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【考え事】#07-思想・思考・符号

 絵では表現しえないものごとは言葉の紡ぐ物語へ。
 言葉を与えてはならない混沌は絵へ。
 だから僕には、絵を描くことも、小説をつづることも必要なのだと、思った。

 学生の頃から社会人になってしばらくのあいだ。日記のようなものをつづっていた時期がある。それはおよそ日記というよりも、思考整理のノートのようなものだった。状況を冷静に分析し、自分の外形を見つめ、すべきことを確認するための。そして、自分というものにすなおであっても許されるゆいいつのものとして。それらはもう数年前に、どうにもやるせなくて捨ててしまった。自分が生きてきたあかしを、現実へ遺すことが嫌になって。
(念のため述べておくが、これは当時の話だ。以前の僕は、死んだら死んだまでかという実にフラットな考えであったが、いまの僕には生への執着がある。現在書いている『-Crazy- 殺しあいの約束』を完結させるまで僕はどうやっても死にたくない。気になった方は、ぜひ読んでほしい。なんと全編無料だ。)

 性自認の話をしよう。隠しているわけではないため、いまさらという感じもするが。僕には、三度。性自認の機会があった。それはいわゆる、とくべつな出来事があったとかそういうわけではなく。ただ連綿れんめんと続く日々の中で、折々生まれる思考の端切はぎれだ。一度目は、思春期に入るよりもっと前。もしかすると、きっかけはただの「身体の性別らしくありなさい」という他者からの要求や価値観に対する疑念かもしれない。次は、高校を卒業するよりすこし前のような。このときにふと「自分は異性の身体になりたいか」という自身への問いかけをした。答えはこうだ。「異性になりたいわけではない。けれど、いまの性別でいたいわけでもない」もっというなら、性別を象徴する特徴を「削いでしまいたい」。自分の身体にそういうものがあることへの嫌悪がおびただしくあった。書類やアンケートに記入するとき、いちいち「生物的な身体機能では、こちらの性別に該当する」と自分の中でわざわざさとさなければならないのが面倒だった。
 さて三度目は、成人をこえて数年経ったころ。ふと気がついた。「どちらの性別にも違和感を感じることこそ、自分の性自認ではないか」と。

 僕はいつしか、同じ学科の人間へ興味本位で「自分の性別に違和感をもったことはあるか?」訊ねてみたことがある。「ないよ」――即答だった。そうか、ないのかと面白い知見を得た。
 さらに僕は、恋人さんへも同様に訊ねてみたことがある。「考えてみたこともなかった」――なるほど、と思った。そういうこともあるのかとすなおに関心した。

 あらためて、性自認とはなにかと考えてみる。ただの、思想だろうか。
 身体的な機能にすぎない〈性別〉にまつわる、思想の合致だろうか。

 僕は恋愛というものがよくわからない。大切にしたい人を性別で区分けすることがむずかしい。僕には、他人が話すような家族観がわからない。親兄弟は血のつながった他人でしかない。僕には結婚観がわからない。夫婦の形などわからない。性別における身体の機能についていくらか知っていることはある。だが、性別における価値観やそれらしい心を理解できたためしがない。

 社会でカタチづくられてきた価値観や便宜上のものごと。茫漠としたふつう。それらと自分の性質があるていど符号するかしないか。――だからといって、なにも思わないわけではない。

 ただふつうに生きている個体へ割り振られた、社会の共通認識のための言葉。生物としての身体の性別機能。他者との共生のために、そこに合わせた、他人へのあるていどの配慮はどうしても必要になる。僕も他人を脅かしたいわけではない。
 また、必要に応じて便宜上の呼称も受け入れる。僕は正しさを主張したいだとか、理解してほしいわけではない。ただ、社会や他人とどうにか折り合いをつけたいと、思っている。そもそも、僕は基本的になにごとも理解されない前提――場合によって、あるいは必要に応じていろいろと説明はするが――つまり、他者に理解してもらうことを期待しないようにして動いている。そのため、世間話によくある「一般的に安パイな話題」や「価値観の共有」などについて同調を求められ、またそうであることがあたりまえだという前提で話をされたとしても、自覚するほど心は傷まない。それでもやはりすり減ることはある。だからといって、このことを、いちいち口に出してもいられない。口に出してもそれに見合うリターンがない(あるいはマイナスになる)ので、基本的には、黙々と。より自分にとって有意義なことや、リターンが見込めるように生きている。そのために僕はいくらか決めていることがある。仕事をするときと長く付き合いたい相手にたいしては「嫌なことを嫌だ」とはっきり伝えること。してほしいことは伝えること。もちろん言いかたや言葉選びは考えて選ぶ。大切な人や時間を、大切にするために必要な工程やかけたい手間が僕にはある。 

 わざわざ僕に興味を持ってここまで読んでくださるような方ならば、僕がふだん考えていることをお伝えしてもかまわないだろうか。そんな気まぐれで、この記事を書いた。

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