無名。(No name) 👼
昔すきになった人は
知的なイケメンだった。
頭のキレたジョークをさらりという彼は、
存在そのものが、僕イケてませんか?
と言わんばかりの人でした。
(どんなん笑)
毎日のように連絡をとっていた彼とは
次第に仲良くなりました。
でも、彼は一度も
私の名前を呼んでくれませんでした。
それを恨んでるとか
そういうのでは決してなくて、
ただ、
「この人目が大きいなぁ」と思うのと同じ感覚で、「この人、全然名前を呼んでくれないなぁ」とぼんやり思っていました。
少しずつタイミングが合わなくなって
連絡をとる機会もパワーもだんだん
なくなってしまいましたが、
もし、たまたま道端で再会することがあっても
彼は「あ、○○ (私の名前)!」というはずもなく、「おう」とかいうんだろうなぁ。笑
不器用な人だから、
単純になんて呼べばいいかわからないまま仲良くなってしまい、そのまま呼び方がわからないまま時間だけが経ってしまった。
ただそれだけのことだったのかもしれない。
それでも私は、いつの間に、
彼は私のことをあんまり好きじゃないんだろうなと思うようになってしまいました。
【相手の名前を呼ぶ】という行為は意外にも、受け取り手にとって結構重要なことなんだと、この時気づきました。
それは好きな人かどうかに関係なく、
ありとあらゆる相手に対してです。
🔆
大学でのある日のこと。
授業で配られた紙に、
みんなの名前が漢字で書いてありました。
たまたまその授業に遊びにきていた友人。
わたしの名前の漢字を初めて知ったその友人は、その日以降、LINEでのやりとりで、私の名前を漢字で書くようになりました。
その出来事にとっても驚いたのを
今でもよく覚えています。
決してみんなに漢字で名前を書いてほしいわけではない。 (どちらも同じようにうれしい)
でも、その友人がわざわざ漢字に変換したという行為は、
その友人の【相手の名前を大切にしたい】という想いの詰まったアクションだと思いました。
🌟
“笑った顔が好きです”
“一緒にいるとたのしい”
そんなステキな言葉をプレゼントするのと同じように、 日々その人の【名前】を会話の節々に散りばめることは、想像以上に愛の溢れていることだとおもう。
✨
【相手の名前を呼ぶ】という行為は
とても小さな行為のようだけど、
相手の存在を肯定し、相手との距離を縮めることのできるアクションなのだと思う。
私自身、初対面の人の名前を
覚えることはあんまり得意ではない。
😅😥🤯😧
でもできる限り、相手の名前を口に出そう。
と思った。
今更呼び方を聞けない場合なら、
素直に「今更だけどさ、なんて呼べばいい?笑」って聞けばいい。
これからも日々たくさんの人に出会う
これから出会う人たちの名前も
今もすでに出会っている人たちの名前も
丁寧に大切にしていこう。
うんそうしよう。
あのイケメンは
私に大事なことを教えてくれた。
無名なんてタイトルのノートも
これから書くことはもうやめよう。