺付着物
 ⑥A子の心臓血
 ⑦B子の心臓血
 ⑧久間元死刑囚の毛髪
 これらは科警研で行われた鑑定により人血であることが判明し、これら全てに精液の混在、唾液の混在は否定されている。さらに、血液型の検査では、
 ①木の枝の血痕はB型とA型の混合あるいは、B型とAB型の混合である。
 ②A子の膣内容物・膣周辺付着物については、O型とAB型の混合あるいはO型とA型及びB型の混合である。
 ③B子の膣内容物・膣周辺付着物はAB型あるいはA型とB型の混合である。
 さらに、特殊な薬液で女児の膣液を除外し、再鑑定を行なっている。
 ①血痕・B子の膣内容物・膣周辺付着物についてはB型とA型の混合、B型とAB型の混合である
 ②A子の膣内容物・膣周辺付着物についてはO型とB型の混合にA型がわずかに混入している。
 さらに、MCT118検出法では、上記①〜⑦の試料から以下の結果が得られた。(DNAの第1染色体上にある幾つかの部分は、個人によって違いがある。その違いを調べることで個人識別をする方法で、MCT118という部位について行うDNA検査のこと。二つの型により表示される)
 ①木の枝の血痕:16及び18型の濃いバンド、25型及び26型の薄いバンド
 ②A子膣内容物:23型、27型の濃いバンド、16型の薄いバンド
 ③A子膣周辺付着物:16型の濃いバンドと23、26型及び27型の薄いバンド
 ④B子膣内容物:18型の濃いバンド、16、25及び26型の薄いバンド
 ⑤B子膣周辺付着物:16及び18型の濃いバンド、25型及び26型の薄いバンド
 ⑥A子心臓血:23-27型
 ⑦B子心臓血:18-25型

実際の鑑定結果

 また、HLADQα型検出法では以下の結果が得られた(HLADQα型検出法は、DNAの第6染色体上の「HLADQA1」という場所にある塩基配列の違いを分析し、個人識別するもの。これも二つの型で表される)
 ・①④⑤⑦(木の枝の血痕・B子膣内容物・付着物・心臓血)は1.3-3型であった。
 ・②③⑥(A子膣内容物・付着物・心臓血)は1.1-3型であった。

 これらの鑑定結果たちをまとめると以下の様になる。
 ①木の枝の血痕:「B型の16-26型で1.3-3型」と「A型の18-25型で1.3-3型の混合?」
 ②A子膣内容物:「O型の23-27型で1.1-3型」と「B型の16型と微量のA型またはAB型の混合?」
 ③A子の膣周辺付着物:「O型の23-27型で1.3-3型」と「B型の16−26型か微量のA型またはAB型の混合?」
 ④B子の膣内容物:「A型の18-25型で1.3-3型」と「B型の16-25型で1.3-3型あるいは3-3型あるいは1.3-3型の血液の混合?」
 ⑤B子の膣周辺付着物:「A型の18-25型で1.3型」と「B型の16-26型で1.3-3型の混合?」
 ⑥A子の心臓血:O型の23-27型で1.1-3型。
 ⑦B子の心臓血:A型の18-25型で1.3-3型。
 なお、この鑑定の段階で①の試料は全て消費してしまい、試料は残っていない。

坂井鑑定
 坂井鑑定では、久間氏から任意提出を受けて領置していた頭毛髪5本を科警研に送付されたDNAの異同識別を行なった。その結果久間氏は、
「B型、MCT118型が16-26型、HLADQαが1.3-3型」
 と判定された。

