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義祖母、しばしの別れ

noteの皆さま、こんにちは。日曜日いかがお過ごしですか☺︎「子どもの権利を考える」を、休憩中。Sazanamiです。きょうは、家族のことを書きます。

おっきいばぁば、ついに施設へ。デイサービスとショートステイを行き来して、3年。ようやく、
空きの出た施設に入居できることになりました。

希望していた場所ではなかったようですが、高齢社会のこのご時世、施設に入れるだけでも有り難いこと。


いま通っている、
子育て支援センターの先生のお話によると、 


ずっとずっと施設を探しながら、
デイサービスとショートステイの行き来を
くり返しているうちに、とうとう

お亡くなりになった、おばあちゃん。



その2年後





「お待たせしました、施設、空きが出ました」 





と、連絡があったとか、なかったとか😵





そんなことも聞いていたので、

「子どもの手が離れてきたら、大きいおばあちゃんの介護をしている義母を、少しでも手伝おう」


もしかして、在宅での看取りもあるかも、と、
覚悟だけはしていました。

何もしていないのに😅






ところが






今月のあたまに、夫から

「(大きい)おばあちゃん、施設きまったってよ」

と、いきなり報告があり、




そこから、あれよあれよと

健康診断、PCR検査をクリアして、



数日前、



義母に全体重を預けて、
よろよろ歩いていくのを、


「行ってらっしゃい」

と、娘とともに見送ったのを最後に



そのまま、隣町の施設へ

旅立っていきました。




このご時世、流行り病により

個室での面会はできず、



モニター越しに携帯電話で

お話するのが、精いっぱいとのこと。


しかも、義祖母は、認知症も少しあって

お話することも、ままならず

ぼんやりしていることが多いので



通話すら、ままならないと……。




いま慌てて面会するよりは、


流行り病が落ち着いてから

娘も連れて、じかに個室で会うほうが良さそう。

義母や夫と、そう話し合いました。







娘は、はじめてあった時(当時3ヶ月くらい)こそ、

おっきいばぁばの白髪に、びっくりして



うええぇぇぇぇぇーーーーー!!



と、ギャン泣きしていましたが、




慣れてくると、わたしに抱っこされながら

寝ている義祖母に、

「あー!」とか「うー!」とか


かなり強気で話しかけ、







歩けるようになったら、

義母といっしょに、おっきいばぁばの

「トイレの介助」を、


率先して、やっていました。
(かえって、お邪魔では? 😅)





