ブロッコリーのような曖昧な緑


『たいそう不思議に思われるかもしれませんが、
こればっかりは仕方ありません。

聞くだけは聞いて頂きます。
聞いているのかは別として、私はお話します。

それは生と死の真ん中の空間です。

薄気味悪いくらい整然とした美しい真四角の白い部屋でした。そこで私は数種類のカードを選びます。』

私の目の前に座った無精髭の男はそうやって、
おもむろに話し始めた。

私はというと、大切な約束をすっぽかされた。

待ち人は来ない。

その代わりに何故だかこの男が座った。

男は、アイスコーヒーとホットケーキを身勝手に注文し、そうして話し始めてしまった。


『カードには不思議で曖昧な言葉が書かれています。
そうですねー例えば

「ブロッコリーのようなはっきりしない緑」とか
「サドルの高さを調節できない自転車」とか
「笑顔がステキな掃除機」
「風の鳴らない大海の波」

カードはトランプのように束になっていまして、
その中から、3枚好きなものを選びます。そこにはルールがあります。

1枚取ってそのカードの中身を確認した後、内容に不満があればカードを山に戻します。
納得出来れば手元に置いて、次のカードも同じ要領で選ぶわけです。
ただし、戻したカードが再び現れたらそのカードは交換する事は出来ません。
そのカードは運命カードと言ってより大きな影響力をもたらすわけです。

私が選んだカード?
知りたいですか?
よろしい、教えましょう。

私が選んだカードは
「自動車の窓から飛び出した毒ヘビ」
「魔神のように何もかも吸い込む雲」

そして

「ブロッコリーのようなはっきりしない緑」です。
これが運命カードになってしまいました。

私は合計7回引いてその3枚に[選ばれた]わけです。そうそう。先に紹介したカードは私が戻したカードです。

カードは全部で何枚あるのか?
残念ながら、カードが山に何枚あるのかはわかりません。というよりもその部屋には何枚とか、何回とか、そういった数字という論理的な概念は存在しません。
回数も枚数もあくまで定められた流れとして行います。

全ては有と無。生と死。存在と消失。
その中間にあるのです。

肉体ももちろんのこと、在りません。
薄い青色の浮遊物のみなんとなく存在しているのです。』

男は運ばれてきたホットケーキに、バター塗りたくり、メープルシロップを最後の一滴と残らずかけた後、フォークだけを使って食べ始めた。

口に含み咀嚼し、まだ残留しているホットケーキをアイスコーヒーで流し込む。
それを数度繰り返した後、

「どこまで話しましたっけ?」
などと言いながら、またその世界の話を続けた。


魂というものは、減ったり増えたりすることはありません。
世界…いやいや宇宙の均衡といいましょうか。
単純にいうと、この世の生命の数は何ら変わる事はありません。

1増えたら必ずどこかで1減るのです。
その均衡が崩れる事はありません。
人が増えれば他の動物がへり、微生物が大量に発生すれば、また違う星の生命体が滅亡する。すべての総数はいつまでたっても変わる事はありません。
宇宙の秩序は、まずは命の数の均衡で保たれるわけです。

よく命の重さに優劣はないっていいますよね。
ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、
生きてるんですなんて歌があるけれど、
あれは道徳的な観念というより、むしろ宇宙の秩序なんです。

私は死にました。
もちろんこれは前世のお話です。
そんなに驚かないでください、現にほら、
私は今ここでこうして生きているわけですから。

私は死にました。
カードを選ぶ部屋に行く前のはなしです。私はトロッコのような貨物車に乗ってその部屋に向かいます。

それは私が死ぬ前の日、その時私は病院のベッドの上でした。

私は深い患いと眠りの中にいました。
突然、誰かに呼ばれるのです。

私は目を覚ましました。正確に起きているのかどうかは定かではありません。

私はようやく体を起こします。
ふと壁に目をやると、その壁から幾何学模様の図形が現れます。図形は壁から出ては入り、入ってはまた突如として現れを繰り返しているのです。
次第に幾何学模様はその種類、数を増やし、
様々な大きさになり、私の周辺を覆い尽くします。
そうですね、それはまさに春の終わりを告げる猛烈で悲しげな桜吹雪の中にいる様な、
そんな感覚です。

私はふと病院の外に目をやります。
少し離れた場所の低いアパートメントの屋上が、
ライトアップされています。

そこにはたくさんの人が整列しています。
私の親友が沢山の人の前でタクトを振って指揮をしています。
その人達は、鎮魂歌を合唱します。
それが鎮魂歌なのかどうかは私にはわかりません。しかしながら私にはそれが鎮魂歌である事を納得せざるを得ないのです。
彼らの歌は遠く離れた場所であるのに関わらず、まるでヘッドフォンステレオで聴く様に、はっきりと様々な声色を聞き取ることができます。それらの聞き慣れた声に私ははっとします。
歌っているのは、妻であり、父であり、母であり、また兄弟であり、子供達であり、孫達であるのです。