石山鑑定
 石山鑑定は、帝京大学医学部法医学教室教授の石山昱夫教授が久間氏の毛髪と女児2名の心臓血と膣内容物についてミトコンドリアDNA鑑定をしたものである。石山鑑定ではミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)をPCR法で増幅し塩基配列を分析した。
・KPNL及びRSAIによる識別(制限酵素の有無で判断する識別方法)
 ⑥KpnI - RsaI +(A子心臓血)
 ⑦KpnI +RsaI -(B子心臓血)
 ⑧KpnI + RsaI +(久間元死刑囚)
 ④43個のクローン中42個がB子タイプ(B子膣内容物)
 ⑤46個クローン中全クローンがB子タイプ(B子膣周辺付着物)
 ②45個中全クローンがA子タイプ(A子膣内容物)
 ③49個のうちA子タイプが28個、B子タイプが19個、どちらもマイナスタイプが一つ、判定不能が一つで、被告人のタイプは認められなかった(A子膣周辺付着物)
・SSCPによる分析(塩基配列の小さな違いを分析する方法)
 ④43個のクローンの中、28個のクローンはB子と一致、残る15個は不一致だった(B子膣内容物)
 ⑤46個のクローンの中、22個のクローンはB子と一致したが、残る24個は不一致だった(B子膣周辺付着物)
 ②45個のクローンのうち、33個はA子と一致したが、12個は不一致だった(A子膣内容物)
 ③49個のクローンのうち、25個を分析し、8個はA子と一致したが、17個は不一致だった(A子膣周辺付着物)
 なお、3名のmt333DNAの制限酵素による分析パターンには違いがあり、試料クローン183個からは被告人に該当するクローンは検出されなかった。
 石山教授の鑑定については検察側から「資料が劣悪だったためできなかった可能性がある」とされていたが、1997年3月5日の公判で石山教授は「私の鑑定は見事に整合した」と述べ、科警研の鑑定について「鑑定方法が杜撰で技術が低い。やり直しを命じたいほどです」とコメントしている。

 その後、押収された車内の血痕に対しては新たに導入されたDNA型鑑定法(PM法)により分析された。PM検査5種のうち反応があったのは3つの型(Gc型、HBGG型、D7S8型。残り2種は検出されず)で、Gc型はA子のC型と一致している。

 さらに、平成3年末における全国の該当車両(マツダウェストコースト)は2854台あった。さらにそのうちの福岡県内で運行されていた127台の該当車両の使用者合計130人の中で、血液型がB型でMCT118型16-26型に該当するものは存在しなかったとの結果であった。

妄想と考察
 なんだかいろんな検査を行なって、合ってるような合ってないような結果がつらつらと羅列されてる上に、結局のところ専門的な知識がないと何がどうなんだかさっぱりわからない。とりあえずは「女児の膣内容物から久間氏と同一のDNA型が検出された」という書き方をしてはいる。
 まずこの「DNA型」が問題なのであるが、これは「DNAが一致した」わけではなく、あくまでDNAの「型」が一致しただけである。この「DNA型」というのは、「血液型」と同じで、生物の成分の情報についてある一定の数のカテゴリが一致したにすぎない。
 例えば「血液型」は1901年に発見されたABO式血液型検査法がある。血液の抗原の判定により血液をA・B・O・AB型の4種類に分けたものだ。ただし、4種類にしか分類されないため「犯人はB型」と言われたところで日本人の2割がB型であり、この事実からだけでは久間氏が犯人と断定はできない(ちなみに日本人における各血液型の出現頻度はA型が37.33%、O型が31.51%、B型が22.05%、そしてAB型が9.09%である)ただ、これらがわかるだけでも何もないよりは犯人かどうかの可能性を高める情報とはなりえる。この血液型と同じでDNA型もいくつかの型が存在する。
 このMCT118法も検査により、DNAの情報についてある一定のカテゴリに当てはまる「型」がわかるだけだ。

 PCR増幅法は、PCR法と呼ばれる方法を使ってDNAを増幅してから鑑定を行う方法である。日本の科学警察研究所で採用されているMCT118法はこの一種である。PCR(Polymerase chain reaction)法とは、染色体の一定の区間を短時間で何十倍にも増幅させる手法のことである。(中略)科学警察研究所ではこの検査を第1染色体上のMCT118と呼ばれる部位に対して行う。(中略)PCR増幅法の特徴は、僅かな資料からでもDNA鑑定ができるという点である。清水論文によると、鑑定に必要な量は、血痕で2ミリメートル四方、精液斑で1ミリメートル四方、毛根鞘のついた毛髪なら1本から2本とのことである。(中略)また、少しでも別のDNAが混入すると混入したDNAまで増幅されて結果が狂ってしまう可能性もあるので、資料を慎重に扱う必要がある。

