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昨季のイリアス 22-23 「10番主将」

今更ながら、バルサでの最後の1年となった22-23シーズン(22年4月16日以降)を振り返っていきたい。クレの皆さんが懐かしむのはもちろん、ビジャレアルファンにもこの記事が届いてイリアスの過去を知ってもらえたら幸いである。


リベンジ

21-22シーズン、一時はトップチームに抜擢されていたイリアスだったが、22年4月以降は出場機会を得るためバルサBからフベニールA(U19)へ降りることとなった。
負傷離脱中のチュース・アルバに代わり、イリアスは左インテリオールを務めることになった。あまり経験のないポジションであったが、それでもリーグ戦Division de Honor Juvenil グループ3(DH3)では毎試合得点に絡んで、実力を見せつけた。

2年連続でDH3を制し、Copa de Campeonesへの出場権を手に入れた。
準々決勝はバレンシア相手に前半で2点リードを奪い、そのまま2-0で余裕を持って勝利した。
準決勝はセルタのマンツーマン気味な守備に対して、イリアス得意のドリブルが先制点を生み出した。
お互いアグレッシブな戦いぶりで乱打戦となり、4-3でなんとか勝利した。

いよいよ決勝、相手はアトレティック・クルブ。
右WGエスタニスが前半早々に負傷交代するアクシデントもあったが、イリアスのボールキープが左SBバジェの先制点の起点になる。

最後はイリアスと交代で入ったフェルミンのダメ押し弾で2-0として、デポルティーボ・ラ・コルーニャに敗れた20-21シーズンのリベンジを果たした。

バルサAtの主力を目指して

コロナ陽性で21-22プレシーズンのトップチーム参加を逃したイリアスは、22-23こそ万全の状態でプレシーズンを迎えるべく、6月下旬~7月上旬に行われる地中海カップへのスペインU18代表を辞退した。
しかし、ハフィーニャ加入とデンベレ再契約の影響で、トップチームでのプレシーズンマッチ出場は最初の1試合のみに終わり、アメリカツアーには帯同できなかった。

21-22シーズンを9位で終えたバルサB改めバルサ・アトレティック(以後バルサAt)は、ラファ・マルケスを新監督に迎えた。
イリアスはバルサAtのプレシーズンマッチで5得点を挙げると、3部リーグの開幕戦でもスタメン出場からミドルシュートを決めて勝利に貢献し、マルケス監督の信頼を勝ち取った。

04トリデンテの躍動

近年はフベニールAにバルサAt控え選手を加えてUEFAユースリーグに挑んでいたが、2大会連続でグループステージ敗退していた。その屈辱を晴らすべく22-23シーズンはバルサAt主力組も積極的に招集し、スペイン制覇した21-22フベニールAをベースとした「本気のラ・マシア」で欧州へ挑んだ。

右WGイリアス、CFバルベラと長期離脱から帰ってきた左WGアラルコンの04世代3人組は、バルサAtやスペインU19代表にそのまま出ていても全くおかしくない、強力な3トップだった。
第1節ヴィクトリア・プルゼニ戦は3人が揃い踏みの3-0で始まり、第2節バイエルン戦はバルベラが圧巻のハットトリック。第4節までで3勝1分勝ち点10、14得点4失点でほぼ決勝トーナメント進出を決めた。

消化試合で出番なし

バルサは第5節終了時点でUEFAユースリーグではグループ首位通過、CLでは3位でELプレーオフ行きが決まっていて、第6節は双方が消化試合となった。
イリアスにとって22-23シーズン最初のトップチーム招集となったプルゼニ戦は、バルサがリードする展開ながら出番は与えられず、CLデビューは2年連続でお預けになった。

レギュラーから降格

バルサAtは開幕5試合で3勝2分勝ち点11の2位とスタートダッシュに成功したものの、そこから4連敗で14位まで沈むとその後も中位に留まり、17節時点で7勝4分6敗勝ち点25の9位で2022年を終えた。
その間イリアスはU19スペイン代表に招集されていたため欠場した第5節を除く16試合に出場、うち12試合は先発でチームのレギュラーとなっていた。しかし、結果が伴わなかった。

開幕戦での得点以降ゴールもアシストもなく、年明け最初の第18節にフル出場したのを最後に、スタメン入りすることはなくなった。同時期に契約延長交渉が難航しているとの報道もあったが、同様の条件下でバルベラが3月までスタメン出場していた。彼と比較すると、このスタメン落ちが純粋にパフォーマンスの問題であったことは明白である。

その後は第23節でベンチから審判に暴言を吐き退場・4試合出場停止になったこともあり、わずか途中出場6試合・合計90分のみに終わった。

得点が欲しい展開で投入されていたものの、期待に応えることはできなかった。
FWの仕事はチームを勝たせることであり、ゴールやアシストの数字は当然重要である。残念ながら、イリアスの仕事ぶりは不十分だったと言わざるを得ない。

ラ・マシア04組の結末

3月を迎え、ついにUEFAユースリーグ決勝トーナメントが始まった。
左SBバジェが冬にアンドラへ個人昇格、右インテリオールのガリードが負傷、左WGアラルコンがトップチームへ招集とグループステージから3人代わった状態で、オランダのAZとのラウンド16一発勝負に臨むこととなった。
イリアスはガリードの代役で右インテリオールに回り、右WGにはいよいよベンチに置いておくには惜しい存在となっていたラミン・ヤマルが入った。左利きの逸材2人が共存できるのか、大会を勝ち進むために注目となるポイントであった。

