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カットマン 1

観客の声が、遠くで聞こえる。

 直人はユニフォームの袖で額の汗をぬぐい、ラケットを握り直した。

 ゲームカウント二対二。ポイント九対七の最終ゲームは、大詰めを迎えていた。

 卓球台の向こうには、青のユニフォームを着た対戦相手。自分の後ろには、この団体戦に出場しているレギュラーメンバーと、指導者でもある顧問が自分を見守る。

 直人はサーブの構えに入りながら、以前にもこんなことがあったとぼんやりと思い出していた。ちょうど一昨年、中学三年生の時の引退試合だった。

 卓球の団体戦は六人人チームで行う。一番、二番がシングルス、三番目にダブルスを挟んで四番目、五番目とシングルスが続く。五回のうち、先に三勝したほうが勝利となる。

 直人が通っていた中学は毎年県大会に出場する強豪校で、その時も県大会の団体戦だった。勝てばベストフォー進出となり、ブロック大会出場が決定する大事な試合。その試合で、直人は五番手、しんがりを務めた。両校実力が伯仲し、勝負は二対二のまま、直人に勝負の行方が託された。勝てばブロック大会、負ければ部活動が終わる。仲間全員の運命を握った直人は、底知れない重圧を感じていた。

 実力は互角だった。相手の強烈なスマッシュに対して、カットマンの直人は何度もそれを拾っていく。一進一退の攻防の中、最終ゲームまでもつれ込んだ試合はしかし、最後は相手のスマッシュが直人のカットを打ち抜いた。

 チームは県ベストエイト。結果としては立派だったが、直人の心は悔しさと悲しさでいっぱいだった。自分が負けたせいでチームをブロック大会に出場させてやれなかったことが、ただただ申し訳なかった。

 引退後、顧問の先生には是非高校でも卓球を続けて欲しいことを伝えられた。今やめては後悔する。もしチームに対して負い目を感じているのなら、今度はそうならないように、高校でも卓球を頑張って欲しい。なにより、君の努力が報われないまま、卓球をやめてはいけない。そう言われた。

 その言葉が、直人を卓球につなぎ止めた。こんな苦しい思いをするくらいならば、いっそ卓球をやめてしまいたいと思っていた直人の心は、恩師の言葉で前を向いた。今度は同じ失敗を繰り返さないよう、負けても後悔しないよう、今まで以上に練習に打ち込む。その決意を胸に、直人は高校も卓球名門校に進学。中学で培った基礎と、人一倍練習した直人は、二年生の春、他の三年生を抜いて団体戦のメンバーに選ばれた。

 直人の打った球がネットにかかり、相手に得点がはいった。カウント十対八。相手のマッチポイントである。相手ベンチが盛り上がる中、こちらのベンチは直人も含め押し殺したような沈黙が下りていた。直人はタオルで汗を拭き、間合いを取る。とにかく相手をペースに乗らせないよう、ゆっくりと時間を開ける。

 中学校の引退試合も同じだった。ポイントは十対八で相手のマッチポイント、相手のサーブで体制を崩された直人は、そのままスマッシュを決められた。あの時の記憶がまざまざと蘇り、直人の心がじわじわと恐怖に侵食されていく。同じ轍を踏まないために今まで練習してきたんだと自分に言い聞かせてみても、心臓の鼓動は早くなる一方で、手汗もちっとも収まらない。やがて相手が台につき、サーブの構えを取った。直人もつられるように、レシーブの構えを取る。

 球足の速いサービスがきた。直人は丁寧にレシーブするが、相手コートに返球しようと大事にレシーブするあまり、少し球が甘く入った。途端に相手のスマッシュが飛んでくる。それもカットで拾うが、強烈なスマッシュに、返球はさらに甘くなった。

 相手がバックスイングするのを直人の目はスローモーションで捉えていた。その光景が中学最後の試合と重なったとたん、今日一番と思える程の高速スマッシュが、直人のコートを打ち抜いた。

 一瞬の間ののち、相手ベンチが歓喜の声に染まった。その声をどこか遠くで聞きながら、直人は呆然と立ち尽くしていた。

 またも、直人はチームを勝たせることができなかった。

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