見出し画像

【エッセイ】(義)父の日によせて

去年は実父のことを書いたので、今年は義父のことを書く。というか書かなくちゃ。

なぜなら今年の父の日は、
なにを隠そう義父の誕生日でもあるのだから。



義父は11人兄弟の末っ子。
16で上京したときには、新聞配達で生計を立てている10歳は年の離れたお兄さんが、親代わりになりいろいろ面倒を見てくれたという。

ちなみに上の3人は戦時中に栄養失調で亡くなっているそうだ。慰霊の日になると義父は毎年、平和式典に参加し、平和の礎に刻まれたきょうだい達の名前に手を合わせている。

帰沖後、事務員をしていた義母と仕事を通して出会いひと目ぼれ。朝ドラにありそうな大恋愛を経て20代半ばに結婚。ふたりの男の子に恵まれた。


義母いわく義父は仕事人間で、家事育児にまったく関わらなかったというが、夫いわく、子どもたちに関心がゼロというわけではなかったという。

夫が小さい頃は、仕事場に連れていってもらい、土木工事に使うあの大きい車に乗せてもらったこともあるらしい。

話を聞くかぎり夫は、目に入れても痛くないほど、幼少期から義父にかわいがられている。

それを象徴するエピソードが、わたしには衝撃的だった。




中学生になると、夫は、それはもうグレていった。万引きやカツアゲをくり返し補導され、そのたびに義母が警官に頭を下げていた。


修学旅行に行くどころか、登校することすら教師たちに許されないという、絵に描いたような不良だった夫。例に漏れず、たいそうな悪さをして学校に呼び出されたある日のこと。

そのとき学年主任だった教師は、義父母のまえで夫を散々罵り、鉄拳をお見舞いした。

「お父さん、お母さん、いいですか。この子は口で言ってもわからないから、身体で覚えさせるしかないんですよ」

体罰ではない、と教師は言いたかったのだろうが、義父にはそんなこと、どうでもよかったのだろう。

かわいい息子を目の前で侮辱され傷つけられ、
義父の怒りは頂点に達した。そして、殴ったのだ。憎き教師の胸ぐらを掴んで、頬を、一発。


えぇぇ、な、殴ったぁ!?


固まっているわたしの横で、夫は呑気に笑っていた。いまで言うモンスターペアレントだ、と言いながら。




えぇぇ、な話はこれだけではない。

おなじく中学の頃、ケンカの腕をめきめき上げていた夫は、ひとつ上の先輩たちに目をつけられ、
1対多勢でボコボコにされてしまった。
いわゆる集団リンチである。

それを聞きつけた義父が、なんと加害者全員を特定し、1人残らず彼らを裏山に呼び出し報復。顔をぶくぶくに腫らした不良たちを写真に撮り、2度と息子に手を出すな、と凄んだというではないか。

こんなことを平気な顔でやってのける義父は、いったい何者なのか。見る限り土建業を営む好々爺で、カタギではないということはなさそうだが。

とにかく、ちょっとやり方が手荒いものの、義父は全力で子供たちを可愛がっていたのだ。



そして現在。
うちの娘も含めて3人の孫たちは、義父に全力で可愛がられている。なかでも初孫である甥っ子は、無頼のおじいちゃん子になった。


小学校5年生の彼を、義父は赤ちゃんの頃から手塩にかけて世話した。

抱っこしたりドライブに連れていったりして寝かしつけ、離乳食を手作りし、保育園や習いごとの送迎や付き添いをかいがいしく行い、いまも週末は、車で往復1時間かけて学校にお迎えに行く。


義父は子どもたちが成人したあと、料理にハマりだして手料理をよく作るようになったようで、孫たちの離乳食もせっせと作ってくれていた。いまも、大きくなった孫たちにはカレーをふるまい、私や夫をはじめ、大人たちには牛丼やテビチ汁などをご馳走してくれる。


もちろん、誕生日やクリスマスのプレゼントも忘れていない。おもちゃやゲームなど、たくさん甥っ子に買い与えてきた。プレゼントは特別な時だけにして、と義弟夫婦に怒られるほどに。
今でもしょっちゅう、サンエーだかイオンだかに
2人でいそいそと通っている。

そんな甥っ子は、義父が体調を崩して入院したとき、決まってお通夜のような顔になる。
おじいちゃんに会いたいと何度もこぼし、退院したその日には本当に会いに来る。


うちの娘3歳も、おじいちゃん(義父)が大好きだ。甥っ子姪っ子と同様に、彼女も義父の離乳食で育ったといっていい。

義父の言うように、いつかは「おじいちゃんと寝たい」と訴える日が来るかもしれない。



土曜日は1日じゅう甥っ子姪っ子の面倒を見ていても、義父は疲れた顔を見せない。
ときには娘もまじえて遠くまで遊びに連れていってくれたりして有り難い。

亭主関白で男尊女卑があからさまで、
「うっざ!」というときもあるけれど、義父は愛情でできているということが、4年近く同居して、だんだんわかってきた。


子どもたちへの愛情、孫たちへの愛情、そして義母への愛情が、常日頃からダダ漏れ、じゃなかった、あふれている。

酔っぱらったら「俺は〇〇(義母)が大好き」とにこにこしているし、結婚してから、義父母のなれ初めというか惚気話を、義父の口から何度も聞かされている。いつか書けたらいいけれど、いまは長くなるので割愛します。



けっして丈夫とは言えないのに、娘と全力で遊んでくれる義父。

そうそう、3年前の大型連休に義父が入院したとき、甥っ子だけでなく夫も精神のバランスを崩していた。

娘が産まれたばかりというのに、
お父さんが死ぬかもしれない、どうしよう
と、情けないほど狼狽えていた。


断酒というのは難しそうなのでせめて減酒して、娘が成人するまで、義父には元気でいてほしい。

いただいたサポートで、たくさんスタバに通いたい……、ウソです。いただいた真心をこめて、皆さまにとどく記事を書きます。