このあと↑も、義祖母が済ませたあとのトイレのドアが開いていようもんなら、娘がタタタッと、閉めに走っていました。







夜なんかも、ソファに横たわり、
ぼんやりと目を開けている義祖母に
「あそぼう!」と言わんばかりに、

娘は、かけよっていってました。


ソファによじ登った娘が、
義祖母の体を踏んでしまうこともありました。


そのときばかりは、
義祖母も、細いうでを力なくあげて、
娘を追いはらうしぐさをしていました😅




おやすみなさいの時は、

じぃじ、ばぁばにだけじゃなく
おっきいばぁばにも、

「ばーばい、あーっち!(バイバイ、たっち!)」

と、欠かさず、やっていました。
おっきいばぁばが、起きているとき限定ですが。







ときどき軽いケンカもするほど、
すっかり「お友だち」になった、

娘と、おっきいばぁば。


このまま、ずっとおうちにいてくれたらな。



そう思ったからといって、わたしは

なにひとつ、お手伝いできませんでした。


義祖母の、介護を。







義祖母の介護は、実の娘である義母が、
すべて行なっていました。




デイサービス、ショートステイの送迎。
トイレや食事の介助。


夜中も、義祖母のトイレで
2時間おきに、起きていたとか。




娘のように、赤ちゃんなら

トイレだって、食事だって、

自分でやれる日が、必ず来ます。




お話も、じょうずにできる日が、

必ず来るのです。




幼稚園に行って、お友だちと遊んだり

小学校に行って、お勉強をしたり




赤ちゃんの世話は、できるようになることが

確実に多いですが、







高齢者の介護となると、そうはいきません。






当たりまえのことを、ドヤ顔で書きますが




義祖母は、今まで、できていたことが、

できなくなっていきました。








頭が働かなくなり、

身内でも、誰が誰だかわからなくなりました。




結婚したころは、初孫である夫を

「○ちゃん、○ちゃん」と名前を呼んでかわいがり、ときどき、「あんた、あの子のなんなのさ」と、言わんばかりの鋭い目つきで、わたしを見ていた義祖母。

(わたしと娘の名前、とうとう分からずじまい😂)




最近は、夫を見ても名前を呼ばなくなり、わたしのことも、ぼんやり眺めるだけになりました。




ひ孫が産まれたことは、理解していると思いたいですが、「誰の子か」と義母に聞いてるときも。








食事だって、最近は、しょっちゅう
のどにつかえるようで、



いつだったか


食べたものが喉にひっかかり、
30分くらい嘔吐しつづけているときも。




歩くのも、ままならなくなりました。

ソファに横たわっているのを、
義母が、どうにか起こしても


なかなか、立ちあがれません。



義母が、懸命に義祖母の両腕を引っ張って

(その義母の体を、娘が小さいおててで引っぱり、さながら「大きなかぶ」のようでした)


ようやく、立ちあがり、
義母に引きずられるようにして、歩きます。




かと思えば、



とつぜん、ひとりで起き上がり、

一歩二歩あるいたかと思うと、派手に転んで




口の中の入れ歯が刺さって

鼻の下の皮ふに貫通。



ゆかには血が散らばり、いっきに

「殺人現場!?」な惨状に。



その場にいた甥っ子、姪っ子は

義父母の部屋に、一時避難。



夫と義弟が、義祖母を抱き起こし

そのまま、義父母があとを引き取り、

義弟に付き添われながら、


義祖母を救急病院へ。





ゆかを拭く夫。



わたしは、娘を抱っこしたまま

呆然と、立ちつくしていました。



これが休日に起こったのが

不幸中の幸いでした。









義祖母が、まだ新築だった、この家で、

娘家族(義父母&夫)と同居して、3年。


たしか、新築祝いで転倒したのが

介護が必要になる「きっかけ」だったと

言っていたような。






それから1年も経たないうちに、

孫(夫)が結婚して、嫁のわたしが入ってきて2年。


義祖母の状況は、どんどんハードになる気がして、おくびにも出さなかったけど、


義母は、しんどかったと思います。




わたしは、手伝えるわけでもないのに

娘のために、おっきいばぁばに

いてほしいなんて、



呑気を通りこして、無責任だと

反省しきりです。




義祖母が、おうちを出て、
まだ間もないからなのか、


朝ごはんのとき、空席のソファを見ては

「おっきいばぁば!」

と、しきりに、娘がその不在を口にします。






「また、すぐ会えるよ」と、

夫が、わたしに言っていたように
娘にも言うのですが、


すこしの寂しさを感じます。


落ち葉を踏みしめて歩く体に、
秋風が、ひゅうっと吹きつけてくるような。









春になって、桜もすっかり散ったころ
(沖縄では、桜の見ごろは2月です)


義祖母の施設に、みんなで
行けたらいいけれど。




流行り病が、今度こそ落ち着くよう
いまのうちから、祈るばかりです。



ただいま絶賛リニューアル中!
年明けには「大吉」が出るでしょう……


さいごまで、読んでくれたあなたへ



ふだん、ソファに横たわって

ぼーっと宙をながめていた義祖母ですが、


ご飯のときに、食卓テーブルに座ろうもんなら

家族の見ていないスキに


そこに置いてあるお菓子や、バナナに

手をのばして、むしゃむしゃ

ほおばっておりました。



「亡くなった、うちのおばあちゃんと
一緒のことする……」



と、ふしぎな親近感を覚えたものです。

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