「DNA鑑定の倫理学的考察」伊勢田哲治

 生物の細胞には核というものがあり、その核の中には生命の設計図とも言えるDNA(デオキシリボ核酸)が入っている。このDNAは糖・リン酸と、アデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4種類の塩基から構成されている。この二重螺旋構造になった塩基の組み合わせ方が遺伝情報となり、親から子へ受け継がれる。つまりは細胞の設計図だ。
 このDNAの塩基配列のなかには、同じ塩基配列が繰り返して存在する「反復配列領域」というものがある。この領域の繰り返し方が人によって違いがあり、DNA鑑定はこの場所を調べることによって他人との違いを識別している。

 この塩基配列のD1S80(通称MCT118)という特定のDNAの部位を調べる方法がD1S80型(MCT118法)法である。

 染色体は父親由来のものと母親由来のものの2本が1対になっているので、繰り返しの回数を示す型が1つの座位あたり2個(1組)得られ、それが15か所について調べられるから、全部で15組の型が1セットとなって個人が分類されることになる。型に分類するだけであるのでDNA「型」鑑定と呼ばれ、しかし型の組み合わせが著しく多く全体として特定の方の組み合わせに該当する確率が恐ろしく低いため、その型がすべて一致すれば、同一人物由来であると一般に判断されているのである。

「遺伝情報・DNA鑑定と刑事法」和田俊憲

 そのため、MCT118法は例えば3−21型とか、16ー24型など2つの数字の組み合わせによって表される。このD1S80型は430以上の組み合わせがあるため、型が一致するとある程度は犯人である可能性が高いと言えるのだ。
 このDNAを使った鑑定法は1980年代に入り、イギリスで連続少女強姦殺人事件にDNAフィンガープリント法という鑑定法が世界で初めて導入され、犯人の特定・逮捕に繋がった。1992年に日本の警察もDNA鑑定を導入した。飯塚事件が起こったのは1992年で、DNA鑑定はまだ導入されたばかりであったのだ。

 現在のDNA鑑定による個人識別能力は約4兆7000億人に1人の確率と言われており、ほぼ確実に個人を同定できるようになった。ここまでなぜ違いを識別できるかというと、ひとつは検査の技術が格段に向上したこと、もうひとつは識別の場所を複数にしたことだ。この事件ではMCT118法のD1S80(型の組み合わせは435通り)という部位のみを調べているが、現在は染色体上の15の部位を調べているため、識別の確度が飛躍的に向上したのである。
 ということは、DNA鑑定が導入されたばかりの当時の鑑定技術はまだまだ未熟であったこと、そして個人の識別能力はかなり低かったはずだ。
 この飯塚事件では、血液型とMCT118型を合わせた個人識別の一致率は1000人に1.2人と検察側は主張していたが、実は識別能力はせいぜい266人に1人程度しかなかったことが判明している。ちなみに平成2年時の飯塚市の人口は139,663人、単純計算でも飯塚市内に犯人とされる血液型・DNA型が一致する人間は525人存在したことになる。この525人全てとの異同識別ができてるなら犯人だと信じれるが、全校生徒1000人の学校なら少なくとも3人が全く同じDNA型と検出されるって一体どうなのだろう。
 さらに検査されたHLADQα型は、わが国では「1.1」「1.2」「1.3」「2」「3」「4」型の6種類に分かれるが、これによって個人を分類できるのはせいぜい21通りしかない。
 そしてこれらの一致率、文献によってはかなり数字が違う。(例えばPM検査は5部位全てわかれば972通り存在する)調べると以下のように書かれていた。

