超人になりたい
以下、ニーチェと私について。
昨年の秋、私はすこぶる心の調子が悪かった。どうしようも無い人間関係、伸び悩む数学、無神経な周りの発言や期待など、色んなものに押しつぶされそうで毎日漠然と死にたいと思いながら惰性で生きていたんだと思う。私は悪くないのに、私は何もしてないのに、私に出来ることはしてるのに、とどうしようもない環境要因に悔しくなってそんなことに惑わされてる自分にも情けなくなることを繰り返していた。
そんなある日、高校の倫理の授業でニーチェの思想と出会う。
ニーチェ先生の思想はこんな感じ。↓
ニーチェといえば "運命愛" の思想が有名だと思う。逆に言うと、"ニーチェの思想の全て=運命愛"、と思っている方も多いのではないだろうか。しかし、実際のニーチェ先生は、運命に自身を加護することを求め、運命を大いに肯定し愛し、自分の意志が偉大であってくれと "自分自身のために" 願うのだ。そして、"さればもう一度" と能動的に再度挑戦する。
運命愛という結構な受身に思われるフレーズ、実は自分自身と自分自身が持つ自由意志を最大限に尊ぶためのプロセスであり、実はかなりの攻めの姿勢なのだ。
いやーーーーニーチェも能動的ニヒリズムも格好良い‼️潔い‼️男前‼️本当に惚れ込んでしまう。
実は私自身かなり根暗なので、厭世的であること、頽廃的であること自体は決して悪いことではないと思うし、むしろ楽観的すぎるのはかなり苦手だ。
けれど、この能動的ニヒリズムという姿勢、自分自身をアップデートすることでこの世にあるものが相対的に無価値になっていき、だからこそ新しい価値を生み出せてしまう。強い。
この自己完結の側面の強さがニーチェの1番の魅力だと思う。多分ニーチェの生きた時代にも、現代にも、私のように自分で変えられる範疇のことは自己責任だと割り切れるけど、もう周辺環境の悪さだとしか思えないようなことでもどうしても他責思考になることに躊躇ってしまったり気にしすぎてしまう人っていると思う。
けれども、恐らく能動的ニヒリズムを突き詰めると、これらの環境は全て自分自身の成長と新しい価値の創造へのただの材料として扱われる。ここまで極端ではなくても、能動的ニヒリズムを取り入れることで、自分が周辺環境を意識しすぎてしまったり囚われすぎてしまってることを自覚したからこそ生まれる苦しさや情けなさを縮小化できるのではないだろうか?
超人になりたい。
"さらばもう一度" 私もしたい。
ニーチェ先生格好良い。
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