しかし、勝負を分けた左利きの選手はこの2人ではなかった。冬にバルサAtへ加入したポチョ・ロマンが62分に投入されると、68分のアフタータックルと73分のペナルティエリア内でのシミュレーションにより2枚のイエローカードをもらい、わずか11分間で退場となった。2点ビハインドを追う展開で数的不利になり、もはや逆転の可能性は絶たれた。「本気のラ・マシア」が呆気なく散った。

AZはその後UEFAユースリーグを制することとなる。

フベニールAのリーグ戦DH3で唯一の出場は、サラゴサとの首位攻防戦だった。スペインU17代表活動中の規律違反によって出場停止処分を下されたヤマルの代役を務め、決勝点を決めるなど格の違いを見せつけて首位浮上に貢献した。

その後もフベニールAは首位を守り、3年連続でDH3優勝した。

5月中旬から始まるCopa de Campeonesだったが、ヤマルとCFマルク・ギウがU17EURO、アラルコンが怪我のため、リーグ戦で主力だった3トップ全員が欠場となった。このFW不足を解消するため、バルサAtからイリアスとポチョが加勢した。

アトレティック・クルブ相手の準々決勝は、1stレグ0-0、2ndレグ0-1の180分完封負け。左WGダニ・ロドリゲス、CFポチョ、右WGイリアスの左利き3トップが機能せず、1stレグの66分で見限ったのかと思いきや、2ndレグでも全く同じスタメン・配置の謎采配。先制を許し攻撃も噛み合わない悲惨な前半45分間が、イリアスにとってラ・マシア最後の時間となってしまった。

1stレグのポチョ交代後にイリアスがCFへ移ってからは内容を改善できていただけに、決定機を逃してしまったことが後の展開を考えても悔やまれる。

U19スペイン代表10番キャプテン

23年9月下旬にU19EUROの予選が始まると、イリアスはスペインU19代表のキャプテンに選ばれた。
世代別代表の常連であり続ける実力だけでなく、チームのリーダーになり得る人間性もコーチ陣やチームメイトから評価された証であり、とても光栄なことだ。

2次予選2試合を含め、24年2月の親善試合までは右WGでの起用が多かった。その2月に背番号10を託されると、3月の最終予選から番号通りのトップ下に移った。
予選の5試合は3勝2分13得点、さらに親善試合8試合を含めても無敗無失点の無敵艦隊を築き上げて、7月上旬のU19EURO本戦に乗り込んだ。

イリアスはアイルランド戦の16分にCK、ギリシャ戦の57分にFKで1つずつアシストし、グループステージを連勝で準決勝進出を決めた。

ターンオーバーしたノルウェー戦を経て、準決勝の相手はイタリア。前半は劣勢ながら0-0で折り返したものの、これまで16試合1失点だった守備が後半に崩壊。イリアスの被ファールとFKからオウンゴールを誘発するなど2度追いついたが、3度目はなかった。

優勝することはできなかったが、10番キャプテンとして相手から最大限の警戒を受けながら戦い抜いた経験は今後の自信につながるだろう。

バルサでの13年間

6歳でプレベンハミン(U7)に加入し、ベンハミン(U10)を経て、アレビン(U12)の終わりに退団を強いられた。
腐ることなく努力し続けてすぐに復帰を勝ち取ったインファンティル(U14)、カデテ(U16)ではチーム内トップクラスの評価を得るまで昇っていった。

フベニールA、バルサB(At)、トップチームを行き来した激動のフベニール(U19)。バルサ全体ではヤマルが右WGで台頭してくることを軸に、イリアスには他のポジションで共存させる可能性を探っていたのかもしれない。しかし、なかなか得点に絡めない時期もあり自信を得られず、トップチームに抜擢された時も思い切りよく堂々とプレーすることができなかった。

落第したこともあったほどラ・マシアでは並みの選手だったところから、トップチームでチャンスをもらえる有望株にまで成長した。しかし、そのチャンスをものにするメンタルが足りなかった。

最後にイリアスからのお別れメッセージで、この記事を締めくくる。

人生の夢を叶える機会を私に与えてくれたクラブにさよならを告げる日が来ました。私の進むべき道どころか、サッカーを本当に好きかすらまだ分かっていなかった6歳の頃に加入しました。個人的にも専門的にも素晴らしい学習と共に、サッカーを愛する全ての人が夢見るような13年間を終えます。

この期間の全ての指導者、スタッフとチームメイトに感謝したいです。一人一人があらゆる面で私を成長させてくれて、これまでずっと楽しみながら進化していく私を見ていてくれました。また、サッカーを楽しむ最初の機会を与えてくれたHostalets de Pierolaと、自信を得る必要があった複雑な1年に助けてくれたClub Gimnastic de Manresaの2クラブにも感謝します。

最後に、良い時も悪い時も日々私を支えてくれた周りの人たち全員に感謝したいです。振り返ると、私がバルサの選手になれたのは善い人たちが側にいてくれたおかげです。

クレの皆さん、ありがとう!




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