理想論13

#357 理想論

はじめに

理想論は、売上論や集客論の次の論文となる。それは作成順序というわけではなく、普通の順序という事でもある。そして、思考の路線としても、理想論は後の方に来る思考となる。

理想論を書きにくい理由は、それが論的な形にならないことでふわふわしてしまうことにある。つまり、理想ばかりを追っていてはいけない。現実を見ないといけない。と言うことが反論として予期されることにある。

しかしながら、この現実社会で描いた理想は現実社会内のものであろう、と言うことが言える。つまり、それがいくら飛躍していたとしても、現在する人間の空想であり、理想であることには違いない。

つまり、現実社会で生きている人間がいくら空想や理想を描こうとも、それは現実社会内での想像と言うことになる。それが実現できるかどうかは別として、まずそのようなことが言える。

そう、現実社会でいくら理想や空想を描こうとしても、それは現実社会の中のものである。そう言える。問題は、その理想や空想が現実社会で生活している想像を遥かに超える所にある。

つまり、現実の路線上にある空想や理想は現実的と考えられる。例えば、生涯で1億稼ぐと言うのは、あまり理想とか、空想ではなく、非現実的とも言えない。理由は今の日本ではそれができる可能性があるからだ。

例えば、50年間働くことができるとする。50年間で1億稼ぐためには、1年間で200万円稼げばいいことになる。もちろん、税金などは抜かして考える。

これを今の時代で日本人が日本で考える場合は非現実的とはあまり言えない。しかし、これが経済発展前と言われる設備が整っていない国で描いたらどうだろうか。これは非現実的と言えてしまう。

もちろん、それらの国が、これからインフラ設備を整えていく中で経済発展と言われるようなことを成し遂げいったとする。そしたら、それらの非現実だと思われたことが、現実的に即した想像であり、目標となる。

ただし、この日本人が80歳だったらどうだろうか。つまり、労働年数が短い。この時は、非現実的となる。もちろん、50年間と言うスパンが5年になったり、5ヶ月になったりと言うのも同じようなことが言える。

つまり、どこで誰が、どのくらいでと言うような感じによって、その想像が現実的であるか、それとも非現実的であるかと言うことが判断されるようになると言うことだ。

noteを利用しているユーザーにとっては、noteを活用して売上を上げることができたらなと思っている人もいるだろう。つまり、有料note記事を販売して生活をしていくことができたら理想だと言うことだ。

問題は、この理想が、現実的であるか、それとも非現実的であるかと言うことだ。仮に、生活に必要な金額を2億だとした時、50年間働き、年収は400万円になれば成立することになる。

年収が400万円と言うのは、自営業では難しいレベルの話にはなると思うが、不可能だとは言えないレベルの値とも言えるだろう。これを12ヶ月で割ると、月収は34、5万程度と言うことになる。

つまり、1日1万円から1万5千円の売上が上がればいいと言うことになる。今、これが非現実的だと思われるのは、noteで売上をそれだけ上げているユーザーがいるとあまり思えないからである。

さらに言えば、ライターなどの執筆業で生活をしている人が、それほど多くないと考える点だ。そのため、noteで記事を販売して生活をするのは非現実的であると考えてしまう。

しかし、現実社会で行う空想は、現実的なものであると言うことを前提に話を進めたとすると、いくら理想を描いても、それは現実的なものであると言うことにはなる。

それを踏まえて理想を描くとしたらどうだろうか。つまり、日本にいて、あと50年間働くことができるとした時、問題は他にどこにあるのかを考えると言うことだ。

仮に、現在の時点で年収がnote記事を販売して300万円だとする。そしたら、年収400万円は非現実的とはあまりいいにくい。200万円であれば、2倍にすること、100万円あれば4倍にすればいいと思える。

つまり、note記事の販売売上が1円もない状態から、いきなり、note記事の販売売上を年間400万円にしようと思うからこそ、非現実的な思考と言うことになってしまうのである。

ステップに分けて考えてみる。note記事の最低価格は100円だ。そこから利用料なども引かれると思うが、引き出し金額が1000円からと言うことになっているため、売上換算も1000ということにする。

1 年間1000円の売上

2 年間1万円の売上

3 年間10万円の売上

4 年間100万円の売上

5 年間200万円の売上

6 年間300万円の売上

4 年間400万円の売上

この6のステップをクリアしていくことができれば、少しずつだけれど、理想に近づくと言うことが言える。確かに、このようにしてステップ分けをしたら、できるかもしれないと言う気持ちも少し出てくるだろう。

