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品位について

※24/1/19 加筆修正

安くて手に取りやすい商品はだれでもウケル。
これが私の持論。

私は顔がはっきりしていて目立つ方だった。

それが故いじめられて学校に行けなかった。

だから、格下げをする。

顔が怖くてみんな近づいてくれなかった。
それを克服するために、Welcomeの姿勢を取るようにしている。

正直、人付き合いは得意でない。

保健室が私のホームベース。

多感すぎて馴染めなかった。
純粋だった。
よく笑うようになった。


とかくVTuberのルール付けには腹が立っている。

品ある人はそれ相応が求められる。皮を被るダダの道化師が何様を語りルールを強制するのか。
ネタバレをしてほしくないなら、一人でゲームをするのがよい。下ネタを言ってほしくないなら、自分が言えば良い。

我が国と思い込み、アプリの利用規約等読まぬ方々が、貴方の「お願い!」を読むことはほぼないだろう。

それで「嫌な気分になりました」表明は自分の感情コントロールができてなさすぎると思う。


1000万の年収の人と結婚したいという女がいる。
結論、相応の教養を身に着けなければ結婚することは難しい。

1000万と言われるとそれなりの覚悟と意識は必要かと思う。

しかし一般の女性はそこまで媚もなく努力もなく自由恋愛市場の割引お惣菜と化し、買われるのを待っている。

どこに需要があるのだろうか。
1000万稼ぐ人はそれなりの覚悟と努力と教養を持っている。相手と相応の立場となるには自らがならねばならぬ。

美しき林檎はすぐ売れる。最低年齢18歳。高給取りの性欲のはけ口は処女性の高さにあり、選ばれるのは新鮮な香りのする林檎。この構造こそ「パパ活」である。

パパ活市場についてはまた今度語るとして、私が言いたいことは、高みを目指すのならば自らもその土台に立たねばならぬということである。

それは年収一千万の人に出会うためにも、
配信で誰かが傷つかないようにするためである。

誰もが許される世界。それは自らが体現せねば周りが許されない。
高みに居る人と同じ目線に立つ。それは自らが体現せねばなし得ない。

簡単なことではない。許容範囲を広げなければいけないし、教養を身に着けなければならない。

だからルールで縛り切れないなら自分がその方を許せよと思うのである。

私は時々、名前を呼びたくて仕方なくなる時がある。

つくづく
私も女なのだと。

少し、最近、リスナーをリアルに感じることがあり、申し訳無さと励ましたいという思いが混沌としていて、ただの一般人が何をしてあげられるのだろうと思うことがある。

愛せもしないし、会うこともない。

寄付をしてプロに任せるしかない。

一緒に美味しいものが食べたいけど目の前にはいない。

ちょっとのことで
あなたのことを幸せに。

ごめんね。

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