 各検査の日本人における出現頻度は、出現頻度が最も高い型の組合せの場合、MCT118 型検査で約16人に1人、HLADQα型検査で約6人に1人、TH01 型検査で約5人に1人、PM検査で約53人に1人であり、これら4種類の検査法を合わせた場合でおよそ2万5000人に1人であった。

藤田義彦「DNA 型鑑定における精度管理〜誤鑑定の防止策〜」犯罪学雑誌77巻5号133頁

 結局、色々やってみても確率の壁を越えることができず、つまりは完全に久間元死刑囚と一致するDNAが検出された訳ではないことを理解しておく必要がありそうだ。飯塚市内に犯人がいると仮定した上で、10万人に1人しかDNAが合致しないと言われれば、この人しかいないのかもしれないと思えなくもない。だがこの内容では確かに決定打とはなり得ない。
 控訴審では以下のように書かれている。

 123塩基ラダーマーカーを用いた場合の16-26型の出現率は、原審弁13号証によると、0.1572(16型の出現率)×0.1052(26型の出現率)×2=0.033程度で、約30人に1人、これにB型の出現率0.22を乗ずると、約0.0073となり約130人に1人の出現率になる。(中略)上記18-30型の出現率は、0.1447(18型の出現率)×0.1484(30型の出現率)×2=0.043であり、約23人に1人となり、これに、前記0.22を乗ずると約100人余りに1人となる。

福岡高等裁判所平11 (う) 第429号

 これ、結構な確率で出現するように見えますが...。

 捜査当時、本件DNA型鑑定結果の出現頻度は、1000人中8.3人であるとされてきたが(中略)控訴審当時には1000人中約35.8人とその出現頻度は高くなっており(血液型検査の結果を加味すると、1000人中約5.4人)、その限度でその証拠価値が低下したことは否定できない。

「正義の行方」木寺一孝著 講談社 2024年

 なんなら、その確率は裁判のたびに変更され、偶然の一致率はどんどん低くなる。1000人中35.8人なんかもうビックリするレベルだ。「久間さんじゃね?!」ぐらいから「久間さん…かも…しれない」と時間が経つごとにトーンダウンしている。

 というかDNA云々以前に、最初の林葉鑑定で検出された犯人と思われる血液型は元々AB型だ。鑑定結果が事実で、単独犯であるならばB型の久間氏はどう考えても犯人になり得ないはずだ。
 A子の陰部周辺の付着した血液はO型のものであるH抗原と、A型抗原、B型抗原が検出されている。A子はO型のため、A型抗原もB型抗原も持つものはAB型の単独犯かA型とB型の複数犯しか考えられない。さらにこの結果は坂井・笠井鑑定からなぜかうっすらと内容が変質し、まるでモーフィングを見ているかのようにB型の血液型のものだけがいたように変化した。

 資料(1)は、抗B抗体に強い反応、抗A及び抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はB型とA型の混合あるいはB型とAB型の混合したものと考えられた。〜

福岡地方裁判所平6(わ)第1050号

 さらに新たな概念が登場する。それは凝集反応に「強い」「弱い」という考え方だ。ここでB型の人間が颯爽と降り立ち(久間氏はB型)その後は資料全ての判定にこの強弱の表現が頻発する。
 しかし、そもそも血液型判定はあくまで「定性」検査であり、「定量」検査ではない。
 定量検査はサンプルの中の「量」を計測するものだ。定性検査は、陽性か(反応したか)、陰性(反応しなかった)を検査するもので、そもそも強弱ではない。
 おかまのような言い回しで申し訳ないが、一言言わせていただきたい「定性には強いとか弱いとかないの。例えば妊娠検査キットも線が入るか・入らないかしかないでしょう?」と。