まずは、これらの方法というよりも、理想、空想、想像の持つ力について考える。例えば、理想を2億稼ぐと言うことにしたとする。一様、生活ができるレベルの理想から入る。

これらの理想を追うことによって得られることがある。それは、その過程について考えたり、行動を起こしたりすることだ。つまり、理想を追うことで、その過程を追い、作っていくことになる。

事実、売上を上げるためには、価値を提供し、価格分の資金を交換することになる。価値を提供するためには行動をしないといけない。そして、それらの行動を起こすために考えることになる。

そう、理想、想像、空想、イメージ、目標の類の効果は思考、行動への転化にある。行動や考えることによって、価値を作ることにある。では、これらの理想などを描かないとどうなるか。

人は生きるために考えたり、行動をしたりする。つまり、理想を描かなくても、生きることはできるかもしれない。しかし、何か価値を生み出そうと言う気持ち、思考、行動範囲や領域は減ると考えられる。

ここで繋げることがある。それは日本の社会問題、少子高齢化の問題である。つまり、なぜ少子高齢化が起きたのかを探る時に、思考が役に立つかもしれないと言うことだ。

例えば、交際をする、結婚をする、子供を生むと言うのは、理想や想像、イメージによって進んでいくことの1つの要因であると考える。そして、少子化の原因は既婚率が下がっていることにある。

つまり、結婚をすると言うようなイメージが沸かない。それを追わない。追えないと言うことが少子高齢化の背景にあると考えられると言うことにある。もしも、それらをイメージ化できていたら行動している。

どうしたら結婚できるかを考えて行動に移していく。しかし、それができていないと言うことは、その手前の段階の想像のたぐいで引っかかっていると考えられる。

想像と理想は少し理想の方がハードルが高く、理想が高いことによって、結婚がしにくいと言うことに影響が出ている可能性もある。しかし、それは本当にそうなのだろうか。

例えば理想を追っていたとする。理想を追っていたら行動を起こすし、よく考える。理想を追うことによって現実が見えてくると言うこともあり得る。つまり、自分なりの理想が合致する現実が見えてくるわけだ。

そう、自分が理想な相手と結婚するためには相手の理想が自分であることが条件みたいなものである。しかし、少し食い違った理想を見ている自分を理想としている相手がいるのだろうかと言うことが言える。

つまり、人や相手の理想に自分がなると言うことは、自分が表舞台に出て、理想の中の選択肢に入らないといけない。最も相手が自分を選ぶためにも同じ条件ではある。

少し難しくなってくると言うか、わかりにくくなってしまった感がある。それは理想を追うことは大事だけれど、現実を見ないと結婚ができないと言うことでもある。

しかし、その結婚が理想であればより良いということである。まず、結婚をすると言うことは、結婚相手を選ぶということである。そして、その結婚相手は結婚意思、条件が整っている人から選ぶことになる。

つまり、世界中の人からそれらの条件が整っている人を選び、さらに土地柄とかの条件を考えていくと、ずっと狭くなってくると言うことだ。それは限りある選択肢の中から選ぶということであるといえる。

そして、理想が、この選択肢を超えてしまうと、合意が得られなくなる。つまり、選択肢以上の所から選択することはできない。つまり、それでは理想が現実とはならない。

では理想を下げるのはどうだろうか。原則的に理想を下げると言うことは思考や行動の幅も狭くなると言える。そうなると理想を下げると言うよりは、理想を置き変えるということの方がいいかもしれない。

つまり、もっとも良いのは、すでにある選択肢の中から理想を見つけ出すということである。と言うか、それしかない。それか選択肢が生まれるまで時間を置くしかない。

こうなると、結婚できないと言う状況は行動の幅が狭く、思考不足と言える。つまり、理想と出会えていない。そう言える。ここで再度考えてみる。理想は存在だろうかと言うことだ。

仮に、理想はそれが非現実的なことはあるが、それが現実社会で成される限り、それは現実的な想像に過ぎない。そして、その想像は、数ある現実の中のイメージから培われ、組み合わされた結果に過ぎないだろう。

これを前提に考えれば、理想はいるかもしれないと言うことになる。あとはその理想を見つけることができるどうかによる。そして、これは顧客においても言える。つまり、理想の顧客は存在するかもしれないと言うことだ。

そして、顧客側からも言える。理想の取引相手はいて、理想の依頼先があるかもしれないと言うことでもある。見つけることができないのは、それを見つけることができていないだけと言うことに一様は言えるかもしれない。

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