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カットマン 7(終章)

五年後、夏。

 悠平は母校の来客室で人を待っていた。

 窓の外からは部活動を終え、下校支度をする学生の声が聞こえる。昔は自分もあそこにいたのかと思うと、なんだか不思議な気分になった。

 やがて入口からノックの音が聞こえ、悠平はそちらに目を向ける。一拍遅れて入ってきたのは、恩師、松浦だった。

「お久しぶりです先生。お忙しいのに時間を頂いて、ありがとうございます」

「気にするな。立ち話でいいって言ったお前を引き止めたのは俺なんだから」

 簡単な挨拶を済ませて、二人は向かい合わせで席に着く。席にはさきほど事務員がおいて行ってくれたお茶が置いてあった。

「内定が決まったんだったな。おめでとう」

「ありがとうございます。その報告だけですまそうと思っていたんですが、なんだかこんなもてなしを受けて恐縮です」

「卒業した生徒の話を聞きたいのは教師の性分だから気にするな。それで、どこに決まったんだ?」

「はい、〇〇自動車に」

「最大手じゃないか。すごいな」

「高校三年間の部活動の賜物です」

「あからさまにおだてても何も出んぞ」

「いやいや、本心ですって」

 軽く笑いながら、二人は話を続けた。他の卒業生の話、昔の思い出話などなど。やがて話題は、一人の卒業生のものになった。

「ところで、直人はどんな感じだ? 同じ大学だっただろ?」

「はい、まだ就活中です。なかなか内定がもらえなくて、苦労してるみたいです」

「昔から不器用なやつだったからな。それでもまあ、最後にはきちんとしたところに就職するだろ。そういうやつだ」

「最後のインターハイ予選の時も、そうでしたからね」

「一時期は部活をやめる可能性まであったからな。最終的にはブロック大会のベストフォーまで決めてくれたんだ。大したもんだよ」

 悠平たちの年代は、団体戦で県大会を突破し、見事ブロック大会ベストフォーに輝いた。あと一勝でインターハイまで行けたのだが、ベストフォーに残るだけでも学校始まって以来、何十年ぶりかの快挙だった。

「耐える卓球でしたからね、あいつのスタイルは」

「性格が優しすぎるんだ。自分が勝ちたいんじゃなく、チームのために負けたくない、っていうやつだからな。自分から決して前には出ないくせに、かと言って一歩も逃げ出さない。性格までカットマンだ」

「高校の部活を通して強くなった面もありますよ。それこそ、途中で部活動をやめてたら、今の直人にはなれていなかったと思います」

 周りが内定を決めていく中で、直人は今も慌てずに就活を続けている。数ある企業の中から、自分が入りたい場所を選んで、諦めず根気よく、採用試験に何度も挑戦していた。

「まだ二十社しか受けてないから、あと十社は受けないと、って言ってました」

「三十球返球しろっていうあれか。ま、なにかの指標にするのはいいかもしれんな」

「あれ、なんで三十球なんですか?」

 悠平が尋ねると、松浦はなんでもないことのように答えた。

「これまでのプロの試合結果なんかをみると、三十回以上ラリーが続くことなんて本当に数えるくらいしかないんだ。裏を返せば、どんな球だろうと三十球返せば必ず点が取れるんだよ、統計学的には」

 そんなことかと、悠平はすこしがっかりする。もっと深い意味が込められているのかと思ったが、そうでもないらしい。それにしても、三十球も返すなんて普通はできないことを平然というあたり、この教師はある意味むちゃくちゃだったのだなと舌を巻いた。

「もし三十球返しても、相手がミスしなければ、それは相手が強かったということだ。その先は、またそのとき考えればいい」

「あいつなら大丈夫ですよ。あれだけ真面目にいろいろ考えてたらいずれ潰れそうですが、そうなりませんでしたから。耐えるという点では、ピカイチだと思います」

「そうだな」

松浦が相槌を打って、部屋に沈黙が訪れる。沈黙を埋めようと悠平がお茶に手を伸ばしたところで、ふと松浦が窓の外に目を向けた。悠平もつられて外をみると、一年生の体操服を来た生徒が一人、卓球ラケットをもって素振りをしているところだった。

「彼もなかなか、強そうですね」

「耐えるって点では、まだ直人には及ばないがな」

 部活の練習が終わったあと、人知れずカットマンの素振りをするその理由はなんなのか。その姿に友人を重ねながら、悠平は少年の練習を眺めていた。

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