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色々 日記? 人生

最近、というか結構長い期間、ちょっとした日記もなんてことない言葉も書けない。それが理由かは分からないけど自分の中のもやもやしたものが絡み合ってもう解けないんじゃないかってくらいたくさん結び目ができてしまっている。久しぶりにnoteを開いて過去の自分の投稿を見返してみると、自分の書いた文章が死ぬほど恥ずかしくて見ていられなかった。考えも言葉も拙いなと感じつつ、恥ずかしいと思えるくらい正直な言葉しかなかった。それが少しかわいくて、嬉しかった。

大好きな友達に、大好きだと伝えられなくて情けない。その友達の存在がいつまでも変わらず傍にいてくれると信じて疑わない。わたしがその人を大好きだなと思うのは、そう思わせてくれるからというのもあるけれど、安心しきってふいに傷つけてしまったりするのは当たり前に良くない。

この前見た洋画にでてきた ''things change'' というセリフがなんとなく心に残っている。万物は変化する。状況も人の心も。芯が通っているというのは大事なことだと思うけれど、あまりにも大変じゃないかと思う。気持ちが変わることは誰にだってあって、それが芯の部分を揺るがすことだって時にはあると思う。わたしは特に変わりやすい性格だと思うのだけど、それを流されやすいとか言って悪く考えてはいけない。その時その時の自分の心に正直である証拠であり、「いや、でもわたしの芯は、、」とか馬鹿みたいに高尚になってないで流されればいい。しかし同時に他人も良くも悪くも変わるということを常に覚えていなければならない。
''things change'' は気楽さと残酷さを合わせ持つ。

銀杏BOYZのライブに行った。小さなライブハウス、小さなステージ、一本のギターに一本のマイク、峯田和伸。この人が、この音楽が、この言葉が、わたしの心を震わせている。救っている。わたしは久しぶりにわたしのことが好きだと思った。日々なにかやるせない思いを抱えてそれをどこにぶつければいいのかも分からず悶々としている。何もやっていないのに何かやれると思っている、何者かになれると思っている、そんな思いはさっさと捨てたいのにそう思っていないとやっていけない。そんなわたしが愛おしい。こういうことを読み返して死ぬほど恥ずかしくなるんだろう。
ライブには一人で行くのが好きだけど、直後の熱量をそうかそうかと同じ熱量で聞いてくれる人がいないのは少しさみしかったりする。

あんなに何も書く気になれないと思っていたけれど無理やり書き出してみるとここまで書けた。ストレスという言葉にまとめてしまうのは惜しいくらいの何かを吐き出すための作業には、煙草を吸ったり酒を飲んだりカラオケで喉が枯れるまで歌ったり、人それぞれあるだろうけど、私にとってのそれはこの小さな機器を両手で持って言葉を打ち込むことだったと思い出した。人が一人生活するのに最低限の小さな部屋の隅で三角の形になって、指紋まみれの画面をもっと上書きしていく。たとえ意味なんてなくても。こうやって言葉を打ち込んでいると、息がしやすくなる気がする。なんとなく、生きていたいと思う。別にわざわざ言葉にするほどもない日々を送っているけれど、どこにもいかない感情をここに記せばどうにかなる気がする。どうにでもなっていいから、どうにかなると信じてる。ゆるく日記でもつけてみようか。

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