 ちなみに血液型を判別するための凝集検査は、赤血球と血漿が他の血液と混ざった時の反応から判定している。A型の人の赤血球にはA抗原、B型にはB抗原、AB型にはAとBの両抗原が存在し、O型はどちらの抗原も持っていない。
 血漿中にはA型はB抗原と反応する抗B抗体、B型にはA抗原と反応する抗A抗体、O型には抗A抗体と抗B抗体がある。AB型にはどちらの抗体もない。
 なぜこのような機能をヒトが持つに至ったかはわかっていない。しかしこの機能により、他の型の血液を輸血しようとしても抗体が反応し赤血球が破壊(凝集)されてしまう。ABO式では、この反応を利用し赤血球の抗原と血清中の抗体が、どんな組み合わせで反応する(凝集する)かを調べる方法だ。
 つまりは、凝集するか(+)、しないか(−)の判定しかないのだ。だが、突然科警研は不思議な言い回し始めた。この反応の強弱により、
 ①木の枝血痕からは「B型とA型の混合あるいは、B型とAB型の混合」
 ②A子膣内容物からは「O型とAB型の混合あるいはO型とA型及びB型の混合」
 ③A子膣周辺付着物からは「AB型あるいはA型とB型の混合」
 ④B子膣内容物からは「B型とA型の混合、B型とAB型の混合」
 ⑤B子膣周辺付着物からは「O型とB型の混合にA型がわずかに混入」
 と言い出した。どうにかしてB型の人間を単独で発生させたいらしい。
 B型の人間を発生させるために、さらに何の確証もないにも関わらず「先にB子(A型)を触り、付着した血液が混入したのだろう」と言い出した。犯人陰茎挿入説は一体どこに消えたのだろうか。
 これはB子を強姦し、自らも陰茎から出血しながらA子も犯すというタフな精神力を持つ伝説級の変態だったのか、B子に手で猥褻行為をしたあと、自らの指もなぜだか出血しながらA子に猥褻行為をしたのか、とにかく恐ろしいほどの鬼畜だったことは言うまでもない。
 個別のエピソードの中だけで整合性を追い求めた結果、それらをストーリーにするといろんな部分が矛盾しておりもう意味がわからない。これではコンタミネーション(他のサンプルや検査者のDNAが混ざってしまうこと)を疑わざるを得ない。
 なお、血液型珍道中の疑問は即時抗告審で弁護団が提出した筑波大学の本田教授が実験した第3次鑑定書を読めば簡単に解ける。

 A型血液とB型血液、及び、A型血液とAB型血液を、それぞれ1:1、4:1、19:1という異なる比率で混合し、凝集反応の有無・程度を確認する実験、さらに、凝集が生じた後の資料に対する抗体の添加により新たな凝集(抗原抗体反応)が生じるか否かを確認する実験である。
 これらの実験により、A型血液とB型血液の混合、及びA型血液とAB型血液の混合のいずれにおいても、混合の時点で凝集が生じ、かつ、その凝集の程度に混合比率による差異はなかったことが明らかとなった。(中略)
 この実験の結果、A型血液とB型血液の混合か、A型血液とAB型血液の混合かにより、試験の結果生じる凝集の程度に違いは生じないことと、また、混合比の違いによっても凝集の程度の違いが確認できないことが明らかとなった。(中略)
 A型とB型、A型とAB型の血液が混合した場合には、混合自体によって血液型抗原と血清中の自然抗体との抗原抗体反応に基づく血球の凝集反応が生じ、新たな抗体による抗原抗体反応が生じないため、凝集素解離試験によっても、その血液型判定を行うことができないことが実証された。

「死刑執行された冤罪・飯塚事件」飯塚事件弁護団編 現代人文社 2017年

 つまりは、異なる血液型の血液が混ざった時点で凝集反応が起きるため、その後の検査が不可能だということだ。AB型云々とかいう以前に、判定自体ができないのに一体何を鑑定してその結果になったのだろうか。
 そもそも、なぜ血液の中に犯人の血液があったことが分かったのか。

事件では幼児への性的ないたずらが疑われているものの、真犯人の精液や血液はどこからもまったく検出されなかったからである。にもかかわらず、傷ついた被害者の膣から流出した血液に、真犯人の血液が混入している(混合血)という架空の前提がたてられてしまったことはたいへん奇妙であった。これを「架空」というのは、その根拠が、これら試料からMCT118検査を実施したところ、複数のバンドが出たということのみにしか根拠がないからである。

