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だらだら堕落の体たらく

フレグランスミー

いくつか香水をもらう。自分からいい匂いがして気分が良い。香水は自分が楽しむものだ。それとジャンクな缶チューハイ。堕落している。

問答

毎週牧師と二時間ほど問答をしている。テーマは神義論からPTA活動から牧師の労働環境まで。
神学個人レッスンというか、なんというか。
毎回私がその一週間に疑問に思ったことをレジュメにまとめて提出するフォーマットとなった。とりとめのない内容に対応するのも大変だと思う。牧師というのは高度な専門職だ。

「プラス・アルファ」系若者

たまに見かけるじゃないですか。良さげなスーツをベストと合わせて着て、茶色のロングトゥの靴履いて、髪型はツーブロックで、横文字と擦過音と間投詞多めの二十歳そこそこの若者。もちろんMacBook持ち。
あと「プラスアルファで〜」言いたがる。
そんなわけで私はこの手の若者を「プラスアルファくん」と命名している。
そして彼らは大体マルチやら情報商材やら副業やらというが私の見解だ。
プラ・アルファくんはどこにでもいるが、一番異様だったのはハロワの待合室でMacBook開いていたのを彼だ。正直少し笑ってしまった。
私も何度か彼らに遭遇し勧誘されかけたことがあるがなんとも言えない気持ちになった。彼らの示す成功や自己実現や幸福のイメージがあまりにもチープだからだ。伊集院光のラジオのネタの「貧乏人が考える金持ち」をそのまま具現化したような貧しさだ。
しかしそういうものに惹かれる人は沢山いるし、そういう層をカモにする連中も沢山いる。
怪しい奴らがプロになる。プロになれないとカモになる。やり切れない。

読書

童貞におていて本質的なことは、快楽を断念することではなく、生活の全体をある目標に向けて整えることである。このような姿勢が欠けているところでは、童貞は必然的に笑うべきことにになり下がる。
童貞ははっきりした、またよく考えられた思想のための前提なのだ。

『ボンヘッファー獄中書簡集』p.432

辛辣ぅっ!!

花屋

近所の花屋で毎回買う花を定期的に仕入れてもらうようになる。今回はしれっといつもの倍買わされた。いいけど。
現在の私の生活上の楽しみは花と香水くらいしかない。他にも楽しいことはあるけど純粋に個人的な楽しみという意味では他にない。

退屈を謳歌

最近はせかせかとしがちだったので一日何もしない日を作った。生産的なことをなにもしない。
まず朝はすき家で牛丼をキメる。帰りにからあげクンを食べる。この時点でまだ朝7時である。昼まで寝たり起きたりしながらYouTubeと発言小町を徘徊し近所のそば屋で食事をする。花屋によって帰ると昼寝してスマホいじってまた寝る。
そうしているうちに一日が終わる。だらだらするのはむしろ疲れるなあと思い布団を被って寝る。

哀しき蟻

ベランダに一匹の蟻が迷い込んでいる。なにかの拍子に上がってきてしまい、地面に戻れないのだろうか。
煙草を吸ったり洗濯物の度に目にするその蟻は、ふらふらと歩き回り溝に入り込んでは出てきてを繰り返す。
指に乗せて地面に戻してやろうと進行方向に指を置いても器用に避けるし、摘むと潰してしまうかもしれないし、噛まれるかもしれない。また地面に戻したところで元いた集団に戻れなければ死んでしまうだろう。
段々と弱ってきているように思える。その蟻を見ているとこんな歌が思い出された。

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ

石川啄木『一握の砂』

この蟻がいなくなった時に私はどんな気持ちになるのだろうか。きっと少しだけ悲しくなる。なぜかはわからない。


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