彼らは懸命に鎮魂歌を歌います。
まるでそれは彼ら自身が彼ら自身を納得させるように心からの叫びで。

彼らの歌声はこれほどまでにはっきりと聞こえるのに、私の声が彼らに届くことはありません。
そもそも、私は声を発することができないのです。
いくら叫ぼうとしても、声にならない叫びが胸の辺りでワンワンと反響するだけです。

次第に私の瞳からは大粒の涙が溢れ出します。
そこにあるのは、死に際する圧倒的な孤独です。

すると間もなく、今度はベッドから何やらひもの様な布の様な物が現れ私の全身を縛り付けるのです。
私は身動きが取れなくなります。
次の瞬間、床に突如として穴が空きベッドは奈落の底に落ちる様にまっすぐに落下します。

落下した私はとても暗い海にいます。
水の中に落ちたはずなのに息苦しくはありません。生ぬるい胎内にいる感覚とでもいいましょうか?
ベッドはいつのまにかトロッコに変わっています。
水の中でトロッコは敷かれたレールの上をゆっくり進みます。

海から出た貨物車は、やがて輝かしい光に包まれます。それは実体こそありませんが温かな母の光…いや恐らくは母そのものだったのかもしれません。

トロッコは光を抜け出すと、ゆっくり登ったり急に降ったりを繰り返します。
所々の停車駅で私は荷物を積み込みます。
黒々しい袋に入れられた得体の知れない物体を私は大切に抱えて、また次に向かいます。
けれども不思議なことに、次の停車駅で新しい荷物を積み込もうとする時、前に抱えていた黒々しい袋は跡形もなく消え去っているのです。

そうして今度は、桐の箱に入った「何か」を積み込み出発します。しかし案の定、次の駅で気づくとその荷物は消失しています。

その途中、私は様々な人達に出逢うのです。
小学校時代の恩師、小さな裏切りをした友人、初めての恋人、共に戦った戦友、私に殺された敵国の子供、私の腹から銃弾を取り出した医師。

彼らは、決して言葉を発することはありません。
ただただ穏やかに私を見つめ、小さく頷き、
そうして優しく見送るのであります。

やがて貨物車は加速して、レールは宙に浮いて空へと向かいます。
海、森、川、山々、光、闇、風、香り、
私は私の生まれた星を全身に感じます。
それは、何物にも変えられない幸福感であるのです。やがてあの光がまた再び私を包み込みます。

それはやはり母でした。

私はその光に思い切って飛び込みます。

母から生まれ母に還るのです。」


男は涙を流していた。

「そうして、幾ばくかの時を経てカードを選ぶ場所に私はたどり着くのです」

私は落とし所のない疑念を感じながらも、
男の次に発せられる言葉を待ってみることにした。

『そうですね。
今あなた様は様々な事に疑念をお持ちかもしれません。

今のお話?なぜ私がここにいるか?

今というのはともすれば、ずっとずっと先の話なのかもしれません。
存在という事も空間という事も、
宇宙的な側面から見ればどれも朧げで曖昧なものにすぎません。

とりわけ時間という軸は

過去と現在とそして未来に区分されているように思えますが、よく考えると、

私の脳裏には常に未来があり、私の言葉は発せられた瞬間に過去に流れます。
そう考えると現在という意義はとてもか細く乏しいものになるのです。
時間という軸は常に一本線状で成り、未来は過去であり、過去は未来であると同時に現在は無なのであるという考えも出来なくはない。

話がややこしくなってまいりましたね。
申し訳ありません。
一応、生まれ変わりの話をしておきましょう。
生まれ変わりというのは、
もちろん人が人に変わるという都合のいいことばかりではありません。

或いは虫に、魚に、木に、微生物に、そして或いはまた人に生まれ変わるのです。
ただ、宇宙の秩序として有機物が無機物に変わる事はありません。それはルールが許しません。
何らかの命に変化するのです。そこにずれはございません。
先程申し上げた通り、そうして命の均衡は保たれるわけです。

ルールとは何か?神とは何か?
これは先程のカードと関係性があるわけですが、
ここを話すと終わりがありませんので、
今のところは割愛しておきます。
やがて自然とそれに気づくかもしれませんし、
或いは気づかないかもしれません。


生まれ変わりは何も未来に対する事ばかりではありません。
過去に死んだ者が未来に生まれ変わるというのは、私達が住む今の世界の時間軸を中心とした身勝手な概念にすぎないのです。
つまり未来で死んだ者が、
過去に生まれる事もそれは即ち否定できないのです。

時間軸は一本線状に存在し、未来は過去であり、過去は未来なのですから、そのどの可能性も私達は否定するには至らないのです。』


私は黙って頷いた。


『まだ貴方様に話さねばならない事が沢山ありますが、もう時間がありません。』

残念ながらここまで。

男はそう言って会計もせずに出て行った。

待ち人はまだ来ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?