「DNA鑑定は魔法の切札か 科学鑑定を用いた刑事裁判の在り方」本田克也著 現代人分社 2018年

 つまりはMCT118法で膣内容物のDNA鑑定を行なった結果、被害者由来のバンド(判定結果のマークのようなもの。写真ではホッチキスの芯のように見えるもの)以外のバンドが検出されたため、「これ、他の奴のが混じってるじゃん!」というところが出発点なわけだ。
 確かにそれは犯人由来のDNAかもしれない。ではそいつの血液型は?と検査する前に、鑑定結果をよく見ると実は混入するはずのない被害者の心臓血にも別の型が写っている。

出るはずのない女児2名の心臓血に出た別のバンド

 結局のところ、血液型判定の信用性以前に、その根拠とされたそもそものDNA鑑定からかなり怪しい。
 弁護側は再審請求のため資料の開示請求を行い、DNAの鑑定結果のネガを手に入れたのだが、この写真は裁判に提出する際に切り取られていたことがわかった。
 そして切り取られていた部分には、真犯人のものである可能性のある別のバンドが写っていたのだ。

切り取られた部分に存在した別のバンド

 狭山事件の万年筆といい、袴田事件の血まみれ味噌着といい、重大事件ほど証拠の捏造が大胆だ。

左が弁護側の手に入れたDNA鑑定結果のネガ、裁判では右側の黄色で囲んだ部分しか提出されていなかった。しかも、黄色枠部分のすぐ上にうっすらと別の型のバンドが見えている。
左から2番目と3番目が被害者の心臓血、4つ目がA子の膣内容物、5つ目がB子の膣内容物

 それとこれは私の純粋な感想なのだが、なんだかバンドが超汚い。下の画像は1992年に行われた足利事件における科警研によるMCT118法の鑑定写真と、1997年に日大で行われた再鑑定の写真だ。私は当初事件などで採取された体液サンプルは元々完全なものでないためにバンドの表示がこんなに粗雑なのかと勝手に思っていたが、日大の再鑑定ではバンドがものすごく綺麗に写っている。

 いやいや5年も経てば技術革新も進み美しく写せて当然でしょう、と私も思ったが、案外そうでもない。下の画像の上部は1976年、下部は1993年の海外のDNA鑑定のものだ。

(上)Use PCR & a single hair to produce a "DNA fingerprint"
January 1976The American Biology Teacher 59(3)
January 1976 59(3)より
(下) The temperate phage RP2 and RP3 of Streptomyces rimosus
November 1993Journal of General Microbiology 139(10):2517-24
November 1993 139(10):2517-24より

 ...見づらくて怪しげなバンドが写っていることに技術的問題は全く孕んでなかったのか疑問だ。さらに、足利事件ではDNA型が一致したとされていたが、別人に型が合う確率が恐ろしく高かったうえに、何なら型すら間違っていた。ちなみに、この鑑定を行なった技官はこの飯塚事件でも鑑定を行っている。
 さらに不思議なのが、MCT118法では犯人由来とされるDNAが検出されているとしているが、mt333DNAでは被告と一致するDNAは全く検出されず、別の人間の存在すら示唆されている。ここまで対極的な結果が出るのは非常に興味深い。

 いずれにしても、久間氏が犯人であるという目的に合った結果が解釈できるMCT118検査は正しく、目的に合わない結果が出ているHLADQα検査は正しくないということの根拠が示されないままに提示されている。つまり、「MCT118では複数のバンドが検出されたこと」と「HLADQαでは被害者のみの型しか検出されなかったこと」とは整合性がないのであるが〜(中略)もし百歩譲ってMCT118の結果に真犯人の型が含まれているとすれば、当然に最もはっきり出ている、ネガからカットされた高位バンドの検討が必要になる。さらには、HLADQαも本当は正しく出ている(真犯人の型は検出できなかったのではなく被害者に型と重なっている)可能性も検討する必要もある。

