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父親とスキー

 16歳、高校1年生の冬、夜7時。
 僕は、今まさに発進しようとしている車の助手席にいた。

 ハンドルを握るのは父親。これから2人で、スキーに出かけるところだった。

 もう15年近く前の話だ。当時の僕は割と「いい子」で、明確に門限が決められていたわけでもないのに、7時30分には家に帰るようにしていた。今考えると不思議だが、子どもだけで外にいていいのは8時まで、と勝手に思い込んでいた気がする。

 そんな僕にとって、夜7時は通常「家に帰る」時間だった。親同伴で外出していても、「家に向かう」時間帯だったのに、この日は初めて「家を出発する」時間となったのだ。そんな特殊な状況が、僕の中に不安、期待、恐怖、喜びといった、とにかくいろんな感情がごちゃ混ぜになった気分の高揚をひき起こしていた。

 夜の道路を車で走っていくと、負の感情が一層増した。真っ暗な道は孤独を嫌でも感じさせ、めったに通らない道は自分が無事に帰ってこれるのかわからない不安を冗長させた。

 そんな中、安心感も感じていた。隣で運転する父のおかげだった。父親はまさに家の大黒柱といった存在で、ただ隣にいるだけで、自分が安全だと思わせてくれた。今思うと、16歳の僕はまだまだ子どもだったと思う。

 オーディオからは当時流行っていたアクアタイムズやバンプオブチキンの曲が流れていた。父が僕に気を使って好きな音楽をかけさせてくれたのだ。車が走り出してすぐは、音楽に集中したくて、僕と父はほとんどしゃべらなかった。16歳という年齢もあって、どんな会話をしていいかわからなかったのもある。スキーに2人で行くくらいだから父のことが嫌いだったわけでも、不仲だったわけでもないが、家でも取り立てておしゃべりすることはなかった。

 車を走らせて、何分たったころだろうか。もうはっきりとは覚えていないが、音楽が止まった時に、父親がこんな風に聞いてきた気がする。

「最近、学校はどうだ。楽しいか」

 普段の僕なら、「まあ、普通」とか「そこそこ」みたいな返事をしていて終わっていただろう。しかしその日は、言いしれない不安と孤独を感じていたためか、気づけばこんなことを話していた。

「楽しいけど、ちょっと困ってることがあって・・・」

 僕は部活動で当時悩んでいた友達関係のことを父親に話していた。友達にも、先生にも話したことがなかった悩み。夜の特殊な空気に充てられて、不器用ながらも、ただ感情を吐き出すように言葉を紡いでいた。父親は、具体的なアドバイスをすることもなく、ふんふん、と聞いてくれていた。気づけばかかっていた音楽もいったん止めて、話に集中できるようにしてくれていた。

 話し終えたあと、父親からアドバイスをもらった記憶はない。ただ、自分の悩みを聞いてくれて、「そっか・・・」と相槌をうたれた気がする。そして、「気持ちはわかる。父さんも昔そうやって悩んだことがあるから」と、昔話をしてくれた。珍しい父の昔語りに、僕は興味深々で聞き入っていた。

 そうして僕と父は、しばらく二人で語り合った。部活のこと、父の仕事のこと、楽しかったことや、嫌な思いをしたこと。道中すべてを使って話し合ったわけでもなく、途中かけていた音楽を再開させることが何度もあったけど、それでもよかった。ただ隣に父がいて、気が向いたときにおしゃべりして、疲れたら休憩して。そんな時間が、たまらなくうれしくて、安心できた。とても幸福だった。

 翌日、スキー場はあいにくの雪だったが、高校生のバイタリティーあふれる僕は父を置いてきぼりにして、目いっぱいゲレンデを滑りまわった。それも楽しい思い出だけれども、その時の旅で僕に大きく残ったのは、行くまでの道中、父と二人きりで過ごした時間だった。もう15年近くも前の話だけれども、今でもその時の感情は鮮明に覚えている。

 もう父は年をとり、二人でスキーに行くことはできなくなってしまったけれども、それでも冬の空気を感じるだけで、時たまあの時のことを思い出す。そんな幸せな時間と体験をくれた父に、今はただただ、感謝しかない。

 

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