「DNA鑑定は魔法の切札か 科学鑑定を用いた刑事裁判の在り方」本田克也著 現代人文社 2018年

 犯人と一致することに何の違和感も抱かれないことで有名なDNA鑑定様だが、なんだか不思議がいっぱいだ。怪しげなDNA様から派生したため血液型判定も怪しく、なんならコンタミネーションの可能性もある。下手をすると捏造の可能性すらあり壮大な茶番かもしれない。
 血液型判定に関してはこんな文献もあった。

 また、別の殺人・死体遺棄事件では、犯人の着衣に付着する血痕を鑑定した。血痕の付着状況から汚染や腐敗の影響は考えにくかったが、ABO式血液型検査の結果から、被害者のB型血痕のみが検出されるはずだが、 AB型が検出された。そこで細菌汚染を疑い、血痕から細菌を分離したところ、Acinetobacter lwoffiiが分離された。この細菌からはABO式血液型のA型物質が検出され、ヒトB型血痕にA型物質をもつAcinetobacter lwof- fiiが付着し、AB型と誤判定されそうになったことが明らかになった。

「犯罪捜査におけるDNA鑑定によるヒトの異同識別 微生物群集構造プロファイリングによる新たな法科学的手法の可能性」
西 英二・田代幸寛・酒井謙二 日本農芸科学会 化学と生物 2017年

 なんだか、犯人の血液型について議論する意味があるのかも悩ましくなる。もし本当に犯人の血液が混入していたとしても、自然に考えるとAB型なのに。そして、証拠写真の切り取られていない部分について絶対に検討する必要がある。

 事件の証拠資料には指紋、DNA型、筆跡など様々なものが存在する。 これらの証拠資料それ自体がバイアスとなりうるというは、例えば指紋の鑑定者が「DNA型鑑定の結果が被疑者と一致した」などの情報を耳に入れると、指紋鑑定の対照指紋(被疑者指紋)の照合で「合致」を前提に観察してしまい、鑑定結果の判断に「DNA型が一致している」という バイアス情報が影響するというものである。 確かに私の経験でも、捜査本部事件など重要事件になると、鑑識課や捜査員から様々な情報が知らず知らずのうちに流れてきたものである。 しかしそのような情報に惑わされるのは人にもよるが、鑑定法自体に問題があるケースに多い。例えば形態を観察し特徴点を観察してその合計数で合致・不合致を判断する鑑定では、特徴点なるものを積極的に観察する場合と控えめに観察する場合で評価が異なってくる。このような不完全な鑑定法ほどバイアスが入りやすいと考えられる。そのような意味で、証拠資料のバイアスは鑑定法自体にもバイアスの原因があるといえるのである。

「法医学におけるバイアス」平岡義博 甲南法学 2018年

 久間氏が犯人とされる強力なバイアスにより、鑑定の結果が当人の意識とは関係なく引き寄せられたことを差し引いたとしても、間違いの確率を考えると一体どちらに軍配が上がるのだろうか。

 偶然の一致と研究所の間違いはどちらもあまり起きそうにないから、両方が同時に起きる確率は無視することができる。したがって、求める確率はどちらか一方が起きる確率であり、それはすでに述べた足し算の規則によって得られ、つぎのようになる。
 研究所が間違う確率(100分の1)+偶然の一致(10億分の1)
ここで後者は前者の1000万分の1だから、二つの確率の和は「研究所が間違う確率」にかなり良い近似で一致し、その確率は100分の1だ。したがって、二つの可能な原因が提示された場合、偶然の一致に関する専門家のとりとめのない証言をわれわれは無視すべきで、そのかわり、それよりずっと確率の高い研究所の間違いに注意を向けるべきだ。

「たまたま 日常に潜む『偶然』を科学する」レナード・ムロディナウ著 ダイヤモンド社 2009年

 私の結論はとりあえず「やればやるほど拗れるなら、もう一度最初から第三者機関に投げてほしい」少なくとも、この結果で久間氏を犯人とすることは到底不可能としか思えない。そして、なんだかんだで犯人の体液は実は何もなかったのではないかと考えている。

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